おはよう、しゃしゃ。
しゃしゃは体が痒くて悩んでいる?
アトピー皮膚炎で悩んでいる?
私は何が原因かわからないけれど、
アトピーがぶり返して、辛い日々を送っている。
少しずつ回復に向かっているのだけど、
体をひっかく寸前の「自分」に気づいたんだ。
医療でなく哲学の話だよ。
自分の体が「許せない」
「ありのままの自分を愛する」ほど大変なものはない。
口では簡単に言える。「自分が大好き」って。
しかし行動となると、とても難しい。
自分のある行動が、まさか自己否定につながっているとは……
私の頭はどういうわけか、
「体をひっかいたら、そのうちきれいな肌が生まれる。
かゆいときに塗り薬をつけたら、そのうち肌が回復する」
変な想いこみ、先入観にとらわれている。
塗り薬を付けたものの、時間がたつとひっかいてしまう。
そのとき、自分の心理に気づかされた。
「もしかして、私は自分の肌を許せていないのでは?」
自分の肌を鏡で見る、思い浮かべると、
かさぶたや皮膚がめくれて粉がふいている状態で、
湿疹に煩わされない人に比べると、とても汚く醜い。
汚くて醜い「自分の肌」が許せない。
「自分の肌を拒む」ために、肌を気にしていじってしまう。
気にする→刺激が落ちてひっかきたくなる→
かいた後、薬を塗る→時間がたつとまた気になる……
汚い・醜い部分を愛してみた
「ひっかいて傷だらけの首や顔よ、ありがとう」と。
忌避するものに「愛」を注いでみた。
たいてい悪いものは「早くいなくなれ」思うのだが、
避けるのでなく「受け入れ、愛して」みる。
すると体へのひっかきを自力で押さえられた。
たいてい体がかゆいとき、思考は停止状態へ陥り、
体が言うことを聞かなくなる。
かゆいときは環境(強風だと、肌にピリピリと刺激が走る)、
免疫低下(先日、病院で白血球数が足りないと言われた)、
他にもいろんな要因がある。
私の場合、ひっかく場所が気になり、
手でいじるうちに刺激が走り、ひっかいてしまう。
自分の「醜く汚い」肌を拒んでいるためと考えたとき、
汚くても醜くてもいい自分を自分で愛してみた。
すると「かきたくなる心境」を自分で押さえられたよ。
「今の自分」を受け入れると免疫が上がる
私は医者の友達がいない。医者に述べても笑われるだろう。
生物学に基づいた「科学」の話でない。
「今の(醜く、汚い)自分」を愛する「哲学」の話だ。
精神世界系の本にも「ありのままの自分を愛する」書いてある。
「ありのままの自分」はいろんな形で現れる。
私のように体をひっかきそうな状態にも、
「かさぶたまみれの肌を受け入れつつ、許して愛せるか」
愛する言葉として、
「いいんだよ、かさぶただらけの肌でも」
「かゆくてもいいんだよ。愛しているから」
言葉に出さなくても「心の中」で言えるのか。
たいてい「ああ、かゆい、かゆい、早く治まれよ」
「うわあ、血だらけでもう、嫌になってくる」
「ありのまま」の自分を拒んでいるんだよね。
特に「なりたくない自分」になっている。
「なりたくない自分」に対して叱るのでなく、
「いいんだよ、その自分でも」許してしまう。
堕落した息子を叱るのでなく、
「堕落してもいいんだよ、お前がいるだけで愛している」
言っているようで、変な違和感を抱く。
でも、言われる側はほっとするんだよね。
堕落だって好きでやっているわけではない。
堕落していると「決めつけた側」が判断しており、
「決めつけられた側(堕落している立場)」はそうでない。
「かゆかったら、かいていいんだよ」
自分に言うと、かえってかゆみが引っ込むんだよね。
不思議だねえ……。
理想でない自分を愛する試練
世の中、勉強や仕事、恋愛よりも……
「今」の自分がどんな状況であろうとも、
「いいんだよ、愛しているよ」愛することが、
一番難しいのではないかと、考えている。
他人との関係もニュースもすべては、
「自分を振り返るためのチャンス」にほかならぬ。
「そのままでいいんだよ、ありがとう」という言葉。
どこかで聞いたことがあるなと思ったら……
夜回り先生こと水谷修氏が不良青年らに伝える言葉だった。
「自分はこうでなければ嫌だ」理想通りに生きていないと嫌だ。
理想を否定するのではないか?
恐れを受け入れてしまい、堕落しちゃうのではないか?
かえってかゆみが広がるのではないか?
不安を招きかねない言葉だけど……
現実を拒むから、より「拒みたくなる未来」がやってくる。
本当に嫌な未来を拒むなら反対の考え、
「拒みたい今を受け入れ、愛する」覚悟を持とう。