学校の勉強は無駄で社会の役に立たない考えに潜む”絞り袋思考”の脱却

おはよう、しゃしゃ。
昨日は自民党総裁選だった。

岸田さんが新しく総理大臣になった。
久しぶりに米大統領選挙なみのエンタメ感満載で楽しみだ。

  • 誰が勝ってもおかしくない
  • ある人に勝ってほしい
  • ある人は絶対負けてほしい

三つそろうとエンタメに生まれ変わるのね。

6桁

さて某サイトにて一つのツイートが話題を集めた。

月収六桁の中学生と名乗るツイッターが

「学校の勉強は無駄。学校で勉強したこと、社会で何か使った?
学校で勉強する暇があるなら、社会に出てWEB技術を学ぶ方がいい」

書き込みが炎上したんだと。

情報商材系の商品を売り込むための一歩として、
始めて彼のツイートをみた人に印象を与える意味で成功している。

炎上を裏返すとギャップをくらい、
見ている人たちの精神バランスがぐらついた状態だ。

ところで私は一つ、気になった。

「学校の勉強は無駄。学校で勉強したこと、社会で何か使った?」

上記の問いかけに対し、実際に何か役に立ったか?

言われると……役に立ってない。

あなたはどうだろう?

自分は現在、ゲームを作っている。
ゲーム制作にて学校での勉強が役に立ってるかといわれたら、
ほとんど役に立っていないと思う。

だからこそ、次の言葉を出したとき、
勉強に対する考え方ががらりと変わった。

がらりと変わった衝撃を一緒に味わってほしい。

 

学校での勉強が役に立たないと感じる理由

はじめに学校での勉強について取り上げよう。

国語・数学・理科・社会・体育・音楽や芸術・家庭科他

社会に出て、上記学んだ事柄は役に立っているか?
言われてすぐ「これが役に立った」指摘できる人、少ないのではないか?

学校で勉強する目的は第一に受験だ。

大学あるいは高校、さらには仕事を得るにあたり、
勉強しなければ入学できない。仕方なく勉強している状態だ。

仕方なく勉強するため、例えば高校生が大学に入ったとき、
あまり勉強をしなくなってしまう。

受験という目的を達したからだ。

一方、社会人として色々仕事をしていると、

「あの時勉強しておいてよかった」

心から実感できる人が多い。
理由は状況と人によってわかれる。

例えば社会人になって世界や政治ニュースに関心を抱くと、
古文を習っていないからこそ、昔の文章が読めない。

結果、読める人がついた「嘘」に騙され、
余計な厄介ごとに巻き込まれてしまう。

あの時、余計な分野を学んでいたから、
まさかこんなところで、意外な使い方をするとは思わなかった

人によって効果を実感できるわけだが、学生時代にはさっぱりわからない。

一部の学生は学ぶ意味を抑えているだろうけど、
大半は抑えていないんじゃないだろうか?

意味を抑えている人は大学でも遊ばずに勉強してるもの。

 

学校での勉強は役に立たない

勘定科目と仕訳

学校で学んだ事柄は基本、役に立たないと自分も考える。

受験目的で勉強するが主であり、将来の役に立つは副だからだ。
受験以外の目的で勉強して、始めて学校での勉強が役に立ったと感じる。

一つ、役に立つかどうかの事例を上げよう。

簿記を勉強したとしよう。
将来、どこかの仕事について経理をやらなければならなくなったとき、
簿記の勉強は大いに役立つ。

ところが生物を勉強したとしよう。
将来、経理の仕事を任されたとき、生物の勉強は役に立たない

将来「使う」仕事によって、役に立つかどうかが決まる。

例えるならホイップを絞り袋に入れて、生クリームを出す状態だ。

ホイップを出した先がケーキなら役に立つけど、
お味噌汁ならまず役に立たない。

ある状態が特定の分野のみに役立つ状態を「絞り袋思考」と定義しようか。

私たちは絞り袋思考で将来を見がちだ。
(もしかすると私だけかもしれない)

物理の勉強は大工系なら役に立つ一方、文学の勉強が大工の役に立つとは思えない

どうだろう、文学の勉強が大工の役に立つといえるだろうか?
もしいえるなら、どういう論理で言えると答えたのだろうか?

絞り袋思考で物事を見てしまうと、確実に将来の道は決まってしまう。
予想外の道など考えられず、限界を抱き、心を病んでしまいがちだ。

私も数年、搾り袋思考で見ていたから、
どれだけ技術や価値、考えがあっても萎えていた。

「自分はこれもできない、雑魚野郎だ」

 

