おはよう、しゃしゃ。
虎の門ニュース8時入りを聴いていたとき、
フォロワーの方が面白いことを述べていたんだ。
「平和」と「憲法」はくっつかないのに、「平和憲法」と混ざると、
「憲法を変えるものは平和を脅かすもの」になってしまう。
レッテルを相手に貼ることができる。
そこで言葉についてみていこう。
レッテルの本質
@megabi0 「平和憲法」という言葉自体がレッテル貼りとも言えますよね。本来は「平和」と「憲法」は別物なのに、「憲法」を変えようとする者は「平和」を損ねる者のごとく印象づけるかのように。 #虎8
— IDC18番わだ (@IDCNO18WD) 2015, 12月 3
ある言葉を出すと、「お前不謹慎だぞ」といって攻め立てる。
一方的な評価を下す行為をレッテルという。
(大抵、相手を否定する意味で使われる)
なぜ人はレッテルをはるのか。
例えば「ネトウヨ」という言葉、私は気に入らない。
理由は簡単で、「ネトウヨ」と相手を認定させてしまえば、
それ以上追及されなくて済むからだ。
主に左と呼ばれる人がネトウヨと使うとき、
たいてい侮蔑の意味が込められている。でもそこが本筋じゃない。
本筋は「ネトウヨ」と言われたら「やめて、私ネトウヨじゃない」
相手の考える力を取り除くことができるんだ。
すなわち、議論の深入りを避ける目的がある。
平和+憲法の怖さ
@megabi0 @gatp428709071 @mpipanda 「あの連中はおかしいのだから対話は成立しない」とトップダウンのように自分の考えで他者をレッテル貼りする言葉、それが「ネトウヨ」ですね。これがヘイトスピーチであると、なぜ左派の人々は自覚しないのでしょう。 #虎8
— IDC18番わだ (@IDCNO18WD) 2015, 12月 3
きっかけはツイッターなんだ。
平和憲法という言葉。平和と憲法は関わりがない。
だけど、平和憲法という言葉を聞くとこう思う。
「平和になるための憲法」はなにを意味するか?
憲法の中には戦争を呼びこむ内容があったとする。
時代が変わると世界情勢も変わるため、
1つの憲法だけではやっていけなくなる時がある。
だから少し変える。すると拒否反応を示すんだ。
「平和を守る憲法を変えるなんて、政府は戦争をしたいのか」
実際に憲法を変えるとしても、時代にあわせて適応するだけだ。
じゃないと、いざという時憲法が邪魔になって、なにも対応できないからね。
でも「平和憲法」とつくと、中身を読んでいないにもかかわらず、
憲法をいじることは平和を脅かすこと。
すなわち戦争したがっていると解釈してしまう。
たいてい「平和憲法」といっている人は憲法の中身を知らない。
中身を知らないのに、言葉一つで考えを奪ってしまう。
かなり怖いと思うんだけど、どうだろう?
関わりない言葉をくっつける

本来は関わりのない言葉をくっつける。日本語の特徴だ。
例えば「強運地図」
強運と地図は関連が全く無い。
しかしくっつくとこう思わないだろうか?
「強運になるための地図」
言葉をくっつけるだけで、簡単に想像できるよね?
日本語は関係ない事柄に対し、強引にくっつけて新しい世界を切り開く。
違う形に応用すれば生き方に繋がるだろう。
例えば「生物法律」という言葉をくっつけてみた。
すると「生物にとって守らねばならない規則」ができる。
生物の定義をすれば、法律に違反した生き物は処罰可能だ。
人間のみあらず、ゴキブリやライオンなどにも適応できる。
「生物法律」が出来上がると、どうなってしまうのだろう……。
と言った形で、日本語は本来な関係がない、関連すらしないものを、
強引にくっつけることができるんだ。
良い意味で新しい境地を切り開くけれど、
悪い意味では相手に誤解を与えやすい状態を作れる。
結びに:中身を知らぬまま言葉を使う怖さ
50cm先の人とも話し合えないで何が平和?と@fm21wannuumui様が(#わんぬうむい #fm21)で仰せですねwRT @megabi0 そう考えたら彼らが言う「話し合い」「平和」もそれ以上深く考えさせないためのレッテルと思ってしまうのです #虎8 @IDCNO18WD
— エスプリ・ド・マスパリ (@kimosanejiru) 2015, 12月 3
ニュースを見ると、様々な言葉が耳に入ってくる。
たいていキーワードから「こうだろう」と連想しやすい
例 安保法案⇒安全保障に関する法案
しかし、「こうだろう」と思うだけで具体的に調べようと考える人は少ない。
結果として、ニュースで「安保法案は戦争するための法律です」
メディアが言えば、不安になってしまう。
自分で調べると間違いに気づくことでも、
メディアや政府がウソをつくのも、深く調べないからだ。
少しでも有利な状態で生きるには、言葉を1つずつ丹念に調べる。
言葉をきちんと理解して、他人に操作されない生き方と、
「なんとなく」で知らない間に操られる生き方。
どちらかと言えば、どっちがいい?
一緒に考えていこう、じゃあまた。
追記:深く考えるためのテキスト
物事について深く考える入門書としておすすめ本は青山繁晴さんの本。

青山繁晴さん著「ぼくらの真実」を単行本で読むといい。
キンドル版もあるけれど、あまりおすすめしないな。
疑問や考えたことをどんどん、本に書き込んで欲しいからだ。
ぼくらの真実を1つのテキストとおいて、自分で調べる。
あくまでも真実を知る1つのきっかけと思って欲しい。
真実を知らないから、相手の言葉で簡単に操作される。
そんな状態を防ぎたいなあと思うなら、ぜひペンを持って読んでみてね。
