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漫画デメキン:漫才/コントの違いが記事の書き方に応用できた

おはよう。

現在週刊ヤングチャンピオンで連載している漫画「デメキン」にて、
まだ売れる前のバッドボーイズがお偉いさんの前で漫才をしていた。

お偉いさんは漫才とコントの違いを語った。
漫才とコントの違いはまんま文章の書き方に当てはまり、
私が現在関心を抱いている「文章×魅力」を作るうえで、大いに役立った。

 

デメキンのあらすじと面白さ

デメキンは実在するお笑い芸人、バッドボーイズ佐田正樹さん原作の小説だ。

週間チャンピオンでゆうはじめさんが漫画を担当し、
2017年には映画化にもなっている。

私は小説も映画も見ていない。ただマンガのみ読んでいる。

デメキンは暴走族時代と現在の芸人修業時代に分かれている。

私は週間チャンピオンを読んでいるので、
暴力シーンのあるデメキンを普通に読んでいた。

暴走族時代の暴れっぷりも面白かったが、
暴走族を引退してからの佐田正樹の堕ちっぷりは見ていられなかった。

特にシンナーを吸って廃人同然になるところがキツかった。

恩師の一言でお笑い芸人を目指すようになり、
彼の相方大沼部清人(モデルは相方清人さん)さんとコンビを組む。

暴走族時代とは違う重圧と戦いながらも、彼らは一歩ずつ芸人としての道を進む。

私は暴走族時代より、芸人時代(現在)のほうが面白い。
芸人時代の面白さを作るためには、暴走族時代が欠かせない。

暴走族総長として色々大変な目にあった(自業自得含む)からこそ、
芸人時代との比較はもちろん、総長の堕ちっぷりに感情が入った。

参照:秋田書店デメキン

 

漫才とコントの違い

最新号にてお偉いさんの前で漫才をやったバッドボーイズ。
お偉いさんは二人に感想を述べた。

「漫才とコントの違いってわかるか?」

言葉にできない状態ならぱっと違いが判る。
漫才はマイクの前で二人が語り、コントはすでに道具などが置かれている。

おえらいさんは述べた。

「漫才はイチから状況設定を自分たちの言葉で伝えなければならない」

「コントは最初から舞台が用意されているため、
いちいち自分たちの言葉で状況設定を説明しなくても、話を進められる」

漫才とコントの違いが、まんま文章の書き方に当てはまるのだ。

 

自分が「わかっている」は危険

現在私はゲーム制作をしつつ、クライアントの文章添削を仕事にしている。

クライアントの文章を直すほど、過去の自分にも伝えたい言葉がたくさん出てくる。

最近だと「自慢するな。自慢のために相手を落とすような発言をするな」だ。

例えば自分の優位性を出す場合、比較対象が必要だ。
あいつに比べて自分はまだ優れていると書かなければ、説得力がない。

「あいつ」をいちいち出さなくていい。そもそも比較すらしなくていい。

相手と比べて自分が優れていると発信するだけで、
自分が単に読者へ向けて自慢したいだけ。

読者のためでもないし、未来の自分のためでもない。
ましてやクライアントのためでもない。

添削仕事をするまでは気づかなかったが、
添削を通してみっちり文章の構成を練りまくっているとき、
「ああ、自分もこういう失敗をやらかしていたんだ」気づかされた。

自慢は書き手の「現時点」での気持ちのみを満たすのであり、
未来の自分を含む、誰のためにもならない。

と、話がそれてしまった。文章の書き方において落とし穴がある。

書き手は「わかっている」事実

例えばデメキンについて「私はわかっている」から、
即座に本題へ入っても全く違和感がない。

読者はどうか?
デメキンを知っている人もいれば、全く知らない人もいる。

全く知らない人からすると、いきなり本題へ入られたからと言って、
即座に文章をすんなり読めるかと言ったら、違う。

まずデメキンってどんなマンガ? どんな特徴??

