おはよう、しゃしゃ。
昨日は自民党総裁選だった。
岸田さんが新しく総理大臣になった。
久しぶりに米大統領選挙なみのエンタメ感満載で楽しみだ。
- 誰が勝ってもおかしくない
- ある人に勝ってほしい
- ある人は絶対負けてほしい
三つそろうとエンタメに生まれ変わるのね。
![6桁](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2021/09/zmmju58.jpg?resize=500%2C285&ssl=1)
さて某サイトにて一つのツイートが話題を集めた。
月収六桁の中学生と名乗るツイッターが
「学校の勉強は無駄。学校で勉強したこと、社会で何か使った?
学校で勉強する暇があるなら、社会に出てWEB技術を学ぶ方がいい」
書き込みが炎上したんだと。
情報商材系の商品を売り込むための一歩として、
始めて彼のツイートをみた人に印象を与える意味で成功している。
炎上を裏返すとギャップをくらい、
見ている人たちの精神バランスがぐらついた状態だ。
ところで私は一つ、気になった。
「学校の勉強は無駄。学校で勉強したこと、社会で何か使った?」
上記の問いかけに対し、実際に何か役に立ったか?
言われると……役に立ってない。
あなたはどうだろう?
自分は現在、ゲームを作っている。
ゲーム制作にて学校での勉強が役に立ってるかといわれたら、
ほとんど役に立っていないと思う。
だからこそ、次の言葉を出したとき、
勉強に対する考え方ががらりと変わった。
がらりと変わった衝撃を一緒に味わってほしい。
学校での勉強が役に立たないと感じる理由
![](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2021/09/ScreenShot_2021_0921_19_45_33.png?resize=400%2C300&ssl=1)
はじめに学校での勉強について取り上げよう。
国語・数学・理科・社会・体育・音楽や芸術・家庭科他
社会に出て、上記学んだ事柄は役に立っているか?
言われてすぐ「これが役に立った」指摘できる人、少ないのではないか?
学校で勉強する目的は第一に受験だ。
大学あるいは高校、さらには仕事を得るにあたり、
勉強しなければ入学できない。仕方なく勉強している状態だ。
仕方なく勉強するため、例えば高校生が大学に入ったとき、
あまり勉強をしなくなってしまう。
受験という目的を達したからだ。
定期釣厚のせいか、頭痛がひどい。
だからラジオを聞いていた。
カルチャーラジオ、昭和の人物の声を聴く。
高橋是清の声、すごく人柄のよさそうなおじいちゃんで、ずばずば数字を言って財政を指摘してたな。彼を殺した連中は愚かだわ。https://t.co/EDtDWaemE5— せんけん (@megabi0) September 30, 2021
一方、社会人として色々仕事をしていると、
「あの時勉強しておいてよかった」
心から実感できる人が多い。
理由は状況と人によってわかれる。
例えば社会人になって世界や政治ニュースに関心を抱くと、
古文を習っていないからこそ、昔の文章が読めない。
結果、読める人がついた「嘘」に騙され、
余計な厄介ごとに巻き込まれてしまう。
まさかこんなところで、意外な使い方をするとは思わなかった
人によって効果を実感できるわけだが、学生時代にはさっぱりわからない。
一部の学生は学ぶ意味を抑えているだろうけど、
大半は抑えていないんじゃないだろうか?
意味を抑えている人は大学でも遊ばずに勉強してるもの。
学校での勉強は役に立たない
![勘定科目と仕訳](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2021/09/2021-09-17-16.26.18.jpg?resize=225%2C300&ssl=1)
学校で学んだ事柄は基本、役に立たないと自分も考える。
受験目的で勉強するが主であり、将来の役に立つは副だからだ。
受験以外の目的で勉強して、始めて学校での勉強が役に立ったと感じる。
一つ、役に立つかどうかの事例を上げよう。
簿記を勉強したとしよう。
将来、どこかの仕事について経理をやらなければならなくなったとき、
簿記の勉強は大いに役立つ。
ところが生物を勉強したとしよう。
将来、経理の仕事を任されたとき、生物の勉強は役に立たない。
将来「使う」仕事によって、役に立つかどうかが決まる。
例えるならホイップを絞り袋に入れて、生クリームを出す状態だ。
ホイップを出した先がケーキなら役に立つけど、
お味噌汁ならまず役に立たない。
ある状態が特定の分野のみに役立つ状態を「絞り袋思考」と定義しようか。
私たちは絞り袋思考で将来を見がちだ。
(もしかすると私だけかもしれない)
物理の勉強は大工系なら役に立つ一方、文学の勉強が大工の役に立つとは思えない。
どうだろう、文学の勉強が大工の役に立つといえるだろうか?
