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大怪獣のあとしまつプロデューサーインタビュー炎上から学ぶコンセプトの作り方

おはよう。

先日大怪獣のあとしまつがツイッタートレンドにのり、
見事炎上騒動になっていた。

プロデューサーらの発言を読んだとき、
自分の中に一つの答えが浮かんだ。

表現及び発信する人にとって、
プロデューサーらの発言は十分気を付けるべきと考えた。

 

大怪獣のあとしまつプロデューサーらの誤り

オリコンニュースにてあとしまつプロデューサーの二人、
須藤泰司氏と中居雄太氏が述べている。

中居雄太氏によると、あとしまつは怪獣の死体処理にくわえ、
人間関係(主人公とヒロイン)の恋愛模様も無事、難なく処理できるのか?

恋愛に(“も”でない)楽しんでもらえると期待していたが、
視聴者の反応は特撮やギャグ要素ばかり集まってしまった。

第三者のレビューだと「恋愛はいらない」と書かれている。

またラストでのオチについて、
プロデューサーらは「政治に対する風刺」を狙ったが、
視聴者には伝わっていなかった。

プロデューサーによるあらすじだと、

「巨大な怪獣の後始末に対し、正体を明かせない主人公が、
元恋人の協力、元恋人の夫による妨害で悩む」物語と書いており、
人間関係に焦点を当てた作品と述べている。

動画を見ると恋愛模様などほぼにおわせず、
いかに死体処理を巡り、人々があれこれ考えて動くのか。

予告で示すあらすじとプロデューサー側による作品のあらすじに違いがある。

多くの人は「シンゴジラ」の後日談として捉えていた。
一方プロデューサー側は「人間(恋愛)ドラマ」として捉えていた。

怪獣の始末はおまけに近い感覚(政治風刺の一環)だった。

インタビュー:映画『大怪獣のあとしまつ』プロデューサーを直撃「予想以上に伝わりませんでした」

 

視聴者の意見

視聴者の意見として、三角関係も伝わった。
あらゆる要素を詰め込んだおかげで、主題が取っ散らかってしまった。

足し算しすぎて、引き算をしなかった。

反対に庵野秀明監督のシンゴジラは引き算を行った。
最初、製作委員会側から恋愛要素を入れろと言われたが、庵野監督は断った。

仮に政策委員会側の通りに恋愛を入れたら、
シンゴジラも結局あとしまつと似た評価をもらったのだろう。

製作委員会側が恋愛要素を入れろと言った気持ちも、
恋愛要素のある作品ほど閲覧者も増える。
映画の統計(市場調査)があったのではないか?

あとしまつにて主演の山田涼介さんだけを見たくて来た人もいるし、
恋愛に注目してきた人もいるのかもしれない。

多くは特撮要素とドラマが見たくて来た。

私も見るとしたら役者よりもプロジェクトXのような、
ドキュメンタリードラマ要素だな。

 

作り手vs視聴者の期待

私は作り手だ。大怪獣のあとしまつによる失敗と炎上は他人事でない。

監督のインタビューを聞いていると、
監督としてはやりたいこと・表現したい世界を描き切った。

作り手としては大変満足であると分かった。
いくら作り手が満足しても、楽しむ側にとって同じとは限らぬ

やはり作り手の欲望として、
自分が作りたい・表に出したい世界をすべて吐き出す。

同時に観客からも拍手喝さいかつ
「こういう世界を見たかった」視聴者の夢に一歩近づく世界。

評価は上がるし権威も高まるし成績も伸びる。

あとしまつにおいてプロデューサーは
「人間関係(特に三角関係=恋愛)後始末処理」に関し、
視聴者たちはワクワク見てくれると期待した。

なぜ視聴者側は人間関係に注目しなかったのか?

答えは予告動画にある。
予告動画で思いっきり人間関係(恋愛と不倫)をにおわす光景はない。

いかに怪獣の死体処理を考えるか。
日本全体がどういう対応を行うのか?

人間関係は予告の外にある出来事だった。
あったとしても恋愛よりも組織の対立程度と捉えていた。

 

狙いが伝わらない!

