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藤巻健太議員「三角関数よりも金融経済を学ぶべき」提言が示す別の問題

おはよう。

上記ツイートにて藤巻健太議員が財務委員会でおっしゃった。

「三角関数より金融経済を学ぶべきではないか」

多くの人が批判ツイートを載せた。私も批判した一人だ。
いや、三角関数も金融経済に役立っているだろ」と。

数学はしばしば議題に上がる。
「数学を学んだからと言って、何の役に立つの?」

藤巻議員の発言を基に、いろいろ考察してみたよ。

 

藤巻健太議員の生い立ちや特徴

藤巻健太議員は日本維新の会所属の衆議院議員だ。

お父さんは元維新の議員で現在はトレーダーであり
経済評論家でもある会社代表の藤巻健史さん。

イギリス生まれ、慶応大学経済学部出身。
大学を出た後はみずほ銀行に入社。

お父さんの秘書を務めながら何度か立候補したものの落選、
去年の選挙でようやく議員となれた。

気になる部分は「銀行マンかつ慶応経済出身」だろうか。
経済学部卒で銀行マンだけど、三角関数を使う機会などなかった

公約に「日本経済を立て直すため、今必要な人材は金融や経済のプロ」
書いており、経済及び金融のプロを一人でも多く創るため、
三角関数は後回し・専門家がやればいいのでは?

藤巻健太議員は捉えたのだろう。

参照:藤巻健太議員の公式ページ

 

慶応経済は数学軽視?

ツイッターを見ていて気になった表現があった。

「慶応大学経済学部卒業か。なら数学軽視も納得」

慶応大学経済学科は数学を軽視しがちなのか?
一応慶応大学経済学者として有名な人が竹中平蔵さんだけど……

経済学は数学モデルなくして進まぬ。
マルクス経済学ですら数学を学ばないとついてこれない。

さらに調べていくと、入試の選択で「数学をとらなくてもいい」とわかった。

A方式「英語・数学・小論文」、B方式だと数学でなく「社会」。

過去に早稲田も政経学部も入試から数学を省いていたけど、
経済授業についてこれない学生が多く、数学を入試に取り入れた。

さらに財務省は主に東大でも計算が得意orできる人よりも、
法律に詳しい法学部を多く採用していると、高橋洋一さんがおっしゃっていた。

数学が軽視されているの間違いないのかもしれぬ。

参照:慶応義塾大学数学入試の一般傾向

参照:私立文型の数学不要論を消した早稲田の快挙

 

曽根綾子「二次方程式がなくても生きてこられた」

藤巻議員の発言を通し、私が即座に思い浮かんだ出来事は、
作家曽根綾子さんがかつて述べた言葉だ。

「二次方程式がなくても生きていけた。なんの役に立つの?」

曾根綾子さんの旦那こと教育課程審議会会長の三浦朱門氏が、
教育審議会で二次方程式含む、一部内容の縮小に関する提言で、
一部の内容は必修でなくなった。

ゆとり教育のきっかけにもなった人物だ。

東大数学で「円周率が3.05よりでかいと証明せよ」出され、
受験業界では有名になった(ドラゴン桜でも取り上げられている)。

曾根綾子さんは作家で聖心女子大栄部学科卒業、23歳で作家となった。

藤巻議員と違って銀行マンや経済学を学んでいるわけではないが、
私から見て曽根さんも藤巻さんも本質は同じと捉えている。

参照:曽野綾子さん三浦朱門さん事件にみる問題解決の放棄について

 

親として子に数学が何の役に立つか答えられますか?

「数学をやったからと言って、自分の人生の役に立たない」
「三角関数を学んでも、金融経済に役たたない」

裏を返すと

「数学がどういう形で私の人生の役に立つの?」
「三角関数がどういう形で金融経済に役立っている?」

あなたは答えられるだろうか。
数学がどういう形で自分の人生に役立っているかを。

工学系・理学系の仕事についているなら言えるだろう。
主に体を動かす仕事なら「数学より行動が大切」思うのではないか。

2秒以内で答えられない場合、
「それほど数学は自分の人生に役立ってない」捉えていい。

上っ面だけで見ると、どう見ても数学(三角関数含む)が、
自分の人生に役立っているとは思えない。

上っ面という表現が重要で、意識下では今も使っているが、
意識下など普段気を配らない場所だから、無視される

私は文系で数学と縁のない世界にいるけど、
縁のない私でも数学がどういう形で私の人生につながっているのか?

