
おはよう、しゃしゃ。
ある仕事の依頼が届いた。
私にとって正直「やりたくない」仕事だ。
なのですぐにこなした。5日かかった。
途中、ほかの仕事を投げ出すほど熱中した。
熱中する自分に嫌気を覚えた。
他がおざなりになるからだ。
でもやりたくない仕事を行いながら訪ねた。
しゃしゃも今、やりたくない仕事をしているなあ。
感じているなら、すぐに質問をしてみよう。
自分の成長にどんな意味があるか?

仕事はすべて「自分が成長する」ためにある。
嫌な仕事でも引き受けた以上、
「自分の成長にどうつながっていくのか」
考えなければならない。
何も考えないで引き受けるから、
「ただのお金を得る、ストレスのたまる作業」になる。
私にとって嫌な仕事の一つが、ブログのカスタマイズ。
ある人からお金をもらって頼まれたのだけど、
カスタマイズする時間で他の作業ができるから嫌だった。
でも引き受けてしまった以上、やらねばいかん。
やるうちに他の作業がどうでもよくなってきた。
そこで自分に問いかけてみたんだ。
「今している作業にどんな狙いがあるのか」
「指導する存在」がいるとして、
彼が何かを通して私に気づかせようとしている。
その「何か」を自分で見つけなければならない。
見つけたら、すぐさま自分の仕事に応用する。
すると、仕事の成果も変わってくるわけだ。
なので、自分にとって嫌な仕事を引き受けた場合、
単に嘆くよりも「自分の成長にどんな意味をもたらすか?」
問いかけてみよう。何かに気づかされるよ。
どうして私がこんな仕事を?

この質問を思い浮かべているなら、
「仕事における全体像・役割」が見えてない。
例えばアフィリエイト、私もアマゾンや楽天など、
このブログで堂々とアフィリエイトしている。
ブログアフィリエイトを行う場合、
・ブログ
・書き手
・アマゾンなどの商品サイト
最低でも3つの条件を満たさねばならぬ。
「俺のところから紹介して儲かるといいなあ」
という考えだと「自分」しか見ていない。
「読者が今後、成長していただくために商品を伝える」
という考えをもって「周り」を見渡している。
しゃしゃに質問だ。
ブログ、書き手、商品サイトのうち、
ひとつでもかけていたらどうなると思う?
ブログアフィリエイトなんてできないよ。
ブログがなければ、いくら良い商品があっても、
紹介する人がいない。
書き手がいなければ、誰も記事をかけないから、
アフィリエイトする機会すらない。
商品を紹介するサイトがなければ、
たとえ商品の名前を紹介しても報酬が入らない。
ひとつでも欠けてしまうと崩れてしまう。
大工が家を創るとき、柱が一つでもないと不安定になり、
家が崩れて人が死ぬかもしれない。
「柱を立てる意味」をきちんと理解している人と、
そうでない人は「生きる責任」が大きく違う。
「何のために仕事をしているのだろう」
思った場合、仕事における全体図をつかもう。
おまけ:激務と時間の流れ

ここ最近、仕事が立て込んでいた。
でもインスタグラムにイラストを上げるほど時間はあった。
また小説家になろうで小説を書く時間すらあった。
激務だと思っていたけれど、そうでもなかった。
なんというか、時間は平等に流れていない。
今、しゃしゃが記事を読んでいる時間が3分だとする。
カップラーメンが出来上がる時間を待っているとする。
仕事に追われて3分以内に片づけなければならないとする。
これらは同じ3分だけど、
最も時間を感じないのが、仕事に追われている状態だ。
早く何とかしなければならん。と考えている時に使う時間は、
いつもよりも早く消費している。

でも、一番時間が余っているなあという印象を与える。
なんと言ったらいいのだろうか。
時間は平等に見えて実は不平等に流れているんじゃないか。
水の流れと同じように、1秒の間に何をしているかで、
「暇な時間」の量に差が生じるのではないか?
変なことを考えていたよ。
意味不明な文章だと思うので、あまり気にしないでね。