またプロデューサーによると、
「あとしまつ」ひらがな表記したところや、
怪獣が足を上げてくたばっている光景から、

「視聴者はシリアスでなくコメディとして受け取ってくれる」
狙ったものの、実際は伝わらなかった。

足を上げてくたばる怪獣なんざ、ウルトラマンにもいたはずだし、
どうせやるなら性的なポーズでくたばりやがれってんだ。

制作側の「狙い」はいろいろあったものの、
視聴者には伝わらないどころか、むしろ狙いに反する取られ方だった。

 

クリエイター側の問題

価格

私にとって大怪獣のあとしまつは考える材料だ。
自分の作品も同じように受け取られていると考えたためだ。

作り手としては「こういう世界を出したい」
次々とやりたいことがうかんでくる。

やりたいことは本編の流れにほぼ無関係であるけど、
強引につなげていけば、物語らしくなるだろう

とにかく表に出したい世界を先に描くんだ!

実際、いくつかのシーンは自分で作っていて泣いたw

物語ではぽつぽつとしか出していないけど、
自分の中で「本編に描かれないキャラ達の心情」が浮かび、
脳内で描かれた気持ち・いたわりがふっと浮かび、感動して泣いた。

もちろん「表」には一切出てこない展開であり、
遊ぶ側は私と同じ視点やドラマを味わえるかと言ったら無理だ。

一応対策として本編に関係ない形
(サブクエスト、本編に関係ない人と話をするなど)を出し、
物語の補足情報を行った。

問題は「売る側」になったときだ。
自作品を販売する側になると、思考も変わる

今までは「創ればいい」だけだったが、
いざ売る側になると「どう伝えたらいいんだ?」や、
「何が自分の作品にとって売り要素なのか?」

とにかく売るものやアピールポイントが何も見当たらず、
「とりあえずやってください」としか言いようがなくなる。

第三者にとって惹きつける何かが無いから、素通りされて終わりだ。

私はゲームを販売した時「戦略のなさ」を実感し、悔しい気持ちを抱いた。

「出すだけ(自分が楽しむ)」ではだめなんだ。

当たり前だけど「出すだけで、すべてうまくいく」と、
淡い期待(=都合のいい展開)を抱いてしまうんだ。

出すだけではだめだと分かっても、
どうやったらアピールポイントが浮かぶのか?

数日考えても、何一つ浮かんでこない。
浮かばないから都合のいい展開を考え、手を抜いてしまう。

今回、あとしまつの炎上を通してようやく答えが見えてきた。

「コンセプトから連想できる世界」にあるんだ。

 

コンセプトを語るうえで欠かせないポイント

「大怪獣のあとしまつ」というタイトルから、何か浮かぶか?
どんな世界観、どんな展開が浮かんでくるか?

「正義の味方によって怪獣が死んだ。ヒーローは去った。
怪獣の死体処理が残っている。人々はどう処理していくの?」

100字程度のあらすじから、視聴者の脳内でどういう展開を期待するか?

作り手としては二つの選択に分かれる。

  • 視聴者が頭で思い描く展開通りに話を進めるか
  • 視聴者がほぼ思いつかない展開に話を進めるか

作り手として面白い話は後者だろうが、
「あらすじと違う世界を描かれた」怒りの元となっているため、
視聴者の頭で思い描く展開は必要となる。

後は「大怪獣」「始末」といったキーワードから、
視聴者にとってぱっと浮かぶ物語は何か

  1. タイトル
  2. あらすじ(予告動画)
  3. キーワード

3つをまとめたコンセプトのみから、どういう展開を予想できるか

クリエイターとして必ず予告(あらすじ)・タイトル・キーワードを先に作り、
予告も作ったうえで、自分に問いかけていかねばならぬ。

「第三者として予告を見たとき、どんな展開を期待するか?」

作り手はネタバレすべてを知っている。
だからこそ「いったん記憶を捨てて」予告のみを見なければならぬ

 

