おはよう、しゃしゃ。さっき母親が面白い話をしてくれた。
母親の近所に母より10歳ほど年上のおばあさんがいる。
彼女は夫に先立たれ、一人暮らしだ。
そこに定期的に女性がやってくるんだけど……
なんとその女性、おばあさんの息子の元嫁、すなわち離婚した奥様なんだ。
びっくりしない?
本来は「関係ない」はずの奥様が彼女の様子をみているんだ。
ちょっと裏があってねえ。
離婚原因は障害
おばあさんの息子と嫁さんはある事情で離婚した。
息子さんが障害を持っているという事実が明らかになり、
まともに夫婦生活が送れなくなったとのことだ。
それで離婚せざるを得なかった。
離婚後、奥様はおばあさんの娘でもないので、赤の他人だ。
しかし赤の他人にもかかわらず、奥様はおばあさんの様子をうかがっている。
なぜそんなことをするのだろう?
私の母が次のように分析していた。
「そのおばあさんは嫁いびりを決してしなかった。
情けは人の為ならずとはまさにこのこと」
情けは人の為ならず
「情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、
親切にしておこうね」これが情けは人の為ならずという意味だ。
人のためにならないから情けなんてかけてはいけない。
という意味ではない。
まあ、情けをあだで返す人間も中に入るんだけど……
あだで返した人間はほかの人がきちんと見ている。
結果として、あだで返した人間は後に大きな代償を支払うことになる。
恐ろしいのは「今」代償を支払うのでなく、
「いざ」というとき、「その人が弱った」ときにやってくるんだ。
老人が基本、一人暮らしで寂しいまま人生を終える理由も、
弱っていないときに普段から何をしていたか?
特に嫁いびりばかりしていると、心底嫌われる。
私の知り合いのおばあさんは嫁いびりをしていたせいで、
とうとう家庭から追い出されてしまった。
人間、後で支払う人生の代償は「今」やってこない。
「弱ったとき・いざというとき」にやってくる。
だからこそ、情けは人の為ならずを心に抱えておくべきだ。
結びに:情けは自分のためにあり
世の中は自分がどんな行為を行ったのか、きちんと跳ね返ってくるという事実をつかんだ。
必ず自分の行為は跳ね返る。
だからこそ、自分を律して生きてほしいな。しゃしゃならできる。確信持っていうよ。
