おはよう、しゃしゃ。
NHK第二放送のラジオ英会話を聞いている。
夜の時間を聞いており、英会話の前にやっている番組がある。
カルチャーラジオという番組で、
主に文化や学業方面の深い話を聞ける番組だ。
最初、英会話のついでで聞いていたのだが、
最近は英会話がついでになりつつ、こっちがメインになっている。
カルチャーラジオはメモすべき項目がいっぱいあって、
昨日、チャイナの古典研究家こと守屋淳さんが、
渋沢栄一の業績をテーマにお話していた。
昨日、論語とそろばんが何を示すのかについて語った。
思わずメモを取り、番組を聞いた後は数分ほど考え込んでしまったよ。
明治の商売は詐欺が横行そして本質だった
守屋淳さんの解説によると、明治の商売は詐欺が横行していたそうだ。
一つはお金のインパクトがでかかった。
倫理を守って商売を行うよりも手っ取り早くお金を手に入れる。
手っ取り早くお金を入れるには、相手をだまそうが問題ない。
外人の学者も嘆いていたそうだ。
もう一つは江戸→明治への転換による混乱だ。
江戸から明治になるとは社会の仕組みが変わる状態だ。
今、日本は民主主義だけど共産主義になったら混乱するのも当たり前だ。
投票が近づいている。候補者がそれぞれ美辞麗句を述べている。
美辞麗句を本当にこなすのか、裏切るのか。
本気でやるか裏切るかの根拠として「これまでの実績」はもちろん、
言動や振舞い、ライバルやメディアから喧嘩を売られたとき、
どんな反応をするかなど、いろいろ見られている。
日本も民主党政権→安倍自民党政権になったとき、
経済が変わり、国の防衛などにも変化があった。
今まではリーダーが変わっても国は変わらないと思ったが、
リーダー及び政党が変わると、国の在り方も大きく変わると学んだ。
江戸から明治の転換においても、
リーダー及び組織が変わり、経済(税の徴収含む)も変わる。
それまでお金に深く接しなかった人が大金をもらった。
すると考え方も大きく変わり、詐欺してでも目先のお金を増やす!
考えが変わり、詐欺が横行していた。
渋沢栄一は詐欺横行に怒りを抱き、改革を唱えた。
論語とそろばんの本質
自分は「儲かる儲からない」でだけ判断するのって「寂しいなぁ」と思います。
赤字だとやっていけないのは確かですが儲けだけじゃない人の方が少なくとも、見て来た限りの範囲で「色んな面で優れてました」。専門家って須らくヲタだと思います。私お客に仕事ヲタと言われました違うと言い張りましたがw— 腦がおかゆ@SNS上の公職選挙法違反に気を付けよう/NETWORK_SPECIALIST (@L6J9WvOfMBMlzle) October 24, 2021
渋沢栄一は商売人の常識「詐欺」を変えるよう努力した。
詐欺横行は「そろばん」方面が強く「論語」が弱い。
渋沢栄一にとって「論語とそろばん」は「道徳と経済」を示す。
いくら経済(そろばん)が強くても道徳(論語)が弱いと詐欺野郎になる。
詐欺野郎になると、お金をたくさん得られる代わりに信用を落とす。
信用を落とすとは、その人が困ったときに助けて確率が減るし、
「ここに投資すべき対象か。避けるべき対象ではないか?」
避けるべきオーラを出して、結局収入が途絶えてしまう状態を示す。
もっとわかりやすい例を出すなら親から金を借りるだ。
親から金を借りるとき、親は子供を信用しているから貸す。
信用していなければ、子供だろうが貸さない。
銀行が企業にお金を貸すときも会社の実績はもちろん、
社長と話をして、銀行側は「信用」を基準に置く。
「こいつなら大丈夫だろう」
合格ラインを越えたら貸すし、不合格ラインなら断る。

財政でも触れたが日本は政府が借金している。
誰から借りているかといったら、銀行や保険会社、外人投資家そして国民だ。
国民が政府にお金を貸してあげているんだ。
国民が政府を信用しているから、貸してあげているんだ。
