※画像元:メアリ | タキ #pixiv
おはよう、しゃしゃ。
9月になった。2018年も後半だ。
あと数か月でクリスマスからお正月、早くこないかなあ。
さて、昨日は日テレで「メアリと魔女の花」を放映した。
「メアリと魔女の花」の感想をツイッターや2ちゃん、
まとめサイトのブログを拾っていくと、色々考えさせられた。
いくつか取り上げたい。
なお、私は仕事があって、メアリと魔女の花を見ていない。
だからメアリと魔女の花の感想は述べぬ。
あと、メアリと魔女の花の印象を落とす記事ではないからね。
作る事が目的になっちゃって……
「作る事が目的になっちゃってて、何の為に作るのか、どうして作りたいのかが無いやつ
しかも残念な事に、そういう奴に限って技術力だけはあって見た目は良いモノを作れてしまうから、見た目だけのカラッポの作品ができあがってしまう。「温厚なクリエイター」ってのは大体そういうタイプ
メアリの感想というより監督への想いについて、
もっとも考えさせられたコメントだ。
私も作品を作っていると、「作ることが目的」になってしまい、
理念よりも期限までに商品を納める思考や、
「疲れたから、とにかく作品を進めないと」考えを先に立たせると……
結果として「話に矛盾がある、起伏がない」ものを作ってしまう。
企画段階では「なぜ作るのか?」があるのだけど、
造っているうちに「いろいろやるべき作業」をこなすうち、
どんどん「作る目的」を忘れてしまう。
特に書いた作品を読み直すと、恥ずかしい気持ちが先に出てしまい、
じっくり評価する姿勢から逃げてしまう。
このコメントが最も私の中で他人事でないと思った。
ちなみにこちらにも似た言葉があった。
作家性(思想やこだわり)が無いと、単なる「消費物」にしかならない
物語の描き手としてはこだわるほど、深い設定ができるし、
細かな読者層(ターゲット)も想定できるよ。
「この台詞」に至るまでの過程を描ききれてない
「魔法なんていらない」が陳腐なうえに唐突
この台詞に至るまでの過程が全く描ききれてない
結局この主人公は魔法の力に頼りまくってたわけだし
あの花でヤバい実験しなけりゃいいだけじゃんとしか思えない薄っぺらさ引用元:http://yaraon-blog.com/archives/134505
名言や決意、覚悟といった「感情的に最高潮(物語のクライマックス)」
となるシーンでの発言だ。
その言葉へ至るまでにどんな紆余曲折があったのか?
第三者が見ても紆余曲折が分かるようなシーンを描かないと、
「確かに大切なんだけど、なんか唐突だなあ」思ってしまう。
「言葉の重み」を意識したシーンを描く際、
重みを第三者に伝わるようなエピソードを入れているか?
いい加減に書いて、作品を消化していないか?
今の自分に当てはまるじゃないかと感じたよ。
舞台を含む設定を活かしきれていない
「せっかく魔法と地上など、いくらでも話を膨らませる要素があったのに、
作中内で大きな設定をあまり使わなかった。もったいない」
設定を活かし切れていないという部分も自分に突き刺さるよ。
活かしきるには「舞台が主人公にどう影響を与えるのか?」と、
舞台や登場人物の役割を今一度検討せねばならぬ。
私の場合、作品を書いているうちに、
先へ進めようという気持ちが前に出て、設定を忘れやすい。
単に読み直すだけではだめで、
書いたらいったん、最終確認を行う前にまとめねばならぬが、
とても時間がかかるし大変だ。
主人公が解決すべきことを……
話の構成が下手だなこれは。最後の大事なところもピーターが解決しちゃってドジな主人公メアリが成長して解決しなきゃいけないところだと思うんだけど…これだと結局何がしたかったのか分からない
引用元:『メアリと魔女の花』を観たツイッター民の反応www
一番の解決を脇役でなく、なるべく主人公にさせる。
そのために主人公がいるのであり、
主人公がすべき重要な仕事を脇役にやらせたら、
だれが主人公なのかわからなくなる。
主役と脇役の違いを抑えていると、
最後はできる限り「主人公に華をもたせ」ようとするよ。
※できる限りと書いたのは、作品によっては脇役がやるべき部分もあるから。
主人公と脇役の違いは何か?
キャラクターを作るとき、きちんと押さえているか?
