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おはよう、しゃしゃ。
民進党が解党し、希望の党へ合流するそうだ。
私には民進党が希望の党を背乗りするとみているよ。

小池百合子さんが代表「希望の党」はどうなるか。
今回の選挙は自民党より「野党の戦い」が面白い。

ところで「民主党」として政権をとった民進党が、
まさか今日になって解党の動きへ至るまで弱くなるとは。

気づいた要因を通し、私たちの生き方を見つめ直していこう。

 

振り返る民進党の仕事

民進党の仕事といえば「自民党への文句」のみだ。
一人ひとりの議員はきちんと仕事をしているのだろうが、
テレビやラジオ、ネットだけを見ていると、文句ばかりだ。

民進党議員の一人一人が普段から、どんな仕事をしているか?
メディアに出てこない情報だから、私たちはわからない。

虎ノ門ニュースで青山繁晴参議院議員がコーナー内にて、
「○○議員らと一緒に、こんな会議へ参加した」
視聴者へ報告し、初めてわかる程度だ。

現在のリーダーへ文句を言うのはいいが、
文句を言う側がいざ「リーダー側」へ立ったとき、
批判していたリーダーよりも「素晴らしい動き」をとれるのか?

絶対にそうはならない。

 

過去の自分が今の自分を縛る

過去、リーダーに対して「お前の考えは間違っている」
批判して数年たち、今度は自分がリーダーになった。

すると自分の行動が過去のリーダーをほぼなぞり、
「かつて批判していた自分」から「お前の行動は間違っている」
他者(人やライバル、メディアなど)の指摘を通して言われる。

過去の自分が発した言動に縛られ、身動きが取れなくなるよ。
他人の批判は軽いんだよ。たとえ親しい人でも。

自分が「別な自分」に伝える批判ほど、心を蝕むのよ。

 

リーダーになって初めてわかる「覚悟」

相手を批判する側から「される側(リーダー)」へ立つと、
前のリーダーがいかなる気持ちで仕事をしていたか。
今までどれだけの情報が入ってこなかったか。

色々気づかされてしまう。
その後、様々な決め事にて「決断」をせねばならぬ。

決断を間違えると、多数の国民に絶望を与え、
数字(主に経済指標)となって現れる

絶望に打ち勝てず、死ぬ人もいる。
リーダーは「多数の命・未来」を握っている。

「そいつが死のうが関係ない」そう思うだろうけれど、
心の中にいる裁判官は「お前が殺したんだ」己を責める。

批判している時にはわからなかった部分が、
いざされる側になって初めてわかってしまう

その際、覚悟をもって決断できるか。
どんなことがあっても「決めた人の責任」になり、
堂々と立ち向かう覚悟を持っているか。

相手を批判してばかりいると、
「いざ」というとき、何も決められず(決めないという覚悟をもつ)
有権者からは「無能」とみなされるんだね。

 

リーダーの自己保身

他人が悪いことをしたら「悪いことをしている」指摘できるが、
自分の場合は「他人から嫌な指摘をされたくないなあ」思ってしまう。

そこから「自己保身」が生まれる。
加えて自分を第一優先し、他人はすべて「後回し」だ。

リーダーでない立場なら別にいい。

リーダーで「自分の地位を第一優先」をやってしまうと、
本人は「大丈夫」に見えても、リーダーにつきそう人達は、

「なんであいつだけいい思いをしているんだ。俺たち、あいつに裏切られた」

今まで信じて行動していたのに、突如、置き去られた気持ちを抱くよ。
反動が生まれ「ファン→アンチ」へ変わる。

議員は基本、有権者の「代表」として国会に来て仕事をしている。
議員を「代表」として支持した人達よりも、
「今後の自分」を考えてしまい、他人が目に入らなくなる。

心に余裕(ゆとり)を持てず、自分の生き方しか考えられない
リーダーは自分「以外」の考えをもつ余裕がなければできぬ。
自分の未来「だけ」を考える時点で、リーダーとしてふさわしくない。

 

じゃあ、自分はどうなの?

自己保身に走りやすい、他人に厳しく自分に甘い人は
たいてい「他人の行為に対し、自分がどうなんだろう?」を考えぬ。

例えば「差別者を批判」していたジャーナリストのツイッターが凍結した。
差別者を批判しておきながら、彼も差別言動を繰り返していた。

差別言動をする人々を批判する際、
「じゃあ、自分の発言はどうなんだろうか?」

他人の事例を通して「自分を振り返る」機会に気づかなかった。
他人の事例は「自分の本質(潜在意識)に気づくチャンス」だ。

しゃしゃが記事を通して民進党の要因を見たとき、
「じゃあ私(しゃしゃ)はどうだろう?
自分も他人に厳しく自分に超甘いところ、
自分を優先して他人を蹴落としている部分はあるのか?」

自分に疑問を投げかければ、今後の生き方に影響を与える。

私も振り返ってみた。
私も他人に厳しく、自分に超甘い行動をしていた。

わかったら、次は気を付ければよい。

「いやいや、私はそんなこと、絶対にしないから」
一番いけない。己を知るチャンスを捨ててしまうからだ。

人は他人や自分の行動を通し、自分に疑問を投げかけて、
初めて「自分の本質」に気づく。

本質を知ったら、変えるかそのままでいいか?
内面を変える選択肢に気づく。後は選ぶ。

 

他人を指摘する快感の裏に

「じゃあ、お前はどうなんだ?」自分の生き方も問われる。
「自分は許される、やっても批判されない」考えた場合、
「なんでみんな、私を責めるの!」な未来が待っている。

有名な例だと山尾志桜里さんの不倫だ。
彼女の不倫がばれる前、宮崎議員の不倫を厳しく批判した。

「まさか」自分が不倫をしている側だったとは。
追及する側→される側に変わった後、彼女は逃げた。

宮崎さんは議員を辞職したが、山尾さんは離党で辞めていない。

「自分が他人に対して言った『かっこいい発言』を、どうして己がやらない」
批判意見を結構見たよ。私も思ったし。

人を激しく批判する怖さは「いざ自分がそうなったら?」にある
常日頃から人を批判、馬鹿にする、愚痴や嫉妬を述べる場合、

「自分がそうなっている(批判され、嫉妬され、馬鹿にされ)」
思わないんだよね。自分は「例外」だから。

どんな聖人でも「生き方」に関しては、
「他人は許されなくても、自分は許される」事例などない。

自分も「他人の一人」考えたうえで、行動しよう。
自己保身や他人に厳しく自分に超甘い考えは、
気を抜くと「未来の自分」もやらかすから気を付けねばならぬよ。

しゃしゃもお互い、気を付けようね。

 

おまけ:高慢で気品な人

何か

インスタグラムでイラストを上げています。
イラストは少し高慢な女性を思い浮かべ、描きました。
気品があって、自分に自信がある姿。

自分に自信があると、決断→覚悟にも逃げません。
(逃げても、逃げられないけれど)

普段はいいことを言っても「いざ」というとき、己の本質が現れます。
私もいまだに、いくつかの分野で「弱いなあ、自分」に気づくのです。

言葉で宣言した通りに生きる、難しいですね。
だからこそ、少しでも実行している人はすごいと思うのです。

私も少しはやっているから、それはそれですごい。
しゃしゃも10あるうちの1つでも実行したら、自分を褒めましょう。

「やるじゃん、○○(しゃしゃの名前)、すごいじゃん、○○」

自分を褒めたら、得体のしれない喜びと力を得ますよ。

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