おはよう、しゃしゃ。
午後4時から6時まで仕事及び勉強しながら、大相撲中継を見ている。
大相撲において今季一番じっくり見る取り組みが高安関だ。
連日3分以上(平均30から1分)費やし、きっちり勝利をもぎ取っている。
忍耐強い取り組みを通し、私は彼が気になってしまった。
勝負強さの秘訣などをいろいろ調べていくと、何が見えるか。
そして私たちの仕事にどう応用できるか?
高安関の生い立ち

まずは高安関がどんな人かを知るため。
トレンドサイトっぽくプロフィールを調べてみた。
本名髙安晃、1990年生まれで父が日本人、母がフィリピンのハーフ。
奥さんは演歌歌手の杜このみ(89年生まれ)さん。今年2月に第一子出産。
現在は大関として活動中。
お父さん曰く「集中力がなく、楽しいコトだけやりたい子」
幼い頃は野球少年だった。
中学校1年から塾に通ったが成績が落ちて、
中学校2年で少人数の塾へ通ったとき、
「今から挽回しても遅いわ」
言われ、お父さんが決断した。
「楽しくやって路、塾に行かなくていい」
中三になり、同じ野球少年で当時十両に昇進した稀勢の里力士を見て、
お父さんがひらめいた。
「息子を力士部屋に預ければ、運が良ければ関取になれる」
後は先生のすすめもあったそうだ。
アポなしで千葉県松戸市の鳴戸部屋に行き、体型をほめられた。
本人は当初嫌がっていたが、周りの説得を通して鳴門部屋に入った。
入門時、7度も脱走を繰り返し、両親までが説得にやってきた。
だんだん「自分は両親に何てことをさせているんだ」
己の弱さと向きうようになった。
ちなみに鳴門親方は高安関の人となりを見ており、あまり叱らなかったそうだ。
叱っていたら心が完全にやられていただろうと、高安関が述べている。
大きな転機がまたやってきた。
父親が大きな病気を患い、実家の料理店を手放してしまった。
「父の望みは関取での大成。負けてられない。土俵に地が付いた」
2010年9月場所で幕下優勝を果たし、十両へ昇進。
先日引退した白鵬関との秋場所巡業ぶつかりけいこにて、
何と高安関は彼を唯一破った力士だった。
白鵬関のコメントとして「自分でも不思議だけど、きっと何かの縁」と述べた。
一方横綱とぶつかりけいこをした高安関は危機感を抱き、
先輩力士(稀勢の里などから胸を借りまくった。
2013年末、鳴門部屋は田子ノ浦部屋に名前を変えて、少し苦労したそうだ。
その後勝利と敗北を味わいながら、2017年に大関昇進したものの19年に陥落。
現在は前頭五枚目として頑張っている。
生い立ちを調べたけど、最初は父親から「集中力のない少年」と見られていたうえ、
何度も部屋を脱走していた経緯があったんだね。
だからこそ連日の粘り強い勝負に驚いている。
高安関の粘り強さと勝負の行方
今季の高安は現時点で3勝1敗であり、
2日目、そして4日目は3分の勝負を繰り広げていた。
まずは2日目の試合から見ていく。
大相撲公式チャンネルが動画を上げていた。
赤いまわしが高安関だ。
宝富士関が高安を外へ外へ押し出すものの、
高安は左まわしに指を入れ、しっかりを地に足をつけ動かない。
宝富士が高安のまわしをつかみながら動いているが、
高安は彼にまわしを握らせず、宝富士の手をつかんでいる。
彼らの頭の中では「この状態でどんな技を決めようか」考えている。
何度か宝富士が高安を土俵際へ追い出そうとするものの、
高安の体が少し浮いているにもかかわらず、
片足を宝富士に向けてバランスをとる。
高安が投げようとするものの、今度は宝富士が絶えた。
