おはよう、しゃしゃ。
痛いニュースで話題になった記事がある。
反原発はい人の山口あずささんが、
君が代の原爆バージョンを替え歌として作ったよ。
(君が代は著作権がないから、歌詞を載せられる)
一人の創造者として、ニュースに取り上げられた事実から、
何が見えてくるかを考えつつ、歌詞を評価したよ。
めぇだぁまぁはあ
「山口あずさと原発ゼロにする会」主宰ねぇ…。そんな会の代表なのに、よくもこんな原爆犠牲者を侮蔑する言葉を並べて原子力反対を唱えるとか、恥知らずどころか、原子力発電について何一つ本気で考えていない証左だろ?金集めしたいだけじゃないのか? pic.twitter.com/0cL88LLTmh
— Z-901ATT (@MeierLink_Z) 2016年11月14日
歌詞はすべて「ひらがな」で書かれている。
山口あずさと原発ゼロにする会として……
君が代 原爆投下バージョン
めぇだぁまぁはあ
とびでぇ ちぎれぇ
ひふは はがれ
やけのとなぁりてぇ
こけのぉむぅすぅまぁあでぇ勝手に漢字を使って置き換えてみたよ。
目玉は
飛び出てちぎれ
皮膚は剥がれ
焼野となりて
苔(焦げ?)の蒸すまで※ 山口さんによると、
「とびぇでぇ→千代に」「ちぎれぇ→八千代に」を意味する。歌詞元:フェイスブックのページより
君が代の歌詞はこちら。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで※ 君が代に込められた意味、
「みんなで困難に立ち向かい、結束し、平和な世を創りましょう」
原爆が投下された場合、本当にこういう形でなくなるかわからない。
(目玉が爆風で飛び出るかどうかもわからぬ。
飛び出る前に蒸発するだろと)
皮膚ははがれるよりも、
目玉が飛び出るという部分に恐ろしさを感じるよ。
君が代を通して「子供っぽい」行為で遊んでいるが、
いい大人が「お前のう○ち、臭い」言って笑うのと同じだ。
反原発デモがあったとき、まさか歌わないよね。
山口あずさ氏
原発反対派の人たちは、何とも思わないんだろうか?
反対賛成両派、罵りあわず冷静に議論はできんのか?
国を侮辱し、被害者を愚弄する人。
人じゃないな「人外」だな。 https://t.co/oIcE63eQx4— 鰯 源九郎 (@cat2666torajiro) 2016年11月15日
目玉は めぇだぁまぁはあ
小文字で書いている表現を見ると、
歌詞を見た人に呪いでもかけているのか?
突っ込んでしまうよ。
漫画でよく呪ってやると意思を持ったお化けが、
はっきり言葉をしゃべらずに、低い声でうなる。
(最後が大文字な理由として「君が代は」に合わせているのだろう)
原爆を食らわせたやつに呪いをかけているのか、
原爆を受けて、近くから見てなにもしない人に対し、呪っているのか。
はたまた、原爆を食らって悲惨な状態になった人を、
「近くから」見て面白がっているだけなのか。
日本人にこんな「DNA」持った奴なんていないと思います。酷過ぎます。日本と広島県、長崎県をも愚弄しています。
絶対に許せないです。#山口あずさ https://t.co/xYpFQb5WHm— Atsuhiro (@atsu_eno) 2016年11月14日
少なくとも悲しんでいるようには見えない。
むしろ原発に関わっている人をはじめ、
被ばくした人たちに対し、見下す心境さえ感じる。
もっと言うと、日本を再び焼け野原にさせたいの?