人や背景その他に厚みを感じるか?
宮崎駿の凄さを再認識させられた。
具体的には世界の構築力の圧倒的な差異。
宮崎作品には積み重なった人々の歴史や重みがそこかしこから見て取れる。引用元:http://news4wide.livedoor.biz/archives/2198770.html
世界の構築力として、積み重なった人々の歴史や重みについて、
コマ一つにちらほら見て取れるシーンだ。
私は物語を書くとき、そこまで意識していないから、
「積み重なる重みや歴史」は勉強となったよ。
悪役に魅力がない(ただの嫌な奴)
米林は毎度悪役に魅力がない。ただの嫌な奴なんだよな
もう少し、その主義主張に部分的にでも共感できるものがある悪者が欲しい。主人公を困らせるだけじゃダメだ
魅力のないキャラクター、話を進めるためだけの単調な台詞回し、活かし切れなかった学校や魔法という舞台装置、一貫して感じられなかった監督のテーマ。なにもかも薄味引用元:http://gahalog.2chblog.jp/archives/52447446.html
悪役に共感するには、悪役の主義主張が視聴者にとって、
「それわかるわあ」指摘できるところがあればいいんだね。
「主人公を困らせるだけではだめ」という部分も重要だ。
悪役は単に悪い人ではない。彼は単純に何かがあって、何かをしたがっている。
結果、主人公側と考え方や生き方、信念が対立するから、
悪役になってしまうだけであり、見方を変えると主人公も悪役だ。
ちなみにこちらの悪役はコミカルで楽しいが、
ウルトラマンに関する定義と理念があり、
主人公側と敵対しているから対立している。
愛染さん、最新話を見てますます好きになったわ。
監督じゃないけれど自分への批判として読む
※画像元:メアリと魔女の花 | lora #pixiv
メアリと魔女の花に関する批判意見を集めた。
メアリと魔女の花の印象を下げるための記事ではない。
メアリの映画について、良かったと述べる人も多かったよ。
実際に良いかどうか、しゃしゃが見て確認してほしい。
今回の記事は「自分に向けての批判」として書いたよ。
私は米林宏昌監督でなく、第三者の人間だ。
彼と私の共通項があるとすれば、私も彼も作品を生み出している部分だ。
(メアリと魔女の花は原作がある)
彼に対する批判は「作品を生み出す一人の人間」として、
現在の自分にもあてた批判としてみている。
「いい加減な気持ちで作品を作っているよね」今の自分に伝えている。
当事者意識であり、作品に対する危機管理の一つでもあるよ。
私は第三者に対する批判の中でも、
「この批判は自分にも当てはまるかもしれない」思ったら、
「かもしれない→自分そのもの」と置き換えている。
他人の失敗を「自分の失敗」ととらえれば、
自分も彼と同じ間違いを犯す確率は少しだけ減る。
※ 確率が減っても、彼と同じ失敗をやらかす可能性はある
物語を書く際に気を付ける箇所まとめ
- 何の為に作るのか、どうして作りたいのかといった理念がないと、作成が目的となり、中身がないと評価されやすい
- クライマックスに出す発言について。そこへ至るまでの過程を描いていないと、ありふれたつまらないものとみなされやすい
- 舞台や背景に場所、小道具など必要な要素は作品内において「どんな意味」を持っているか、自問自答した際、すぐに答えられるか? 答えられなければ、何も考えていないのと同じ
- 主人公の役割(障害や克服など)を抑えているか、脇役の立場と役割を抑えているか?
- 悪役(対となる存在)に理念や主義、主張、物語があるか。泣ければただの嫌な奴とみられ、悪役の威厳がなくなる
記事を通してまとめたよ。
しゃしゃが物語を書いているなら、
この部分だけでもコピーして保存したほうがいい。
蛇足として記事を書いている場合
- いつどんな時(誰が)あなたの書いた記事を読みたくなるか?
- 自分を含む読み手のどんな悩みに答えた記事を書いているか?
- 記事を読んだ後、読者にどうしてもらいたいかを考えているか?
他にも試行錯誤を重ねるうち、確認事項が増えると思う。
ちなみに一部はこちらで書いているよ。
私の記事にある裏側(アクセス解析など)について触れているよ。
メアリと魔女の花の感想を一言で書くなら……メアリかわいい。