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ウルトラマントリガー最終回までの全体感想:惜しいと感じた個別キャラの深堀

おはよう!
先ほどウルトラマントリガー最終回(25話)が終わった。

色々思ったことを書く。
脚本家や監督、ファンには不愉快と感じる部分もあるだろう。

先に謝っておきます。ごめんなさい。

私もクリエイターであり、ゲーム脚本を書いている。
脚本=物語作りの勉強として気づいた点を書いていくよ。

批判は自分のためにあるのだから。

出典:ウルトラマン公式YOUTUBEチャンネル

公式サイト:ウルトラマントリガーHP

 

ウルトラマントリガーのコンセプト

ウルトラマントリガーの正式名称は
「ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA」だ。

キャッチコピーは「超古代の光を繋ぐ新時代の巨人伝説」

色々インタビューを読んでいくと、単にティガを作り直すor続編でない。

ティガの要素を抜き出したうえで新しく作り直した話だ。

長野博さん演じるマナカダイゴ(ティガ)も来てほしかった……
思ったけど、ダイゴが来るとコンセプトが崩れてしまうのかもしれぬ。

ウルトラマンティガに出た敵キリエロイドが現れた際、
会長の想いという形でティガも出た。

いつか劇場版で共演してくれるはず。

ティガの続編でもリメイクでもないが、
「番外編」という形としてシズマ会長がいる。

会長はティガ次元からトリガー次元に来た人であり、
ティガとトリガーをつなげる仲介者だ。

仲介設定は「うまい(=自分の物語作成にも使いたい)」と思っているよ。

 

嫉妬女なくしてトリガーなし

「嫉妬女(カルミラ)に振り回される面々」

もちろんほかの要素もあるけど、カルミラの嫉妬と怨念が一番目立った

そもそもカルミラがトリガーに執着していなければ、
トリガー誕生はもちろん、ケンゴも目覚めなかった。

現実でもマイメロママの一言(アニメ)に激怒し、
サンリオグッズを販売停止に追い込むすごさと言ったら……

トリガーは元々悪の存在であり、
同じく悪のカルミラ、ダーゴン、ヒュドラムと手を組んで、あちこちで暴れていた。

マナカケンゴが現れてトリガーが光落ちし、
カルミラにとっては彼氏がケンゴに寝取られたうえ、
光落ちまでされて、ほぼすべてを奪われてしまった。

カルミラは最初トリガーに執着していたが、
ケンゴの存在を知ると対象をケンゴに変えた。

最後まで恨みつらみ憎しみを自覚したカルミラが、
トリガーと戦いあった末にどんな展開で幕を閉じるのか?

かるみら

本編最終回25話:21分ごろから

最終回ではケンゴの大きな心によって、
カルミラの気持ちにも安堵感が生じ、ゆっくりと昇天した。

大きな心とは
「自分は光、人間、そして闇である。闇(カルミラ含む)もまた受け入れる」

嫉妬から怒りと憎しみでトリガー+ケンゴをぼこぼこにした悪女を、
ケンゴは「赦す」うえで悪女を受け入れ、カルミラは救われた。

ヒュドラムはカルミラらを裏切ったうえ、
残酷で卑怯な行動ばかりをとり、カルミラにやられた。

ダーゴンは武人っぷりを発揮し、
視聴者にとっても愛着あるキャラへと育ったが……

カルミラの暗黒エネルギーに心まで乗っ取られ、
人間たちに自分を滅ぼすよう頼み、散っていった。

ダーゴンの最期を考えると、カルミラの昇天は優しすぎて納得いかなかった(笑)

いや、ダーゴンも町を破壊してひどい所業をやっているんだけどさ……。

 

「みんなを笑顔にするんだ」

私がトリガー1話を見たとき、
ケンゴがアキトに向けて行った言葉に違和感を抱いた。

「みんなを笑顔にするんだ」

「みんなを笑顔にする」がケンゴの理念であり、
1話を見ているときだけでは空虚で芯がないように思えた

最終回にてカルミラすら「みんな」の一人に入っている。

嫉妬と憎しみからケンゴ(トリガー)をタコ殴りにした相手にも、
ケンゴはカルミラに憎しみを突き返すのでなく、笑顔で彼女を受け入れた。

理念「みんな(敵ですら)を笑顔にする」を達した形と言える。

私たちをはじめ、理念や夢は簡単に言えるけど、実行していくのが難しいんだ。

理念や夢とは正反対の現実(ここだとカルミラの存在)に向き合ったとき、
理念を曲げずに達成する覚悟があるか、ないかが問われるから。

ダーゴンの願い(正々堂々戦う)をコケにしたカルミラが、
最後はトリガーに抱かれて昇天する姿、不愉快さと美しさを感じた。

仮にケンゴがカルミラを拒絶していたら、
カルミラは何かしらの形で無理やり復活し、再びトリガーへ襲い掛かっただろう。

 

