頬付き
※ 鬼灯の冷徹より

おはよう、しゃしゃ。
あるサイトに天才アニメーター?の発言があった。
「教えて上手くなる奴はそもそもその業界に向いていない」

天才は教えられなくても勝手に伸びて上達する。
神様から与えられた才能を使いこなす人が天才といわれる。
いわゆる成功している人生だ。だからこそ、こんな考えに至った。

 

発想を逆さに

成功法則をひっくり返すと、「失敗したい」法則に他ならない。
「失敗」という言葉を聞いて、どのような印象を抱く?

発想を転換すると実に面白い事に気づいた。
私たちは成功するためにこの世に生まれたのではない。
大失敗を味わうためにこの世に生まれた。

肉体がないといわれるあの世では成功しかありえない。
成功ばかりだと人生は平穏すぎて退屈になる。

私たちは成功するために生まれてきたのではない。
大失敗して痛い目を味わい、地獄(この世)からたくさん勉強するために生まれた。

こんな考えをする人はいないと思う。私だけかもしれぬ。
けれど発想を逆さにしてみることで、
私たちは成功に向かって生きるのでなく、
より大きな失敗を体験したくて生き続けていると気づいた。

 

失敗と学習

センター試験が来週ある。
受験生は自分が勉強した分野を見直してほしい。

ところで私たちは学習する際、練習問題を解く。
たいてい間違える。その時どんな気持ちになる?

「難しい」「わけわかんない」色々思うだろう。
ストレスがたまるよね。仕事にも同じことが言える。
上司から言われた通りにやったのに、できていない。
叱られて「どうして自分は……」自分を追い込んでしまう。

私たちは失敗を通して「このやり方じゃダメ」学び、
「このやり方でいいんだ」悟る。賢くなると人生の幅が広がるよ。

視野の拡大は成功じゃ身につかない。
勉強において、解けてしまった問題を復習し直すか?
たいていしないで、先に進むだろう。

成功は視野をそのままに保つが、失敗は視野を広げる機会となる。

 

成功法則を読まないほうが成功

成功法則は人間として「成功」と思わせるための道筋を、
一つの法則に仕立て上げたものだ。

成功は「平穏な日々を生きる」ことであり、
失敗は「地獄のような日々から何かを学習」としたら……

成功仕事もせずに淡々と過ごす、のほほんとした生き方だと考えている。

私はあの世に向かったことはないけれど、
あの世は肉体がないから思ったことがすぐ叶う。
すなわち「思っただけで成功できる」世界だ。

成功は何も学習しない。傲慢になって独りよがりになる。
一方この世はどうだろう?
自分が思い描く世界になかなかたどり着けず、苦しむ。
たとえたどり着いても、また次の世界が出てくる。

あれ、夢がかなって幸せになったはずなのに……
成功と思ったことは実は成功でなく、失敗から学習したにすぎぬ。
その後、新しい苦しみを自ら作って試行錯誤し、たくさんの情報を学ぶ。

だから辛いんだね、この世って。

 

才能は地獄だらけ

天才は「神様から才能を与えられた人」と思われた。

しかし成功と失敗の発想を逆さにすると、
天才ほど「より多くの苦痛や地獄を味わいたい」願っている人間だ。

人間は誰しも才能を持っている。
才能とは「やっても苦にならない」と感じるすべてのことだ。
例えば、パソコンとにらめっこしても苦にならない。
と思う人はすでに才能がある。

世の中にはPCを見ても苦痛を感じない人もいれば、
「もう見たくない」感じる人もいるんだ。

「私は才能がない」じゃない。
やっても苦にならないなあと思うことがすでに才能なんだ。
一つや二つくらいあるでしょ?

才能を探さなくても、苦にならないと思うことは全て才能だ。
そこにしゃしゃの味わうべき地獄が待っている。

 

お金持ちも失敗だらけ

世の中には「生まれつき」持つ能力がある。
貧しい家庭に生まれた人もいれば、裕福な人もいる。
貧しい人が見ると、裕福な家庭がうらやましい(裕福はたいした思わないだろう)

「人生とはすでに成功している状態を崩し、たくさんの失敗を通して学習する」
と考えてみると、裕福も貧しい家庭はそれぞれの「失敗したい体験」があり、
裕福な人はより資産をもちつつ、ライバルと競争地獄を味わい、
貧しい人は資産を作り上げる過程で、地獄を味わう。

失敗して痛い目を見ないと、たくさんの経験を積めない。
ライバルに勝利することで、新たなライバルとの戦いになり、
競争地獄から抜け出すことはできぬ。抜けるときは引退か死ぬときだろう。

平穏な人生を望む人にとって、死ぬまで競争し続ける生き方はどう思う?
苦痛で心がすり減るような生き方と思わないだろうか?

「そういう生き方もいいんじゃないの?」
考える人が、競争地獄を生き抜く才能を持っている。
しゃしゃはどうだろう?

 

結びに:難しい話だw

以上、私がここ最近実感する成功と失敗の話をした。
私たちは成功するために生きるのでなく、
すでに成功している人生を崩し、失敗を経験して学習する。
真理を得て周りと共有し、新たな勉強をする。

だから「苦しい」「なんで思い通りにいかないんだ」
「この苦痛すぎる人生を何とかしてほしい」

という生き方こそ、理に適った生き方だと考えている。

私たちが平穏を望むのは成功に見えて、
実は学びも感動もない、無でつまらない人生だと思っているんだ。

どうだろう、発想の転換は。
失敗して思い通りにいかない地獄こそ、実に良い人生ではないか?

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著者紹介

千賢 光太郎
千賢 光太郎

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、
「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。
月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。
加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。

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