おはよう、しゃしゃ。
しゃしゃはイラストを描いている?
イラスト以外にも何か創作をしていない?
そこで一部の人から「下手くそ」と言われ、
「絵(他に音楽や文章など)がうまくなりたい」
思った体験はない?
私は「うまくなりたい」を目指さないほうが良いのでは?
考えるようになったんだ。
うまくなるってどういう意味?

まず、しゃしゃにとって「絵がうまくなった」
状況って何だろう?
例えば「●●さんのような画力を持ちたい」思ったとする。
しゃしゃにとっては「うまい」人でも、
他人から見ると「下手くそ」思われる。
私が描くイラストも「うまい」褒める人がいれば、
「へたくそ」批判する人もいる。
へたくそと言われると、むっと感情が働くし、
「だったらお前が描いてみろよ」
突っ込みたい気持ちも現れる。
何十年も漫画やイラストを描いている人ですら、
「この人はうまいなあ」と言われる割合が多くなっても、
「こんな下手くその絵、どうしてありがたがるの?」思う人だっている。
うまい・下手は結局、主観でしかない。
誰の何を満たすか?

「絵がうまくなりたい」を目指すのでないなら、
何を目指していけばよいのだろう?
「読者・鑑賞者」が求める「何か」を提供すればよい。
とはいえ、読者が何を求めているかなどわからない。
その前に読者が目の前にいるわけでもないからわからぬ。
そこで「目の前に読者がいる」前提で描いてみる。
自分が描きたいものについて、
いったん、自分の立場をわきにおいて、
「読者」の要望として描いてみる。
「読者だったら~」という質問をしない。
「読者だったら~」は作者の視点から考えている。
「作者(私)にこういうのを描いてほしいんだよなあ~」
あくまでも読者の要望に沿って考えてみる。

例えばこちらのイラストを上げてみる。
ある喫茶店のウェイトレス衣装を描きたく、
試作段階の一つとして描いたものであり、
読者の要望を少しも考えていない。
「自分が描きたい」→「読者の要望」と、
考え方をひっくり返してみよう。
ウェイトレスの衣装を描いた
→ウェイトレス着用の女の子が見たいなあ
これだけだとわかりにくいので、
自分が描いたイラストを元に「掘り下げて」見ると、
黒い髪の毛の女の子、優しそう、むっちり体型、
中学生、立っている、スカートより短パン……
分解したうえで「読者が欲している」前提で描いてみる。
自分が描きたいものを紙に書いた後、
読者が欲しているものに置き換えてみると、
色々深く掘り下げられるよ。
「画力上達」地獄

絵を描くなら、誰もが思うだろう。
「絵がうまくなりたい」と。
そのために何年もかけて画力を向上させたが、
ある人から「下手くそやな」言われると、
「どこが画力上達のゴールなのか」
わからなくなり、永遠に苦しんでしまう。
まさに「絵がうまくなりたい」地獄だ。
地獄から抜け出すには「絵がうまくなりたい」
という考えに疑いを持たねばならぬ。
一度疑うと、自分はどこを目指しているのかが見えて来る。
しゃしゃはどこを目指すのだろう?