最終回に子供たちの応援

最終回でトリガーは子供たちの応援を通し、力を手に入れた。

ウルトラマンシリーズは「土壇場での子どもの応援」が強敵も何とか倒す原動力となる。

例外もあるよ。ウルトラマンコスモスは敵を倒さず、
敵をいやす形で浄化し、共に去っていったのだから。

子供らの応援について、唐突だなあと思ってしまった。

25話ある内で子供の応援が複数話出ているなら、
またケンゴらと一般人との絡みがあるなら、子供らの応援にもしっくりくる。

いきなり子供らの応援(トリガーを見守る人々)が出たから、
少し冷めてしまった
自分がいる。

なお子供時代の自分は気にしない。
気持ちよくラスボスを片付けてくれたのだから。

 

焦点を絞って話を書く良さ

子供たちの応援を通し、トリガーの良かったところを書く。
戦闘やアクション演出は良すぎて何も言うことはない。

トリガーは25話+まとめ回という制約のもと、

アキト、ユナ(+ユザレ)、ケンゴ、
カルミラ(+ダーゴンやヒュドラム)を中心に、
途中からイグニスが現れ、愛憎ミステリー劇を繰り広げた。

改めてトリガーは愛憎や絆を「光・闇」という形で分け、
最後は「光であり闇でもある」混ぜ合わせ、
十人十色ならぬ一人十色に持ってったのね。

主にアキト・ユナ・ケンゴを中心だからこそ、彼らの活躍は深く心に残った。

 

やはり52話まで欲しかった

だからこそ後2クール欲しかった

ウルトラマンZでもオーブでもほかシリーズにも言えるけど、
後2クールさえあれば、もっと他隊員の深堀ができた。

一つのゴールに向かって余計な要素をなるべく落とし、
突き進んでいったシナリオはいいと思っている。

一方で本題からずれるけどキャラの深堀をあまり入れなかったおかげで、
他キャラの印象が弱まってしまった

余計な話は主要でないキャラらの魅力を高め、
最終回に「一致団結して戦う」強い印象を与えられる

主要三人に比べて残り隊員の印象が薄かったせいで、
一致団結で戦うシーンでも、今一つ心にぐっとくるものを感じなかった。

「苦しみや障害をほとんど乗り越えていないメンバー」
おそらく私の中で彼らを「他人」と捉えているのだと思う。

実際は苦しんだり障害があったりするんだけど、
キャラ一人に絞った話を出して魅力を深堀していないせいか、
「赤の他人が話に入ってきている」印象を持ってしまった

脚本家らはわかってると思うんだ。プロだもの。

後2クール、最低でも1クール余計な話を入れれば、他隊員の面白さをもっと掘り下げられただろう

トリガーを見ていて一番思ったよ。

来週からクロニクルをやるそうだ。
クロニクルを削っていいから、もっとトリガー本編入れてほしかった。

隊員みんな個性があって面白い人たちだから、
彼ら一人に焦点を当てるだけで、色々面白い話が作れるもの。

焦点を当てるといえば、最終回の隊長はとにかくかっこよかった

 

本編と余計な話のバランス

ウルトラマントリガーも面白かった。異論はない。
だからこそ惜しいと思う箇所がいくつかあった。

トリガー全編を見た感想として、

「いきなりコレが来られた時、感動より違和感が先に立つ」

反対に

「きちんと順序立てているから、アレが来た時に感動で来て深い印象を残す」

コレとはトリガーで言うところの「前振りもなくいきなり子どもの応援」や、
「個別キャラを掘り下げた話をしない」まま、本編へ突き進む状態を示す。

一方イグニスの生い立ちやキャラと理念のバランス、
そして最後は味方となって戦ってくれるシーンは、
きちんと順序立ててイグニスを掘り下げているから感動した。

イグニス演じた細貝圭さんは「ゴーカイジャー」だと、
冷血で無慈悲、仲舛ら平気で見捨てる海賊バスコを演じている。

イグニスもバスコと同じ展開になるのか……思ったが、
きちんとイグニスはバスコと正反対のキャラになり、本当によかった。

最終回に向けて、いかに読者へ感動を与えるか。
視聴者も一丸となって敵を倒す気持ちを抱かせるか。

ドラマに興ざめする違和感を与えず、作品にのめりこんでもらうか。

他作品を批判する理由は自分が気持ちよくなるためでなく、
「やったほうがいい・やらんほうがいい」など、
制作基準を見つけて自分の創作に応用していくためだ。

トリガーは物語作りにおいても勉強となった。

いい作品を出していただき、監督や脚本家、スタッフらに感謝します

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。