絞り袋思考を根底から覆す強引思考

世の中、自分の思い通りにはいかないし、自分の予想外の展開が次々起きる

例えば手元にお金がなくて、支払に困っていた時、
ありえない形でお金が入り、解決した事例は何度もある。

例えばこの後、大きな地震が起きるといったところで、あなたは信じないだろう。

実際に起きないかもしれないし、起きるかもしれない。
いや、すでに起きたかもしれない。

世の中は絞り袋思考でない。

「学校の勉強は無駄。学校で勉強したこと、社会で何か使った?」

学校の勉強も「絞り袋思考」で捉えると、
役に立つかどうか→役に立たないで決めてしまう。

思考、というより言葉をがらりと変える

今、仕事や空想事に使っている。
だから学校の勉強を役に立たせている。

A→Bという論理の流れでなく、
notB→notAという論理の流れに変えてしまうと、見方も変わる。

A:学校の勉強は無駄
B:社会で何か使った?(→使ってない)

notB:社会で何かに使った
notA:学校の勉強が役に立った

論理の流れをがらりと変えてしまうと、面白い展開がおこる。

実際、社会で何かに使った。学校の勉強が役に立ったと書いて、

「え、実際、何に使っただろう……」思ってしまうが、

そういえば、プログラミングを組むとき、数学が役に立ったな。ゲームのシナリオにおいて、生物の常識が役に立ったな

脳みそが勝手に見つけてくれるんだ。
脳みそは非論理的な展開も「当然の論理」として流れる。

言葉にしたらちぐはぐすぎる文章も、
脳みそは無理やりくっつけ「整った文章」へと変わる。

例:生物の知識がプログラミング作成に役立った

生物の知識-遺伝子組み換えが浮かんだ。
組み換えはあり得ない条件をありえるものとして働く。

プログラミングである変数を1から10のランダムにさせた。
ランダムにさせた結果、5以上なら次のイベントが生じる。

文章で書くと支離滅裂だし、どこも生物の知識を使ってないじゃん!

思うだろうが、脳の中はすべてつながっており、
生物の知識があったからこそ、プログラム作成ができた!

だから生物の勉強は役に立った!
自信をもって答えられるのだ。

絞り袋思考だと絶対にたどり着けない考えをもてる。

 

なぜ余計な科目を学ぶのか?

「学校の勉強は無駄。学校で勉強したこと、社会で何か使った?」

絞り袋思考で物事を考えると、大半の勉強は意味がないし、
ただ時間の無駄だけが過ぎていくだろう。

絞り袋思考を言い換えると功利主義というべきか。
功利主義:快を求めて苦を避ける合理的な生き方

必要なものだけを学ぶからこそ「それ以外の言葉」が脳に入ってこない。

それ以外の言葉が入らないとは、そこをもとに思考ができないので、
「そこをもとに思考できる人」からすれば、いいカモでしかない。

あやふやに言葉を抑えている人と、
きちんと言葉(意味・役割・流れ)を抑えている人とでは、
その後の行動にも変化が現れる。

その後の行動に変化を起こすため
(=自分の人生に新しい展開を呼び込むため)、
自分の仕事や人生、芸術とは関係ない分野を学んでいく

例えば簿記×生物×漢詩を勉強している人は、
漢詩の分析や創作において、簿記や生物を参考に詩を作る。

あるいは生物関係の仕事についている人は、
漢詩や簿記の視点を参考に新しい仕組み・未知の展開に気づく。

仕事について新しい活路を見出すなら、
どれだけ「関係ない分野を学んでいるか」がカギになる。

知っていれば避けられる失敗や詐欺もあるからね。

 

何から勉強すればいいのか?

「絞り袋思考にならないために学ぶのはわかった。
でも、何からやればいいんだろう?」

一番は現代文読解だ。まずは現代文をきちんと読む。
正しく文章を読み、自分の解釈で即判断せず、質問に答えていく。

現代文ができたら次は数学。

数学は現代文だけではできない
「論理・条件分岐・最大最小」といった概念を入れ、
新しい展開に気づくための力となる。

現代文はともかく、数学は仕事に関係ないと思うだろう。

脳みそはすべてがつながっている。
脳の中ではイラストも数式も言葉もすべて同じであり、
仕事の悩みは数学or現代文の悩みに変わってしまう。

数学の後は理科、社会、英語、経済、芸術と、
自分にとって「好き・興味ある」分野を再勉強し、
だんだん「苦手意識」を持った分野に挑んでみよう。

 

おまけ:失敗はやる前からわかってる

かんなけんちん

ここ最近、インスタにイラストを載せているが、ブログには載せていない。
インスタに乗せてるイラストを載せつつ、最近気づいた考えを一つ。

失敗は「やる前」からわかる。よく言われる言葉だ。
何かをやるとき、うまくいくかどうかはわからない。

試行の中にはやる前から失敗とわかるものもある。

かたりなりこ

心が「常識外の行動」を思いついたとき、
「常識の範囲」にとどめようとする気持ちが同時に生まれる。

常識の範囲に向かって進むと、失敗してしまう。

失敗にも数種類あるけど、
予測できる失敗と、試行錯誤するまで全くわからない失敗がある。

試行錯誤するまで全くわからない失敗を犯したとき、
「小さな成功」を手に入れ、次に生かせる

ぼへえ

一方、なんとなく気が載らない状態でやる失敗は、
十分に予測できる失敗であり、時間の無駄でしかない。

失敗してもいいから、やってやる!

決めたとき、人は本気で動く。
最初に失敗をとらなければ、成功なんて夢でしかない。

「ありきたりの道、ありきたりの行動」をしようと脳が働いたとき、
ありきたりは絶対に避けるべきだ。失敗とわかってる道だから。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。