もしいえるなら、どういう論理で言えると答えたのだろうか?
絞り袋思考で物事を見てしまうと、確実に将来の道は決まってしまう。
予想外の道など考えられず、限界を抱き、心を病んでしまいがちだ。
私も数年、搾り袋思考で見ていたから、
どれだけ技術や価値、考えがあっても萎えていた。
「自分はこれもできない、雑魚野郎だ」
絞り袋思考を根底から覆す強引思考
![](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2021/09/ScreenShot_2021_0919_19_24_38.png?resize=400%2C300&ssl=1)
世の中、自分の思い通りにはいかないし、自分の予想外の展開が次々起きる。
例えば手元にお金がなくて、支払に困っていた時、
ありえない形でお金が入り、解決した事例は何度もある。
例えばこの後、大きな地震が起きるといったところで、あなたは信じないだろう。
実際に起きないかもしれないし、起きるかもしれない。
いや、すでに起きたかもしれない。
世の中は絞り袋思考でない。
「学校の勉強は無駄。学校で勉強したこと、社会で何か使った?」
学校の勉強も「絞り袋思考」で捉えると、
役に立つかどうか→役に立たないで決めてしまう。
思考、というより言葉をがらりと変える。
今、仕事や空想事に使っている。
だから学校の勉強を役に立たせている。
A→Bという論理の流れでなく、
notB→notAという論理の流れに変えてしまうと、見方も変わる。
A:学校の勉強は無駄
B:社会で何か使った?(→使ってない)
notB:社会で何かに使った
notA:学校の勉強が役に立った
論理の流れをがらりと変えてしまうと、面白い展開がおこる。
![](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2021/09/ScreenShot_2021_0919_09_05_20.png?resize=400%2C300&ssl=1)
実際、社会で何かに使った。学校の勉強が役に立ったと書いて、
「え、実際、何に使っただろう……」思ってしまうが、
脳みそが勝手に見つけてくれるんだ。
脳みそは非論理的な展開も「当然の論理」として流れる。
言葉にしたらちぐはぐすぎる文章も、
脳みそは無理やりくっつけ「整った文章」へと変わる。
#ウディタ どうも味方に攻撃するというバグが生じたので、改めて色々試行錯誤した結果、まず一つ作った。
AIはアクション0から順番に読んでいく。
0番の次は本来1番に行くのだが、ここで「シャッフル」を作り、ランダムな場所に配置させた。バグもなくうまくいった。 pic.twitter.com/uphrYphwIs— せんけん (@megabi0) September 29, 2021
例:生物の知識がプログラミング作成に役立った
生物の知識-遺伝子組み換えが浮かんだ。
組み換えはあり得ない条件をありえるものとして働く。
プログラミングである変数を1から10のランダムにさせた。
ランダムにさせた結果、5以上なら次のイベントが生じる。
文章で書くと支離滅裂だし、どこも生物の知識を使ってないじゃん!
思うだろうが、脳の中はすべてつながっており、
生物の知識があったからこそ、プログラム作成ができた!
だから生物の勉強は役に立った!
自信をもって答えられるのだ。
絞り袋思考だと絶対にたどり着けない考えをもてる。
なぜ余計な科目を学ぶのか?