問われた場合、上っ面で考えるから即答えられない。

 

実際三角関数は金融経済の何かに使うのか?

私を含め多くの人が批判しているが、同時に気にもなる。

実際、三角関数って金融経済学で使うの?

経済学に関する硬式は数列及び方程式が中心だ。微分は言うまでもない。

でも三角関数は使ってる?

調べるとフーリエ変換や計量経済学で使うが、全ての経済学で使わない。

「じゃあ一部の人を除いて、習わなくてもいいんじゃね?」

藤巻議員の述べる気持ちもわかってしまう。

数学は「根っこで深くつながっている」学問であり、
つながりの極致がre^iΘ = r(cosΘ+isinΘ)ことオイラーの公式だ。

 

数学の応用は数式を使わない計算にあり

数学は図形や文字式ほかを使い、論理的思考をつける学問だ。
論理だけでなく表現力も養える。

数式そのものは一部の仕事でない限り堂々と使わない。
「数学なんて学んでも意味がない」捉えてしまう。

私にとって数学は「潜在意識の動き=自分が動く仕組みを知る」学問で、
「自分でも気づかない思考・行動パターン・矛盾」に気づき、
「今の自分の考え・価値観・行動を変えられる」効果がある学問だ。

ゲームプログラムを組んでいると、余計実感できる。
少し細かく見ていこうか。

因数分解の活用について、かつて就職セミナー講師がおっしゃった。

人生の因数分解をしなさい。たとえば自分がここで働こうと思ったきっかけを、
例えばきっかけが「社員の温かさ」なら、どんな風にあ多赤いのかを……

微分積分は「全体像と細かな問題の動き」を捉える。
例えばある商品を売ったものの成果が出なかった。

どうして成果が出なかったのか。どういう未来を築いていきたいのか。
どういうセールスを行い、どういう心理状態だったのか。

ありとあらゆる部分を観察していく。

関数は「ある行動をした結果、相手がどう動いたか」であり、
「ある行動の結果、自分がどういう気持ちを抱いたか」でもある。

X軸に自分の行動、Y軸に相手の動きや自分の心理と、
座標を創っていけば、後は数式でない関数ができる。

関数にも指数・対数・三角・二次以上など色々ある。
三角関数は角度関数であるけど、他にない周期をもつ。

一周して元の位置に戻る周期があるからこそ、
生活だと交流(電磁気)、静脈動脈、占いなどで使っている。

また積分計算が楽になる。
置換積分で整数から角度へ変換する時、計算が楽になる。

歴史で見ると三角関数を学ばなければ、
指数と複素数の結びつきにつながらず、
大雑把で面倒な計算をしていただろう。

オイラーの公式にもたどりつけなかったしね。

もちろん電磁気交流や量子力学の発展にもつながらず、
パソコンやiPhoneなど文明の発達にも至らなかっただろう。

 

数学と国語(論理的思考)の違い

論理的思考といえば数学だけでなく現代文でも学べる。

数学と現代文でいう「論理的思考」は同じでない。
受験勉強にて現代文の設問は主に「説明」だ。

「理由を述べよ、説明せよ、内容をまとめよ」

一方数学は

「最大値最小値・確率を出せ・証明せよ・計算せよ」

問題の質が違う。

「このブログがバズる確率は?」や、
「数学に関する商品を置いた場合、購入率は?」

現代文なら

「数学の大切さについて、どういう流れで書いたら納得してくれるか」

同じ論理的思考でも問題の質が違う
そして問いかける時点ですでに脳内で「数学」を使っている。

数式でなく母語だからこそ気づかないだけ。
表現が変わっているだけで、本質(問いの立て方)は変わらない。

 

