おはよう、しゃしゃ。時折家族と政治の話をする。
よく遊びに来る姉夫婦と話をしていた。
そのとき、舛添金銭問題の話題に入った。
私の母が述べた。
「舛添都知事は内閣総理大臣になりたかった」
そこで私がこんな仮定話をした。すると……
「それは全くあり得ない」で話を打ち切る
とにかくセコイ 舛添要一都知事に文春が「新疑惑」…公用車で第九演奏会や巨人戦へも https://t.co/KROWuCdqBz pic.twitter.com/emyhH97nWP
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2016年6月12日
私「舛添さんが仮に内閣総理大臣になったら」
姉「それはあり得ない、あんたはあり得ない話をするから、
いつまでも現実が見えないし、人付き合いも少ない。
それにあんたの話、政治や経済の話ばかりじゃん」
政治や経済の話ばかりにおいて、私は反省をした。
それは置いとき、私が大いに気になった部分がここ。
「それは全くありえない」
私が「ありえない仮定話」をしたところ、
「それは全くあり得ない」と答えを返し、話を切り上げる。
「現実」に即すと「ありえない」で終わりだ。
しかし「全くあり得ないことがもし、もしありえたら」を考えると、
人物や社会を描写するうえで大いに役立つ。
世の中、いつどこで何が起きるかわからない。
「万が一の可能性」を考慮し、自分の意見を述べる。
これを怠ると、徐々に考えが今起きた現実だけに目を向け、
「未知の可能性」を閉ざしてしまう。
私はこの現象を「知の老化」と定義したい。
私は妄想・空想好き
米女性歌手がコンサート後に銃撃死 自殺した容疑者は27歳白人男 米メディア、日本のアイドル刺傷事件にも触れる https://t.co/YSmRWTIyJs pic.twitter.com/oLnr386Gg9
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2016年6月11日
現実で物事を考えるのは大切だ。
私は空想や妄想が好きであり、妻からも言われる。
「もう少し現実を踏まえ、物事を観なさい」
姉は現実で物事を捉え、私はそうでない。だから気が合わない。
(不思議なことに、芸能界の話題ならよく気が合うのだ、なぜだ)
しゃしゃはどうだろう?
生徒と先生の違い
姉との会話で大いに反省をした私。
横になっていたらこんな考えが浮かんだ。
「未知の可能性」を鍛える一つの方法は「勉強」だ。
しゃしゃは今、何かを学んでいる?
もし学んでいるなら、どうやって復習をしている?
学生時代の勉強として、先生や問題集から「問題」を与えられる。
そこについて答えていく。すなわち与えられた問いに答えていく。
しかしこれだけだと「上からの指示がないと動けない」
人になる確率が高いんじゃないか? ふと思った。
社会に出たら、仕事によって「自分」で物事を考え、
課題と答えを見つけなければならぬ。
その一つとして役に立つ訓練がある。「先生」の視点に立つ。
「先生」と「生徒」の違いは「教える」かどうかだ。
生徒は与えられた問題をとにかくやりこなす。先生は生徒に問題を与える。
その際、先生は生徒よりも「課題」を理解しないといけない。
例えば「2キロの道のりを10分かけてたどり着いた。平均の速さは何キロ?」
答えは「2÷10=0.2キロ/時」
先生になると「平均となぜ表記しているの?」
「距離÷時間でわからない場合、どう教えたらいいの?」
問題文の「意味」を理解しなければならない。結果、観察する力がつくよ。
その分だけ「本質」をついた視点から考察できるよ。
先生の立場になる本:勉強の鬼原則~合格したかったら、この本に書いてあることをやりなさい~
ある分野の学習が別の分野で役立つ
昨日、ステラ・アドラーという米国で活躍した女優の本、
「魂の演技レッスン22 〜輝く俳優になりなさい!」を購入し、読んでいた。
(別記事で深く取り上げる予定)
読むうちに、私がすでに持っている本との関連が見えた。
・小説を書きたい人の本
・配色エッセンス(色塗りテキスト)
・ビジネスエリートは「見えない力」を味方にする
ほか……
演技レッスンは「役者」になる人向けの本だ。
今、上記で取り上げた本の中に「演劇」に関する本は一冊もない。
美術(絵画)・ビジネス・精神世界だ。
役者にならない人からすると「役に立たない」思いがちだが、
「役者が思う部分、感じる部分」から、
「自分の仕事に応用できる考えはないか」を探していくと、
必ず接点が見つかり、役に立つよ。
あれとこれをくっつける力
知の老化は「それはそれ、これはこれ、関係は全くない」
断言して「あれとこれの接点」を思い浮かべない。
私や姉の子供は時折「よくそんな話・設定を思いつくなあ(汗」
気づいたらメモをしている。
子供は「あれとこれは○○という視点において関係がある」
という前提でお話をするんだ(論理は破たんしている)。
あれとこれは全く別の分野だけど、そこをつなげてお話ができるか。
それとも「あれとこれは別、あんたはバカじゃないの」
接点を見つけないまま、目の前のあれだけに振り回されるか。
しゃしゃとして、どちらかといえば、どちらが良いだろう?