日本の価値を乏してめているように強く感じるよ。
日本の価値を自分で乏しめる言動は、
日本に住む日本人である「彼女自身」を乏しめ、
自分自身をもバカにしているわけだ。
インナーチャイルド(人の精神にいる内なる子供)からすると、
「これ以上、馬鹿にするのやめてくれ」泣き叫ぶよ。
原発と原爆
何だこれ、キモすぎて鳥肌立つわ。
天皇陛下への冒涜だ。
同じ日本人とは到底思えん。
原発反対だとしても、
こういう奴らの頭の中は反日なんであって、反原発はツールに過ぎない。#山口あずさ https://t.co/RoTZGwfkJn— minshindie 民進DIE (@JerrybellyC) 2016年11月14日
原子力発言と原子爆弾。
どちらも核融合反応によって生じたエネルギーから、
一方では電力を供給し、もう一方では爆弾を作る。
現時点では「原発」が電力供給として、
費用を抑えられ、たくさんの電気を供給できるから生み出されている。
火力、風力、水力、太陽光は環境に依存する。
私たちが「常に」一定の電力を受けるのも、
「核融合反応」によって生じたエネルギーを受け取っているからだ。
原発がゼロになったら、電力が平等に行き届かない。
「重要」なところには届くけれど、
「たいした重要でない」ところには届かない。
君が代のキチガイ替え歌で有名になった #山口あずさ 氏のFB投稿で
昨日 #アベマサハル 厨による #恥ずかしい #秋の遠足 がご覧の様子
で行われた。
この遠足の参加条件として「#アベ政治を許さない グッズ」が必要だ。
こんなグッズを見せつけてつけて参加ってまさにドMの領域だ。 pic.twitter.com/N8KCVuhJHJ— 山西四郎 (@kiteruwkiteruw) 2016年11月14日
平等にならぬという事実から、
私たちが「自家発電」をしない限り、
いつどこで「電気が使えない」状況になってもおかしくはない。
結果、電気に関して「不平等」が生じる。
日本にとって水(公共)→ダイヤモンド(希少価値)に変わる。
電気に関する「貧富の差」が生まれやすい。
「自家発電をすりゃいいんじゃね?」
できる人は簡単にやるだろう。
ただ、メンテナンスに費やす代金が生じる。
多くの人にとって自家発電が面倒だ。
なので電力会社に作業を分担させているわけ。
全原発廃炉の詔勅 http://t.co/BhokiLvGy8 @YouTubeさんから
— Azusa Yamaguchi (@Rollienne) 2014年10月11日
原発を完全になくしたい意見があるのはいいけれど、
「電力は平等に来ない→あなたの家に電気が届かない、
あなたが払う電気代がもっと高くなる」
未来も考えられるわけ。そうなる前にどう対応するの?
きちんと案があるならいいけれど、
ない場合で叫んでも「いざ」訪れた場合、どうするの?
政治家は国民に一定のルールを課す側だから、
「その後」も考えてもらわなければ困るわけ。
……まさか原発ゼロにしても、今まで通り電力がいつもの値段、
いつも通りに電気を使用できる。なんて、考えていないよね?
参照:原発と原爆の違い
呪いとタイミング
君が代でふざけた替え歌を作り、原爆投下による被害者・犠牲者を冒涜した山口あずささんについての私の朝のツイート、21時時点で45RTあった。過去最高。しかし、山口さん、息子さんがいてあれなのか。54歳であれなのか。
— はせべえ (@Yhasegawa0112) 2016年11月14日
「人を呪わば穴二つ」
他人を呪っていたら、いつの間にか自分も呪われた。
私は彼女を呪うなんて、あほなことしないよ。
自分が呪われるもん。しゃしゃもやめよう。
普通の日本人であれば、「君が代~原爆投下バージョン」とかというバカげたものを平気で書ける神経はしていないと思いますがね。
そういう意味では、山口あずさ氏はまともな日本人でないといえるかと思います。… https://t.co/0hTXfNtvei
— なつめれいな@アスリート部門 (@reina_natsume) 2016年11月13日
ところで、山口さんについて参照記事によれば、
2011年の東日本大震災を通し、
反原発を通して政治活動に参加した。
反原発を掲げ、政治家になる人間が、
「被災者の気持ちを理解できぬ歌詞」を作った。
選挙活動中に歌詞が拡散されるけれど、
有権者にとって「票を入れない」理由の一つになるよ。
煽って「特定の人」から票を集める戦略なら、
「勝手にやって、人を馬鹿にしていれば」で済むんだけどさ。
輝かしいときに訪れる落とし穴
怒りを通り越して憐れみを覚えるレベル。学歴の高さと人間としての品性の高さは必ずしも比例しない、ということをここまで如実に具現化してるのも珍しい。 #山口あずさ
