
ども、しゃしゃ。
久しぶりに読み応えのある本と出合った。
クライブハミルトン著「目に見えぬ侵略」だ。
とても分厚く某出版形式の小説を思い浮かべる。
分厚いのにとても読みやすく、考えさせられる内容だった。
チャイナについて深く分析をしており、
特に「愛国心」については衝撃を受けた。
中国の愛国心は倍返しの気持ちがある
クライブさんはチャイナの愛国心について述べている。
簡単に述べると、今までチャイナはほかの国にいいようにされてきた。
もちろんほかの国の一部日本は含まれる。
だから今度はほかの国にやられるばかりでなく、
こっちからやり返して、強くたくましい国を創ろう。
呼んでいるうちに「ナチス」というか、ヒトラーの演説を思い浮かべたよ。
ヒトラーの演説も「ゲルマン民族」をテーマに、
自分たちは迫害されている(当時第一次大戦で負けた国)。
だから今こそ立ち上がろうと演説を行った。
ほかの国に対して目に見えない攻撃を行う。
攻撃を通して「いかに自分たちが凄いか」が、
チャイナの愛国心と定義していた。
愛国心はどういう時に現れるか?
日本でも愛国心教育を行っている。
私の思う愛国心とは「結果として感じる」気持ちだ。
日本もいろいろある。善悪長短誉愚色々だ。
日本史を読めば日本人の様々なエピソードを堪能できる。
日本史の教科書だけでは拾いきれないエピソードを、
漫画や小説をはじめとした読み物で堪能できる。
くわえて現在の日本人や日本としての動き、
大手メディアが伝えない情報をいろいろ読み取り、
総合判断で日本の真実を知る。
結果「色々あるけど、日本っていい国だな」
気持ちが愛国心だと私は考えている。
「色々あるけど、やっぱ日本は嫌だな」思った場合、
「この国はいろいろいいな」思って国籍を変えるだけ。
日本には憲法で国籍を変える権利がある。
「この国は嫌いだ、だから俺好みに変える」
気持ちは愛国心ではないと考えている。
私にとっての愛国心は総合判断だ。
いいところもあれば悪いところもある。好きなところもあれば嫌いな部分もある。
色々あるけど、総合的に見て「好き」だな。
「好き」だから大切にしたいし、
変えたいと思う部分はどんどん良いほうに変えていきたい。
私が思う愛国心と定義が違うからこそ衝撃も大きかったよ。
愛国心は「理念」であり「計画+行動」につながる動機だ。
オーストラリアの侵略と攻防
目に見えぬ侵略はオーストラリアに対する、
チャイナの動きや対策を中心に載せている。
いかにしてチャイナは上を掌握していったか。
掌握しながら「精神征服」を図っていったか。
精神征服とは見た目オーストラリア人が実権を握り、
オーストラリア人によって未来のおーすとらりを担う。
しかし心はチャイナであり、
オーストラリアに見えて実はチャイナのために動き、
最終的にチャイナの間接領土となっていく。
ポイントとしてオーストラリア人のためにも行動を起こすが、
優先度はチャイナ(他国)第一であり、自国は第二思想だ。
日本でも一部の自民党議員が叩かれているね。
日本がひどい状況なのにチャイナ第一、
日本第二と優先度を間違えた対策をとるのはおかしくないか?
何もかもが相手国第一でなく、
多くは自国第一なんだけど、肝心部分は他国第一に動く。
オーストラリアで起きているチャイナの戦略について、
深く掘り下げて書いており、読んでいて恐ろしくなったよ。
一方チャイナの視点に立つと、
「こいつを押さえたら自国はより有利になる」と、
主要ポイントをきちんと押さえており、ただただ驚くばかりだ。
いくつかの立場で読んでみよう

目に見えぬ侵略は最低でも二通りの読み方ができる。
- 日本が置かれている立場=日本の立場
- 侵略側の立場=チャイナの立場
小説を書く人なら「攻める側の視点」として、
同時にオーストラリアなら「守る側の視点」として読める。
自分の仕事や趣味と掛け合わせて読むと、
目に見えぬ侵略からいろいろ教訓を得られる。
ビジネスなら仕掛ける側の視点、
そして仕掛けられる側の防衛対策と読めば、より複雑で面白く読める。
はじめは何も考えずに読む。
今、私は日本人で日本にいるから「日本の立場」として読める。
日本の立場だけで読んだ後は「向こうの立場」になって読む。
向こうの立場といっても向こう側の人でないから難しい。
ただ「なるほど、こういうところに攻めるポイントがあるぞ」
自分に語り掛けるようにして読みつつ、
気になったところはノートをとると、教訓に気づきやすい。
もちろん日本の視点としても気になる個所はノートをとり、
自分の言葉でまとめていくと、広い視野を得られる。
さっと読むだけならすぐ終わるが、
「今後の自分をも左右」するならじっくり読まねばならぬ。
「向こうの詳細な手口を知り、めちゃくちゃ気をつけたい。
周りの人にも注意喚起を促したい」
思っているなら今すぐ手に取って呼んで診よう。
本来こういう読み物は「一部の人」にしか読めない文章だが、
翻訳者らのおかげで「誰にでも読める」文章になったの、大変ありがたい。
私たちは「誰でも読める文章」を読める事実こそ大切にせねばならない。
目に見えぬ侵略はチャイナだとまず販売されないし、
誰でも読める文章ではないから、
「まさかこんなこと」が現実に起きているとは!
私たちは知らないまま時を過ごしてしまう。
「誰でも読める」事実を本当にかみしめてくれると嬉しい。
私は著者でないが、作品を書いているからこそ強く考えるよ。