ゴジラvsコングに見る期待

私にとっておおむね満足できる作品が「ゴジラvsコング」だ。

ゴジラとコングの戦いにおいて、とにかく二大怪獣がぶつかり合ってほしい。
遠慮はいらないし、余計な人間ドラマ要素もなくて十分。

本編は最後、メカゴジラという人間側の作った怪獣が現れ、
ゴジラとコングが共闘して始末するんだよね。

(「キングコングvsゴジラ」はとことん肉弾戦を行い、
最後は双方海に落下して終わり)

もしゴジラvsコングにおいて、二大怪獣の戦いよりも恋愛要素、
人間ドラマ要素ばかり中心に入れられたら……

「これはちょっと……」私も不満を抱くだろう。

あらすじ・予告とタイトルから
「ゴジラとコングがガチンコバトルする」シーンが浮かんだ。

劇場へ足を運んだら、実際にガチンコバトルしてくれた。

メカゴジラは正直余計な展開に感じたが、
物語を見ている最中、特にコングへ感情移入をしたので、
どちらかが死ぬという展開だけは見たくないなあ~とも思った。

米国版のゴジラはサムライだし、
コングは一部の人と友好関係を築いたゴリラだったので。

見たくないなら共通の敵=メカゴジラは必要なんだなと。

コングとゴジラのガチンコバトルは、
自分にとっておおむね「望んでいる世界」を形にしてくれた。

上映前からすでに自分の脳内で始まっている「妄想映画」の通り、
妄想映画の先を越えた展開を作り、おおむね満足だった。

 

どうすれば「狙い」が伝わるの?

あとしまつにてプロデューサー側はいろいろ狙いを持って取り組んだが、
視聴者には狙いが伝わらなかったと述べている。

視聴者の考察によると、
作り手は色々入れすぎてしまい、何が主題かわからなくなった

私も作り手である以上、いろいろ狙いを入れている。
狙いを受け取ってくれた方が、作り手としては喜ぶしね。

今あなたが読んでいる文章にもいくつか狙いを入れている。
わかるだろうか?

あとしまつを通し、及びあなたに問いかけたとき、思った。

無理して狙いを入れる必要はないのでは?
狙いを理解してもらえなくても、嘆かなくてもいいのでは?

狙いを入れたほうが作り手としては楽しいよ。

狙いを入れるときも「一本の本筋」を作ったうえで、
本筋から思い切りずれる内容だったら、あえて入れない。

入れなかった結果、作品を見る人が減ったとしても入れない。

入れてしまった結果、余計な要素がどんどん増えて、
「制作側は何を伝えたいの? 私たちを苛立たせたいの?」

結果として伝わらないどころか、
制作者の狙いと正反対の解釈で捉えられてしまう。

一方で作り手だからこそ、色々入れたくなる気持ちもわかるよ。
愛と魂と時間を費やして形にしたんだもの。思い入れはあるさ。

大怪獣のあとしまつにおいて「一本の道筋」は、
怪獣の後処理をめぐるやり取りであり、人間関係でも政治風刺でもない

プロデューサーによると「政治風刺」と「人間関係」に主眼を置いた。

二本、それ以上の道筋をつけてしまったがために、
視聴者の頭の中で混乱が生じ、わけがわからなくなってしまった。

 

あとしまつが教えてくれる「視聴者の期待」

私にとってあとしまつは物語・商品・作品コンセプトを考える上で最高の実例だ。

  1. タイトル
  2. あらすじor予告動画
  3. キーワード(ジャンル)

趣旨のみから「何を期待するか。どんな脳内展開が浮かぶか」を浮かべ、
ジャンルから「昔から人はどういうものを期待しているか」を知る。

作り手は結末含むネタバレを当然知っている。

だからこそネタバレ情報をいったんすべて忘れたうえで、
タイトル・あらすじ・キーワード飲みから連想できる内容を、
きちんと紙に書いてまとめていかねばならぬ

ブログでは「ブログタイトル・記事の簡単な要約・キーワード」でできる。
私はここ最近、おろそかにしていたなと気づいた。

創る人間にとって、面倒くさいんだよね。
「創る」にすべてを集中し「ほかはどーでもいい」思ってしまうから。

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プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

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