その後は一気にお互い勝負をつけようと動き始めた。
すると宝富士が両手を一気に高安から放したのち、
高安が彼を投げて勝負は決まった。
なぜ宝富士がここで手を放したのか、私にはわからない。
昨日の試合、高安関が志摩の海関をあと一歩まで追い詰めるのだけど、
志摩の海関がひょいっとかわし、高安ピンチに。
お互い外から内に入り、叩きあった後、膠着状態に入った。
同じ姿勢を維持し続け、時々島の海が動くが、高安は動かない。
彼らの息ははっきり聞こえる。じりじり動く二人。
グイっと動いたらすかさず高安が左回しをつかみ、志摩の海を投げる。
漫画でバキだろうか、鮫島だろうか、火の丸相撲だろうか。
お互いつかんでしばらく動かくなったシーンがあり、
見ているときは二人がじっとしているだけなんだけど、
脳内ではあまたの技を双方かけあい、
精神が飛び出てあの手この手で勝負をしているかの感覚に見舞われた。
大相撲の取り組みはNHK公式サイトから見れる。
期間限定だと思うけど、見れるときに見たほうがいい。
参照:相撲の勝負動画一覧
我慢するけいことは
日刊スポーツのインタビューにて、
高安関は「我慢するけいこをたくさんした」と述べた。
我慢するけいこの一つとして大相撲公式チャンネルでは、
合同けいこの様子が上がっていた。
力士同士が戦い、勝利した力士は休む暇もなく戦う。
控え力士たちが胸を借りよう(彼を倒そう)と手を上げる。
勝てば勝つほどスタミナを削られる、疲れや誘惑が迫ってくる。
だんだん怠惰な気持ちも出てくる。そのうえ師匠からのだめだし……
そこに負けず、目の前のピンピンしてる相手を叩きのめす。
長期勝負のけいこはこういうところから出るのだろう。
似た訓練として、一つ思い出したのが野球の甲子園に向けたトレーニングだ。
ダイヤのAほかでも見た訓練として、あらかじめスポーツドリンクなどを用意する。
後は朝9時から夜6時くらいまで続けて捕球訓練を行い、休みをほぼ取らない。
疲れまくった状態でもあきらめず、怠惰な気持ちが出たら叱られ、
体力の限界を越えながら、下手したら死んでもおかしくない状態で、
ひたすら捕球訓練(実際の試合に合わせる形で)を行う。
後はドラゴン桜。二次試験直前になって合宿を行った。
二日間寝ないで一日中勉強しまくる。
みんな疲れて眠たくなるけど、寝ないで頑張る。
スポーツはもちろん受験、そして仕事においても、
疲労の限界を超えるトレーニングはどの業界にもあるんだね。
思えば私も文章を書く仕事で1日術辛い日を迎えた記憶があり、
本当はやりたくないんだけど、今思えば必要だったんだなと。
高安関は昇進してからより先輩方から胸を借りた。
先輩方も後輩力士に負けぬと粘り強く勝負を行い、
徹底的に忍耐力を鍛えたのだろう。
脱線:杜このみの下積みを調べた結果
高安の奥さんで演歌歌手の杜このみさんはどうか?
このみさんは細川たかしさんを師匠と仰ぎ、6年間の下積みを重ねた。
このみさんは民謡出身であり演歌出身ではない。
演歌を学び、津軽三味線を学び……あまり下積み情報がなかった。
そこでほかの演歌歌手を調べたところ、
山内惠介さんは水森英夫師匠から「歌手の自覚を持て」といわれ、
レッスンのほか、未来を想定しながら夜の公演で一人歌った。
歌に集中して「自分は歌が好き」わかった。
他にも役者の下積みエピソードがあるけど、
練習よりも生活が大変だったという話ばかりだ。
ちなみにこのみさんをいろいろ調べたら、
高安関と婚約発表をしたとき、かなり叩かれたそうだ。
「高安が大変なのに、この時期に結婚するってどういうこと?