本題へ行く前に、いくつか疑問が生じる。
疑問を解決しないまま本題へ飛ばすと、読者は「もやっ」とした状態で読む。

結果、すんなり人の話が頭の中に入ってこない。
もやっとした疑問に焦点が当たり、人の話があまり入ってこないからだ。

日経平均

別の例で例えると。円高円安という言葉は知っているだろう。
言葉は知っていても、意味や違いを知っていないと株価に関する話をしても、

「円高と円安の違いって何だっけ?」

読者の中できちんと定義ができていない状態で読むから、
結果として本題(株価)よりも「円高・円安の違いって?」が気になり
本題に関して集中して読めなくなる。

受験で例えると、重要語句がわからないまま次々先に進む状態だ。
わからないまま先に進むため、落ちこぼれ現象が生じる。

落ちこぼれを防ぐには、しっかりと言葉の意味をつかませたうえで、
「重要語句がどこでどんな働きをするか」と、
当人が赤の他人に説明できる状態になるまで、深く向き合うしかない。

現時点でのデメキン最新話にて、
「初見の読者に対し、始めのうちに簡潔ながらも状況説明をする」のが漫才。
「すでに舞台があるので、状況説明をある程度省略できる」のがコントと書いた。

書き手が「わかっている」からこそ、今すぐ本題を語るために事前情報を省くのがコント。

書き手はわかっているが、読者の中には「わかっていない」人もいると捉え、
完結ながら説明を加えていくのが漫才だ。

新規読者に受け入れられるなら、コントよりも漫才型の文章を目指さなくてはならない。

 

漫才とコントの違いと大変さ

漫才は言葉とパントマイムにて状況説明を行う。
機材はマイク一本のみであり、舞台設置費用はほぼ掛からない。

コントは機材や備品が必要となり、設置費用は掛かるが、
道具を元にいろいろなネタを仕込められる。

どちらが簡単とか難しいでなく、それぞれの戦い方がある。

コントはすでに舞台があるが、舞台を作るには事前の状況をつかまねばならない。
例えばファミレス一つでも、店によっていろんなファミレスがある。

古風なファミレスもあれば、24時間OKのファミレスなど、
ファミレス一つをとってもいろんな店がある。

いろんな店の中で、自分たちのコントに適した舞台は何か。
漫才を行う前に事前に検討をしなければならない。

漫才は事前検討を言葉だけで説明できる。

ちなみにコントとして私がおすすめしたい作品は、
気軽さならサンドイッチマン。動画を見た瞬間に笑わせてくれる。

伏線と回収なら東京03だ。
東京03のコントは最初からいきなり笑わせない。

みっちりドラマ仕立てで伏線を作っていき、
後半からバンバン笑いとともに回収していく。

いろんな形のコントがあり、物語を作るうえでの勉強にもなる。

 

構成が人を感動に導く

kasa

とあるビジネス系の動画にて面白い発言があった。

「人は言葉に感動するのでない、それまでの流れに感動するのだ」

流れとは構成力であり、編集の仕方といってもいいだろう。

私がクライアントの文章を直す際、必ず文章を印刷する。
印刷しながら「クライアントはどういう構成を組み立てているのか」
メモしながら自問していく。

構成がないと、高確率で混乱をきたす。

「どうしてここからあそこに話が飛んでいるの?」
「〇〇ってどっから出てきた?」

書き手の中ではすべて論理的で流れができているが、
文章に一切書いていない(書き手の脳内のみに記載)ため、
読み手からすると情報不足で混乱をきたす。

反対に感動した文章は構成をきちんと説明できる
他人の文章を読んで、簡単に要約できるか否かが、文章の分かれ目だ。

なお今あなたが読んでいる記事の構成として

  1. 冒頭「何を語るか」
  2. あらすじ「基本説明など」
  3. 本題「自分が一番語りたい内容」
  4. 本題に関係する事例
  5. その他語りたい内容

私が書いている内容自体、大したことがない。
デメキンを読んで気づいた真実を深く掘り下げているだけだから。

真実をいかなる流れにもっていけば、重要度をあげられるか?

ただデメキンを読んで「漫才とコントの違いってこうなんだ」書けばおしまいだ。

ただもっとも伝えたい内容だけだと、話が膨らまない。
何より「読み手としての自分」が楽しくない。

今ここを読んでいるあなたはもちろん、
書き手であり未来の読み手でもある私がいかに楽しむか。

楽しむだけでなく「こういう見方もできるのか」など、
何かしらの気づきなどを得てもらうのか?