— 田中真士 (@hamanobaramon) 2016年11月14日
呪いは「最高のタイミング」にやってくる。
「最も輝かしい状況」で「足を引っ張る過去」が明らかになり、
対応に追われてしまいやすい。
例えば民進党代表の村田蓮舫さん。
米国民主党のヒラリーさん。
彼女たちは「最高のタイミング」で、
「自分の足を引っ張る情報」が生まれた。
他人の追求であっても、「自分の行為」に変わりはない。
彼女も「最高のタイミング」で足を引っ張られる確率は高い。
どのように対応をとるのだろうか。
「過去の自分」に足を引っ張られたくないなら、
見下す、乏しめる、犯罪はしないでね。
脱線~プロフェッショナル~
うちの親が言った「レベルが違う」と。
道脇裕(2016年11月14日放送)| これまでの放送 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 https://t.co/MU9oeNtMFe— 千賢光太郎 (@megabi0) 2016年11月15日
昨日、家族がNHKのプロフェッショナルという番組を見ていた。
そこで「ねじ」を作っている道脇裕さんの話をしていた。
彼は小学校5年生から「人生とは何だろう」考え、
「自分はいい。みんなのために創造する」
母親がほめていたよ。
「私と見ている次元が違いすぎる」と。
昨日の「プロフェッショナル仕事の流儀」道脇裕という発明家の方。テレビ見て久しぶりに感動した。答えは常識の外側にある。常識の中だけで考えていては、不可能は不可能のまま。いつでも多くの視点で物事を考える。今を生きる天才だと思った。
— hk-PAPA (@hk_papa) 2016年11月15日
自分の人生を何とかしたいと考える人は多い。
私もその一人だったが、だんだん苦しくなるんだ。
自分に捕らわれているから視野も狭いんじゃないかと。
だからこそ私は「みんな」という言葉を使った。
『愛情が大事ですね。僕の場合は、頭で何か考えたり、発明するっていうことの原動力、指図しているのは常に自分の心なんです。心が頭を使っている。つまり、頭っていうのは心の道具であるっていうのが僕のとらえかたなんです。』(道脇裕 発明家)
— ran-ran (@verus_i) 2016年11月15日
みんなの中に「私」も含まれているから。
みんなで成長し、強くなっていけばいいんじゃないか。
みんなの中で自分おできる行為をしていこうと。
「レベルが高い」というのは、
「自分」という存在を主に考えるのでなく、
「脇」として「みんな」を主役に置く理念だと考えたよ。
この考えが今後、必要となる。
ぜひしゃしゃの友人や知人に広めておいてね。
ほかならぬしゃしゃ自身のためにも。
自分をどう見ているか

インスタグラムにてイラストを上げているよ。
道脇さんが述べた発言と、山口さんが作った君が代の替え歌。
二つの違いとして「自分」をどう扱っているか?
自分を「全体の一部」としてみているのか、
「常に自分が主役」としてみているのか。
現在、己が見ている場所によって、
「行為」一つにどのような責任が生じるのか。
私は彼女が行った行為を通し、
「しゃしゃも彼女と似た行為」をして炎上されるのを防ぎたい。
「今」自分の態度を振り返らなければ、
「最高のタイミング」にて、過去の自分が足を引っ張るわけ。
本当はやりたいことがあるのに、過去の自分に足を引っ張られると、
まともにやりたいこともできないわけ。
引っ張る足を振りほどこうとしたら、余計強く引っ張ってくる。
(自分が犯した罪を無視して、他人を攻めるなど)
他人を批判する、馬鹿にする行為は簡単だけど、
そこに「お前はどうなんだ?」尋ねなければ、
いずれ自分自身が引っ張られる立場になってしまう。
しゃしゃが記事を通してどんな感想を抱こうとも勝手だけど、
必ず「じゃあ、自分はどうなんだ?」振り返り、
少しずつ己を磨いていこう。
おまけ:カレーライス

昨日、カレーライス専門店のインディアンカレーという場所で、
野菜カレーを食べてきた。
家で作るカレーライスはジャガイモやニンジンを入れている。
けれどお店で食べるカレーライスは「野菜カレー」を注文しないと、
具だくさんの野菜が入ってこない。
近所にあるカレー店があったのだけど、つぶれたんだ。
理由は「カレールー」をケチったからだ。
カレーライス専門店における「本質」は「カレールー」だ。
値段を少し上げてでも、ルゥを増やしてほしかった。
お店の「本質」を変えたら、魅力がなくなる。
インディアンカレーはルゥがたっぷりあった。
おすすめは普通の味、辛口よりも普通がいい。
