※ 鬼灯の冷徹より
おはよう、しゃしゃ。
あるサイトに天才アニメーター?の発言があった。
「教えて上手くなる奴はそもそもその業界に向いていない」
天才は教えられなくても勝手に伸びて上達する。
神様から与えられた才能を使いこなす人が天才といわれる。
いわゆる成功している人生だ。だからこそ、こんな考えに至った。
発想を逆さに
![](https://i0.wp.com/ecx.images-amazon.com/images/I/51bZjcym9KL._SL320_.jpg?w=728)
成功法則をひっくり返すと、「失敗したい」法則に他ならない。
「失敗」という言葉を聞いて、どのような印象を抱く?
発想を転換すると実に面白い事に気づいた。
私たちは成功するためにこの世に生まれたのではない。
大失敗を味わうためにこの世に生まれた。
肉体がないといわれるあの世では成功しかありえない。
成功ばかりだと人生は平穏すぎて退屈になる。
私たちは成功するために生まれてきたのではない。
大失敗して痛い目を味わい、地獄(この世)からたくさん勉強するために生まれた。
こんな考えをする人はいないと思う。私だけかもしれぬ。
けれど発想を逆さにしてみることで、
私たちは成功に向かって生きるのでなく、
より大きな失敗を体験したくて生き続けていると気づいた。
失敗と学習
![](https://i0.wp.com/ecx.images-amazon.com/images/I/51qIstIPvFL._SL320_.jpg?w=728)
センター試験が来週ある。
受験生は自分が勉強した分野を見直してほしい。
ところで私たちは学習する際、練習問題を解く。
たいてい間違える。その時どんな気持ちになる?
「難しい」「わけわかんない」色々思うだろう。
ストレスがたまるよね。仕事にも同じことが言える。
上司から言われた通りにやったのに、できていない。
叱られて「どうして自分は……」自分を追い込んでしまう。
私たちは失敗を通して「このやり方じゃダメ」学び、
「このやり方でいいんだ」悟る。賢くなると人生の幅が広がるよ。
視野の拡大は成功じゃ身につかない。
勉強において、解けてしまった問題を復習し直すか?
たいていしないで、先に進むだろう。
成功は視野をそのままに保つが、失敗は視野を広げる機会となる。
成功法則を読まないほうが成功
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成功法則は人間として「成功」と思わせるための道筋を、
一つの法則に仕立て上げたものだ。
成功は「平穏な日々を生きる」ことであり、
失敗は「地獄のような日々から何かを学習」としたら……
成功は仕事もせずに淡々と過ごす、のほほんとした生き方だと考えている。
私はあの世に向かったことはないけれど、
あの世は肉体がないから思ったことがすぐ叶う。
すなわち「思っただけで成功できる」世界だ。
成功は何も学習しない。傲慢になって独りよがりになる。
一方この世はどうだろう?
自分が思い描く世界になかなかたどり着けず、苦しむ。
たとえたどり着いても、また次の世界が出てくる。
あれ、夢がかなって幸せになったはずなのに……
成功と思ったことは実は成功でなく、失敗から学習したにすぎぬ。
その後、新しい苦しみを自ら作って試行錯誤し、たくさんの情報を学ぶ。
だから辛いんだね、この世って。
才能は地獄だらけ
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天才は「神様から才能を与えられた人」と思われた。
しかし成功と失敗の発想を逆さにすると、
天才ほど「より多くの苦痛や地獄を味わいたい」願っている人間だ。
人間は誰しも才能を持っている。
才能とは「やっても苦にならない」と感じるすべてのことだ。
例えば、パソコンとにらめっこしても苦にならない。
と思う人はすでに才能がある。
世の中にはPCを見ても苦痛を感じない人もいれば、
「もう見たくない」感じる人もいるんだ。
「私は才能がない」じゃない。
やっても苦にならないなあと思うことがすでに才能なんだ。
一つや二つくらいあるでしょ?
才能を探さなくても、苦にならないと思うことは全て才能だ。
そこにしゃしゃの味わうべき地獄が待っている。
お金持ちも失敗だらけ
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世の中には「生まれつき」持つ能力がある。
貧しい家庭に生まれた人もいれば、裕福な人もいる。
貧しい人が見ると、裕福な家庭がうらやましい(裕福はたいした思わないだろう)
「人生とはすでに成功している状態を崩し、たくさんの失敗を通して学習する」
と考えてみると、裕福も貧しい家庭はそれぞれの「失敗したい体験」があり、
裕福な人はより資産をもちつつ、ライバルと競争地獄を味わい、
貧しい人は資産を作り上げる過程で、地獄を味わう。
失敗して痛い目を見ないと、たくさんの経験を積めない。
ライバルに勝利することで、新たなライバルとの戦いになり、
競争地獄から抜け出すことはできぬ。抜けるときは引退か死ぬときだろう。
平穏な人生を望む人にとって、死ぬまで競争し続ける生き方はどう思う?
苦痛で心がすり減るような生き方と思わないだろうか?
「そういう生き方もいいんじゃないの?」
考える人が、競争地獄を生き抜く才能を持っている。
しゃしゃはどうだろう?
結びに:難しい話だw
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以上、私がここ最近実感する成功と失敗の話をした。
私たちは成功するために生きるのでなく、
すでに成功している人生を崩し、失敗を経験して学習する。
真理を得て周りと共有し、新たな勉強をする。
だから「苦しい」「なんで思い通りにいかないんだ」
「この苦痛すぎる人生を何とかしてほしい」
という生き方こそ、理に適った生き方だと考えている。
私たちが平穏を望むのは成功に見えて、
実は学びも感動もない、無でつまらない人生だと思っているんだ。
どうだろう、発想の転換は。
失敗して思い通りにいかない地獄こそ、実に良い人生ではないか?
![お願い](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2018/05/sheare2.jpg)