
おはよう、しゃしゃ。
新年あけまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ところで、あけましておめでとうございますという言葉に対し、
「どこが明けましておめでとうだ、ちっともめでたくない!」
書いているコメントをちらほら見かけたんだ。
トルコではサンタクロースに扮したテロリストが、
深夜のナイトクラブを襲撃した。
「おめでたいこと」に対して、
「おめでとう」と言えない状況に対し、思ったことを述べる。
おめでとうは願掛け
私は「おめでたい」ことならすべて祝うべきだとは思っていない。
だから「あけましておめでとうはちっともおめでたくない」
という意見もありだ。
何しろ「おめでたい」ものの中には
「プロパガンダ」という名目で人を一定思想へ植え付ける効果がある。
見た目は「独立を勝ち取った、主権を回復した」
でも裏を見ると「戦争に勝った、勝利を収めた」が隠れている。
日本は「戦争に負けた」日を記念日にしているね。
でも、私はおめでたい日なら「乗っかる」べきと考えている。
おめでたいと人が言っているなら、
「おめでたい」と自分も言葉に出せば、
脳みそが勝手に「おめでたい」理由を探す。
おめでたくないと考えている事柄についても、
「おめでたい、ピンチが続いておめでたい。
だってチャンスがこれでもかとあふれているんだもの」
といえば、何かしらのチャンスを意識するよ。
だから、おめでたい日におめでたくないという言葉より、m
「おめでたい」といって、来年の自分が喜ぶことを、
次々とやったほうがいいんじゃないかと思ったよ。
今年もよろしくお願いします。
おまけ:2017年はどうなっていくのだろう?
2016年の正月に書いた記事を読み直しています。
予想?通り、荒れましたね。
武力による戦争は私の耳に入っていませんが、
情報やあと一歩で大きな争いになる出来事は耳に入っています。
日本では災害レベルも上がっており、
地震や火事といった「内側からの攻撃」がやってきました。
2017年の日本も新たな局面へ差し掛かる。
世の中は「楽しい・面白い」ほうへ流れ、
つまらない方には向かわない。
楽しい・面白いは必ずしも私たちが想定する面白さでなく、
ピンチも多いがチャンスもある「ギャンブル」だ。
しゃしゃにとって、今「ピンチ」と思うものはすべて、
裏を返すと「しゃしゃの価値観を変えるチャンス」へ変わる。
価値観が変わる自分を拒んではならぬ。
むしろ受け入れたうえで、改めて今までの世界を見ていく。
すると、何かを得ると思うよ。
2017年における私の課題
2016年を振り返ると、
「人が何を欲しているか」が大体わかってきた。
その考えに沿って仕事をすれば、
当たるときもあれば外れるときもあった。
2017年における私の目標は「編集力をつける」
編集力とは何か。
私が書いた文章を改めて読み直し、
「狙った通り」に編集して、読者の悩みに答えられるサイトへ変える。
クリエイターが作ったものを多くの人へ「わかりやすく」伝え、
「欲しい」と思ってもらうために編集する力。
小説家になろうやイラストを描いている時、
クリエイターの発想より「相手が求める情報」を提供する、
編集する力が必要と感じたよ。
今年もいろいろなことができればよいなあ。