勘定科目と仕訳本を使って、勘定科目を雑に書きなぐり中。自分の業務には使わない寡黙だけど、知るだけで「自分が知らなかったお金の流れ」をつかんだ感覚があり、改めて購入して良かったと考えている。
確定申告は毎年記帳してるけど、初めて聞く勘定科目ばかりやもん。 pic.twitter.com/nmqzApJpOu— せんけん (@megabi0) September 28, 2021
「学校の勉強は無駄。学校で勉強したこと、社会で何か使った?」
絞り袋思考で物事を考えると、大半の勉強は意味がないし、
ただ時間の無駄だけが過ぎていくだろう。
絞り袋思考を言い換えると功利主義というべきか。
功利主義:快を求めて苦を避ける合理的な生き方
必要なものだけを学ぶからこそ「それ以外の言葉」が脳に入ってこない。
それ以外の言葉が入らないとは、そこをもとに思考ができないので、
「そこをもとに思考できる人」からすれば、いいカモでしかない。
あやふやに言葉を抑えている人と、
きちんと言葉(意味・役割・流れ)を抑えている人とでは、
その後の行動にも変化が現れる。
その後の行動に変化を起こすため
(=自分の人生に新しい展開を呼び込むため)、
自分の仕事や人生、芸術とは関係ない分野を学んでいく。
例えば簿記×生物×漢詩を勉強している人は、
漢詩の分析や創作において、簿記や生物を参考に詩を作る。
あるいは生物関係の仕事についている人は、
漢詩や簿記の視点を参考に新しい仕組み・未知の展開に気づく。
仕事について新しい活路を見出すなら、
どれだけ「関係ない分野を学んでいるか」がカギになる。
知っていれば避けられる失敗や詐欺もあるからね。
何から勉強すればいいのか?
NHKラジオ英会話前のカルチャーラジオ、吉野さん(故人)が森鴎外の生き様を解説してて面白かった。鴎外はサラリーマン小説家、当時サラリーマン小説家は「遊び人」扱いされてた。「仕事もまじめにしないくそ野郎」ともみられていた。鴎外は劣等感を抱えた。
— せんけん (@megabi0) September 27, 2021
「絞り袋思考にならないために学ぶのはわかった。
でも、何からやればいいんだろう?」
一番は現代文読解だ。まずは現代文をきちんと読む。
正しく文章を読み、自分の解釈で即判断せず、質問に答えていく。
現代文ができたら次は数学。
数学は現代文だけではできない
「論理・条件分岐・最大最小」といった概念を入れ、
新しい展開に気づくための力となる。
現代文はともかく、数学は仕事に関係ないと思うだろう。
脳みそはすべてがつながっている。
脳の中ではイラストも数式も言葉もすべて同じであり、
仕事の悩みは数学or現代文の悩みに変わってしまう。
数学の後は理科、社会、英語、経済、芸術と、
自分にとって「好き・興味ある」分野を再勉強し、
だんだん「苦手意識」を持った分野に挑んでみよう。
おまけ:失敗はやる前からわかってる
![かんなけんちん](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2021/09/2021-09-20-07.09.16.jpg?resize=225%2C300&ssl=1)
ここ最近、インスタにイラストを載せているが、ブログには載せていない。
インスタに乗せてるイラストを載せつつ、最近気づいた考えを一つ。
失敗は「やる前」からわかる。よく言われる言葉だ。
何かをやるとき、うまくいくかどうかはわからない。
試行の中にはやる前から失敗とわかるものもある。
![かたりなりこ](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2021/08/2021-08-30-06.59.41.jpg?resize=225%2C300&ssl=1)
心が「常識外の行動」を思いついたとき、
「常識の範囲」にとどめようとする気持ちが同時に生まれる。
常識の範囲に向かって進むと、失敗してしまう。
失敗にも数種類あるけど、
予測できる失敗と、試行錯誤するまで全くわからない失敗がある。
試行錯誤するまで全くわからない失敗を犯したとき、
「小さな成功」を手に入れ、次に生かせる。
![ぼへえ](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2021/08/2021-08-23-07.24.45.jpg?resize=225%2C300&ssl=1)
一方、なんとなく気が載らない状態でやる失敗は、
十分に予測できる失敗であり、時間の無駄でしかない。
失敗してもいいから、やってやる!
決めたとき、人は本気で動く。
最初に失敗をとらなければ、成功なんて夢でしかない。
「ありきたりの道、ありきたりの行動」をしようと脳が働いたとき、
ありきたりは絶対に避けるべきだ。失敗とわかってる道だから。
![お願い](https://i0.wp.com/www.megabe-0.com/main/wp-content/uploads/2018/05/sheare2.jpg)