こんにちは、しゃしゃ。
ツイッターにおいて、こんなツイートがあったよ。
「戦争反対の広がり、子どもたちに見せたい」安保法案に反対する「ママの会」が会見 http://t.co/tGRRHMzgkf 渋谷みたいな平和なとこでやらないで、天安門とか紛争地なんかでやってこいwww
— kei♡冷麦派 (@hallelujah25319) 2015, 7月 14
私はこのように答えたよ。
平和なところでしか出来ないってのが、彼らの限界だよね。 https://t.co/eaFjeNf7cf
— 千賢光太郎 (@megabi0) 2015, 7月 14
考えてみれば、しゃしゃ日記は政治の話題が多いね。
それだけ考えてもらうべき分野があるからなんだけど、
今回、考えてもらう部分はここ。
平和な場所でしか戦争反対を訴えられない原因って?
なぜ、平和な場所で「戦争反対」を訴えるのか?
危険な場所こと戦場でなぜ「戦争反対」を訴えられないのか?
答えはもちろん、自分が死にたくないからだよね。
言われなくたってわかっているよ。
でも、戦場で「戦争反対」を訴えることによって、
それだけ周りの反応も大きく変わってくると思うんだ。
もちろん、多くの人は苛つくだろう。
「今、他国が責めてきているのになんで戦争反対なんだ?」
それをきちんと説明できるかどうかが1つの鍵だね。
まあ、説明できないと思うけれど……。
日本という、70年経って武力争いが起きていない国で、
「戦争反対」を堂々と言えるのは、武力による攻撃が無いからだ。
もし武力や権力によって、
彼らが逮捕されるとしたら、こんな運動は起きるだろうか?
人権弁護士をたっくさん逮捕した中国において
「軍備拡張大反対」「無駄な争い大反対」
を言ったら、どうなるんだろう?
言われなくてもわかっているよね。
日本は自分の意見に対し、取り締まる法律はない。
「言論の自由」として、基本的人権の中(自由権)で保障している。
だから言ってもいいんだ。
もし、自由のない国でこのような発言をしたら、
取り締まられて罰を受けることも覚悟し無くてはならない。
だから出来ない。怖いから。
自分の精神と深く関わっている
さて、平和な場所でしか反対を訴えることが出来ない。
これは何も戦争と言った政治だけに関わる話じゃない。
例えばアニメの批評において、本人を前にして堂々と批判することは覚悟がいる。
ツイッターなど、相手の表情が見えないところで言うなら、まだ覚悟はいらない。
自分は隠せばいいのだから。
でも、自分の顔をさらされた部分で、作者と面と向かい、批判する。
結構覚悟いるよ。間違えると自分が恥ずかしい目にあっちゃうからね。
でも、これもまだ生ぬるいレベルだ。本当にきっつい部分は自分自身の成長だ。
自分自身が向かいたい場所がある。例えば「自分は作家になりたい」と決めている。
でも、いざやろうとしてもなかなか動けない。批判が怖い。下手くそだとバレたら怖い。
名誉が傷つけられたら怖い……
自分がなりたいものというやつは、
大きな夢であればあるほど、人の目にさらされやすい。
しかも「あいつ変な人」といった感じでさらされる。
それに耐えうる人は大丈夫。でも、多くの人はそうではない。
やっぱり耐え難いんだ。だから遠回りする。
遠回りしながら、すでに批判されている人達に対し、
偉そうなことをつぶやくんだ。これは私もあることだから、怒らなくていい。
偉そうなことをつぶやくくせに、「じゃあお前はどうなんだ」と言われると、
「いや、私は関係ないから」といって逃げる。
本当は関係ないわけがない。むしろ関係を持ちたい側なんだ。
でも、そこに飛び込むと、知らない人から批判されたり、
知られたくない部分まで知られる可能性がある。
本当に知られるかどうかもわからないのに、
不安な未来ばかり予想してしまうんだ。
これはまさに平和な場所で「戦争反対」を訴えているのと同じ。
訴えている側は確かにこう思うだろう。
「私達は世界の平和に貢献しているんだ、
日本が平和になれば、世界も平和になるし、
第一日本が戦争する国になったら私達が兵隊になってしまう」
でも、実際に戦場にいる人や
それに近い分野で働いている人から見ると、
「もうちょっと周りを見てから言ってくれないか。
現実に今、中国が領海侵犯を繰り返しながら迫ってきているし、
他にも、武力はなくても情報戦で後れを取っている」
どちらの言い分も確かにあっている。
どちら側に対して共感を得るか?
後者は明らかに実際の現場を把握し、向き合っている人だ。
実際の現場を把握し、向き合う。
これは自分自身の未来と現実にも言える。
今、作家になりたい。
そのために今、できることをしている人は現場主義者。
なりたいけれど、怖い。
そこで他人が書いた文章を批評家として、ケチをつけているか。
そういう人は理想主義者。
もし、なりたいものがある場合、必ず命を賭けて向き合うべきだ。
何度かは逃げてもいいんだけど、必ず戻って向き合うこと。
戦場で「戦争反対」を訴える覚悟が必要になってくる。
暑いねえ、しゃしゃ。
一言
「自分がやりたいことに関し、遠くからあーだこーだ言わず、
身近なところで自分自身と接し、闘いながら生きていこう」
なお、この本を読むと、さらに気合が入るよ。
自分の中に毒を持て―
あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)
他にこちらの記事も参照したほうが良いよ。
彼の運命と決断を考える良い機会になるし、
彼の考え方も戦場で戦争反対を訴えるようなものだからね。