こんにちは、しゃしゃ。
ツイッターにおいて、こんなツイートがあったよ。
「戦争反対の広がり、子どもたちに見せたい」安保法案に反対する「ママの会」が会見 http://t.co/tGRRHMzgkf 渋谷みたいな平和なとこでやらないで、天安門とか紛争地なんかでやってこいwww
— kei♡冷麦派 (@hallelujah25319) 2015, 7月 14
私はこのように答えたよ。
平和なところでしか出来ないってのが、彼らの限界だよね。 https://t.co/eaFjeNf7cf
— 千賢光太郎 (@megabi0) 2015, 7月 14
考えてみれば、しゃしゃ日記は政治の話題が多いね。
それだけ考えてもらうべき分野があるからなんだけど、
今回、考えてもらう部分はここ。
平和な場所でしか戦争反対を訴えられない原因って?
![狐](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2014/10/k7y-300x168.jpg?resize=300%2C168)
なぜ、平和な場所で「戦争反対」を訴えるのか?
危険な場所こと戦場でなぜ「戦争反対」を訴えられないのか?
答えはもちろん、自分が死にたくないからだよね。
言われなくたってわかっているよ。
でも、戦場で「戦争反対」を訴えることによって、
それだけ周りの反応も大きく変わってくると思うんだ。
もちろん、多くの人は苛つくだろう。
「今、他国が責めてきているのになんで戦争反対なんだ?」
それをきちんと説明できるかどうかが1つの鍵だね。
まあ、説明できないと思うけれど……。
日本という、70年経って武力争いが起きていない国で、
「戦争反対」を堂々と言えるのは、武力による攻撃が無いからだ。
もし武力や権力によって、
彼らが逮捕されるとしたら、こんな運動は起きるだろうか?
![中国国旗](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2015/06/3e85.jpg?resize=200%2C145)
人権弁護士をたっくさん逮捕した中国において
「軍備拡張大反対」「無駄な争い大反対」
を言ったら、どうなるんだろう?
言われなくてもわかっているよね。
日本は自分の意見に対し、取り締まる法律はない。
「言論の自由」として、基本的人権の中(自由権)で保障している。
だから言ってもいいんだ。
もし、自由のない国でこのような発言をしたら、
取り締まられて罰を受けることも覚悟し無くてはならない。
だから出来ない。怖いから。
自分の精神と深く関わっている
![えらいこっちゃ](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2015/06/jy-298x300.jpg?resize=298%2C300)
さて、平和な場所でしか反対を訴えることが出来ない。
これは何も戦争と言った政治だけに関わる話じゃない。
例えばアニメの批評において、本人を前にして堂々と批判することは覚悟がいる。
ツイッターなど、相手の表情が見えないところで言うなら、まだ覚悟はいらない。
自分は隠せばいいのだから。
でも、自分の顔をさらされた部分で、作者と面と向かい、批判する。
結構覚悟いるよ。間違えると自分が恥ずかしい目にあっちゃうからね。
でも、これもまだ生ぬるいレベルだ。本当にきっつい部分は自分自身の成長だ。
自分自身が向かいたい場所がある。例えば「自分は作家になりたい」と決めている。
でも、いざやろうとしてもなかなか動けない。批判が怖い。下手くそだとバレたら怖い。
名誉が傷つけられたら怖い……
自分がなりたいものというやつは、
大きな夢であればあるほど、人の目にさらされやすい。
しかも「あいつ変な人」といった感じでさらされる。
それに耐えうる人は大丈夫。でも、多くの人はそうではない。
やっぱり耐え難いんだ。だから遠回りする。
遠回りしながら、すでに批判されている人達に対し、
偉そうなことをつぶやくんだ。これは私もあることだから、怒らなくていい。
偉そうなことをつぶやくくせに、「じゃあお前はどうなんだ」と言われると、
「いや、私は関係ないから」といって逃げる。
本当は関係ないわけがない。むしろ関係を持ちたい側なんだ。
でも、そこに飛び込むと、知らない人から批判されたり、
知られたくない部分まで知られる可能性がある。
本当に知られるかどうかもわからないのに、
不安な未来ばかり予想してしまうんだ。
![5513](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2015/06/5513-288x300.jpg?resize=288%2C300)
これはまさに平和な場所で「戦争反対」を訴えているのと同じ。
訴えている側は確かにこう思うだろう。
「私達は世界の平和に貢献しているんだ、
日本が平和になれば、世界も平和になるし、
第一日本が戦争する国になったら私達が兵隊になってしまう」
でも、実際に戦場にいる人や
それに近い分野で働いている人から見ると、
「もうちょっと周りを見てから言ってくれないか。
現実に今、中国が領海侵犯を繰り返しながら迫ってきているし、
他にも、武力はなくても情報戦で後れを取っている」
![AIIB不参加の大小は](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2015/06/w-300x231.jpg?resize=300%2C231)
どちらの言い分も確かにあっている。
どちら側に対して共感を得るか?
後者は明らかに実際の現場を把握し、向き合っている人だ。
実際の現場を把握し、向き合う。
これは自分自身の未来と現実にも言える。
今、作家になりたい。
そのために今、できることをしている人は現場主義者。
なりたいけれど、怖い。
そこで他人が書いた文章を批評家として、ケチをつけているか。
そういう人は理想主義者。
もし、なりたいものがある場合、必ず命を賭けて向き合うべきだ。
何度かは逃げてもいいんだけど、必ず戻って向き合うこと。
戦場で「戦争反対」を訴える覚悟が必要になってくる。
暑いねえ、しゃしゃ。
一言
「自分がやりたいことに関し、遠くからあーだこーだ言わず、
身近なところで自分自身と接し、闘いながら生きていこう」
なお、この本を読むと、さらに気合が入るよ。
自分の中に毒を持て―
あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)
![毒をモテ](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2015/07/50.jpg?resize=175%2C250)
他にこちらの記事も参照したほうが良いよ。
彼の運命と決断を考える良い機会になるし、
彼の考え方も戦場で戦争反対を訴えるようなものだからね。
![お願い](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2018/05/sheare2.jpg)