潜在意識化プログラミング

社会に出てからの数学は一部の仕事でしか
「数式や図形」といった道具を使わない。

ところが「潜在意識化」でプログラミングで行われている。

潜在意識化のプログラミング例として、
「ここを見ているお前って本当に頭悪いな」私が書いたとき、

「喧嘩売ってるのか、てめえ」
「はい、そうです、馬鹿ですよ」

どちらかの気持ちを抱いたとする。方程式だ。

勝手な数式に置き換える。Y=aX+1と置いた。
Yは「あなたの激怒」でXは「私の言葉」、aは「激怒率」としよう。

今、適当にaとXに数値を入れたとしよう。a=0.5,X=2,4,10とでもおこうか。
今、Yが5より小さいなら「はい、そうです、馬鹿ですよ」
5以上なら「喧嘩売ってるのか、てめえ」

あなたの中にある方程式にそって、
「今回、こういう対応をとろう」決めている。

潜在意識化プログラミングなど、たいてい気づかない

自分で決めているように見えて、
実は潜在意識化プログラミングの計算結果によって、
言動を決めているわけだ。

潜在意識化プログラミングなど、普通気づかないうえ、
「そんなのあるわけないだろ」ツッコまれる。

気づかない=存在しないであるから「数学は役に立たん」と自信持って言える。

 

経済の根底にある人間(潜在意識)の気持ち

世界の株

画像元は世界の株価

次に経済を見ていこう。
経済といっても基本は「人間の動き=人工」にあって自然観察ではない

ある人間が「これは自分の大切なモノ=価値(金など)と交換していい」
別の人間と「じゃあ、これとあれを交換しましょう」

人間同士のかかわりがあり、必ず人間心理もついてくる。

金融経済はお金が勝手に動いている印象を抱くけど、
お金を握って使う存在は太陽や宇宙、ペットでなく、
金を使って価値を交換できる人間だ

経済学は人間なくして成り立たない学問であり、心理も根底にある。
先ほど数学は潜在意識化プログラミングが働いていると書いた。

潜在意識化プログラミングによってあなたの中に方程式があり、
式の結果によって「買う・買わない」といった選択をとっている。

単純に言葉だけでは表せられない領域があり、
かつ潜在意識化プログラミングは数式を使うと簡単に表現できるから、
経済学に数学がついていると考えている。

※経済学は物理学の応用でもある。
物理は主に「自然や神様の解剖」を目的とした学問だ。

解剖の応用として人間の行動・心理につながったのだろう。

 

藤巻健太議員の発言と同様に大きな問題

今回の件を通し、藤巻議員には感謝している

「数学ってこういうところで使うんだよ」
大切さを語るツイートをたくさん見つけたからだ。

何より金融経済だけが数学の使い道じゃない

確かに「いらない」と感じる人もいるけど、
一括で学ばないと触れる機会=専門という考えもなくなる

一方で曽根綾子時代も含めて一番問題視している箇所は、

三角関数が金融経済を担う上で、こういう形で役に立っています。
だから金融教育も大切だけど、同じく三角関数も大切なのです

はっきり指摘できる数学者及び経済学者その他が、
財務金融委員会の場にいなかったところだろうか。

反論する人もいたのかもしれないが。
反論していたら即座に誰かが取り上げてくれるだろう。

「この議員が藤巻議員と反対の内容を述べていた」

その場で反論する議員や参加者がいなかった。
参加者議員や学者も思っているのではないか。

「三角関数を学んだところで、確かに金融経済・教育には役に立たん。
そもそも数学ってなんか役に立った……うーん」

藤巻議員への批判はもちろんだけど、
財務金融委員会に参加していた人すべても、
反論しない時点で藤巻議員と同じ考えを抱いていた
と考えている。

参加者の中に三角関数がどういう形で金融経済に結びついているのか。
数学そのものが自分の人生にどういう形で役立っているのか。

受験だから仕方なく数学をやっていたけど、
今いる職場で難しい数式なんて使わないしなあ……

曽根さんの旦那が提言した時も、その場で反論する参加者はいたのか?
調べると数学者の岡部恒治さんが批判していたそうだ。

目に見える部分のみ考えていたら、確かに数学は人生の役に立たない。

数学は目に見えない部分で堂々と働いている。
堂々と働いている部分に気づき、説明できる参加者がどれだけいるのか。

誰もいなかったんじゃないか。
だから数学は今日も「お前いらないよ」軽く扱われる。

数学を「ただの数式・公式を学ぶ学問」としてみるのでなく、
「数式を使わないが、考え方はもろ使う」と教えたら、
数学はもっと「役に立つ学問だな」みなされるのだろうか。

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。