感動できる文章構成のために、私は受験現代文を応用している。

 

深みをもたらす受験現代文の応用

大学入試の受験現代文は基本、説明問題がつく。

「〇〇とはどういうことか、説明せよ」
「××に至った理由を書いてください」

全て本文中に根拠があるから、本文の根拠を元に分かりやすい言葉で伝えていく。

問題文に指示「直接書き写せ」などがない限り、
なるべくわかりやすい表現で書いていかねばならない。

文章を書く側になったら、現代文の設問を大院利用する。

  • 「自分はコントと漫才は違うと書いた。ならコントと漫才の違いって何か?」
  • 「自分は漫才について、漫才が文章を書くのに必要不可欠と書いた。どういう論理があって、漫才が文章を書くのに必要と、自分は記したのか?」

キーワードの言い換えはもちろん、
わからない部分を無理やり省略した箇所など、
自分の文章に「設問」を置いて、徹底的に答えさせる

現代文の設問を置くと、文章に深みが増すだけでなく、
前後の流れもより強く太くつながりを持ち、読者に納得してもらえる構成に仕上がる。

特に論理の流れを埋められず、無理やり省略した場所は、
文章においても肝になるので、必ず答えを作らねばならない。

執筆において設問の答えは解くものでなく創るものだ。

漫才はまさに受験現代文だと考えている。
どんどん設問を立てて、自分で答えていく一人受験現代文だ。

 

ツッコミの本質

漫画デメキンではほかにも気になった言葉があった。

佐田さんはツッコミだ。

大分の遠征ライブでツッコミがうまくいかず、悩んでいた。
そこで先輩芸人が彼にアドバイスを送る。

アドバイス通りに佐田さんがツッコミを行ったところ、会場大爆笑。

ツッコミとは「観客がボケに対して思っている事柄を、誰よりも早く伝える」行為。

私にも新鮮だった。

観客が思ったツッコミを、わかりやすい形でツッコミ役が真っ先に声を出す
ただ声を出すよりも少々大げさにふるまう(演出)と、なお笑える。

記事を書いているときも、普通に書いているときと、

「ここでこういう言葉を書いた方がいいのでは?」
自分の記事に対する一人ツッコミを行うと、より深い文章を書ける。

ツッコミの極意は佐田の人生に影響を与えた。
そしてツッコミを通して私にも影響を与えた。

これだからマンガはやめられない。

 

エンターテイメント意識

goemon

現在私はエンターテイメント意識をテーマに仕事をしている。

仕事をする際「面白いか、楽しいか、もっと面白くできないか」

そしてまじめな仕事や普通の日記にも、
「エンターテイメントの視点を取り入れられないか?」

私にとってエンターテイメントとは読者と自分の思想を結び付ける橋だ。

まず自分の思想をありったけぶつけるが、読者にはよほどでない限り受け入れられない。

自分さえわかっていればいいのだから。

そこでエンターテイメントという
「少しでも相手に楽しいと感じていただくには?」

双方が楽しめる展開を考えるからこそ、
記事に説明を加えたり、事例を加えたり、成功や失敗談を述べたりと、
色々と記事に深みを加えられる。

エンターテイメント意識を取り入れた結果、訪問者の質が良くなり始めた
普段音図得ない日記にも2.5倍ほど訪れるようになった。

エンターテイメント意識を元にタイトルから記事の流れを、
3日間以上(1記事あたり)考え抜いたからだと確信している。

意識一つだが、意識一つに作業や行動、何より「なぜそれをやるのか」に意味を持つ

「なぜそれをやるのか」に意味を持つと、
今までなんとなく・適当にやっていた部分を辞めて、しっかり理由を持って取り組められる。

結果、来るべくして人が来る状態を作れる。

今回デメキンの漫才・コントの違いが私にとって、

ああ、記事の書き方も同じだ。漫才を意識すればいいんだ

今後の生き方に大きく影響を与える一歩を手に入れた。
一歩が目の前にあるからこそ、きっかけを作ったデメキンが面白い。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。