演歌歌手を辞めたいわけ? 師匠の細川たかしさんに失礼と思わない?」
演歌歌手の結婚も大変なんだなあと思ったよ。
限界を超えるトレーニングの本質
体の限界を超えたトレーニングは何を示しているのか?
一つビジネスサイトにて面白い記事を見つけた。
ハッチンソンは、より高い耐久力を追求する上では、からだを鍛えることで心も鍛えられると書いている。しかし、運動能力の研究に携わる一部の科学者たちは、脳を鍛えるだけで、わたしたちが考える以上に身体的な能力を伸ばせるのではないかと考えている。
脳も、本当の限界に近付く前に「もう十分だ」とわたしたちに言わせているのだ。それを上手くやり過ごすには、身体的な限界を押し上げ続けるしかない。だからこそ、トレーニングが重要なのだ。
「トレーニングによって、筋肉や心臓の能力ももちろん向上するが、脳の設定を再調整することができる」と、ハッチンソンは書いている。
信念と感情は、多くの点でパフォーマンスに影響を及ぼす。
脳みそを鍛えるという視点に立つと、
バキが限界を超えた力を得るため、脳みそから何かしらのホルモンを出す。
トレーニングもやりすぎると筋肉を傷めてしまうが、
「脳みそが盛業をかけている」からであって、
制御を外すようにひたすらやっていけば、ある時点で制御が外れる。
すると快楽物質が現れて、ひたすらできるようになる。
※一応フィクション主体の漫画なので参考程度にね。
サッカーでも「マリーシア」という言葉がある。
疲れているかのように見えて、実はピンピンしている。
疲れを装っている理由は相手をだますためであり、
いざという時全力で動いて相手を油断させるためだ。
ジャイアントキリングをはじめ、アオアシでもおっちゃんが橘にマリーシアを伝えていた。
本番で実力以上の力を出す場合、また限界を超えた忍耐力をつける場合、
いかに普段は脳みそが制御をかけているかを自覚し、
訓練を通して外した状態を実体験すべきなんだろう。
ふと思ったんだ。
楽しいアイディアと忍耐力

私はクリエイターだ。来月に一つの作品を世に出す。
作品を作るにあたり、私は作曲及び編曲までやってしまった。
編曲はもちろん作曲も「できない」人間だったが、できてしまった。
私は音楽業界に携わっていないからできないと思っていた。
音楽用語も知らないのにできるわけがないじゃん(当然)。
作曲はできない=一つの限界
どうやって限界を崩していったのか?
まず「自分で曲を作りたい」という意思だ。
正直頼んだ方が楽だと思ったよ。ほとんどはフリーサイトから借りてるし。
一部だけ自分が作らなければならないと確信していた。
作品のテーマであるし、音楽にも重要な意味があるし、
ここだけは他人を頼るのでなく、自分の中に正解がある!
絶対自分自身の心が譲れない部分だったから。
嫌だったんだよ。面倒なことがまた増える。
やらなくていいのにと自分が自分の心を説得したけど、
頑固な心には全く響かなかった。
仕方ない。一冊の本を購入して音楽の基本を学んだ後、
楽譜記入ソフト「ミューズスコア」をDLし、楽譜を打ち込んでいった。
最初は四分音符と八分音符の違いもわからなかった。
リズムの意味もメロディの基本もよくわからなかった。
わかっているのは「鼻歌」のみ。
鼻歌をいかに楽器へ変換するか。時間はかかったができた。
私は音楽の勉強をしながら当時、英作文(和文英訳)の勉強もしていた。
「なんだ、英作文を書く感覚でいいのか」
英作文と音楽の共通に気づいてから、音楽作りが楽になった。
高安関の忍耐力秘訣を探っていたら、
状況は違えと自分も限界を超えていたじゃないか。
ただ自覚してなかった。
もしかしたらあなたも自覚していないだけで、
実は限界を超えるトレーニング、何か一つしてると思うんだ。
体よりも脳が提供する限界を、いかにして超えるか。
粘り強さの秘訣は相手の前に自分の脳との闘いから始まる。