「え、信用なんかしてないよ」思うかもしれないけどね。
漢文を学ぶメリット-独自解釈と飛躍-
ついでに守屋先生は漢文の良さについても述べていた。
論語は漢文だ。漢文の特徴として漢字がただ並び句読点がない。
日本人は書き下し文を通し、外国語を母語に変えてしまった。
普通なら外国語は外国語のまま理解しなければならないが、
日本人は外国語を日本語でもできるように変えてしまった。
漢文には句読点がないと書いた。
書き下し文に変えられる人がいない場合、どんな解釈もできる。
渋沢栄一は漢文の特徴を利用(悪用)し、
自分にとって都合のいい解釈へとかえてしまった。
一つ重要な事実があり、
「論語も完璧じゃないよね」と認めなければできない。
完璧でないから、より完璧へと近づけるよう、
新たな情報=現代に即した解釈ができるんだと。
漢文があったからこそ、書き下し文が完璧でないからこそできた。
「漢字の並びで、新たな解釈もできる」
ある意味、漢字を元ネタに二次創作できるわけだ。
道徳の問題は経済で、経済問題は道徳で

守屋さんの解説を聞いて、はっとさせられた部分があった。
経済に問題があったとき、道徳を使って解決を見出す。
同じく道徳に問題があったとき、経済を使って解決を見出す。
片方だけが重要でなく、両輪をとってバランスよくしなければならぬ。
同時に利益での問題を道徳に見出し、道徳の問題を利益に見出す。
商売にとっての道徳はお客様との付き合い方、
組織内で部下に反乱を食らわない生き方、
家族なら子供たちに刺殺されない生き方……
利益は売り上げが出ない、費用ばかり出してしまう、
資金繰りできなくて、会社が大きくならない。
反対に負債が多くて資産が少ない(債務超過)
利益の問題を解決するとき、利益だけで見るのでなく道徳の視点で見る。
すると社員や銀行を説得して問題を解決できる可能性がある。
論語とそろばんをつなげている「キーワード」は信用だ。
信用を広い言葉に置き換えると愛だ。
誰か、何かに対する愛が大きいか小さいか。
倫理の問題が生じたら倫理だけで捉えるのでなく、
経済という別の価値観を持って解決に導き、バランスをとる。
経済なら倫理の価値観で解決をとり、バランスをとる。
渋沢栄一はなぜ別方面の解決を行ったか。
チャイナ古典の本質に「陰陽」がある。
光あれば陰もある。光だけを見れば問題があるし、
陰だけだと同じく問題にもなる。
論語とそろばんの本質を聞いたとき、
「渋沢栄一、深いなあ」と思ってしまったよ。
国語の問題を数学で、数学の問題を国語で
これだけで数学が必要な科目とわかる pic.twitter.com/tShAjLbRe6
— クー・ローニン (@chargaronin) October 24, 2021
AとBは別物だ。
陰陽に従えばAとBはそれぞれ補う関係になると、
解決あるいは創造につながる。
一つに数学と国語を置いてみよう。
数学の問題を国語に、国語の問題を数学で解決してみる。
すると国語と数学の共通点は「論理」だ。
数学の論理を国語に持ち込んで解決し、
国語の論理を数学に用いて言解決へと導く。
私の場合「一文字固定法」を企画の仕事に活かすという記事を書いた。
一文字固定法とは二つの変数があったとき、
いったんどちらかの文字を固定し、決定した後、もう一方を行う。
数学だとx,yは整数で1<x<8,2<y<9のとき、
xy+x-2の最大値を求めよとなったとき、
いったんxを定数と置いて先にyだけの値に数を入れたのち、
次にxを定数から変数に直し、代入していくやり方だ。
企画を作るとき、どうしてもぶれてしまう部分がある。
ターゲッティング、コンセプト、いろいろだ。
そこでいったんターゲッティングやコンセプトについて、
「仮の答え」を決めて固定化させる。
色々を解決した後、一つずつ定めた答えを取り外し、
改めていろいろ検討していくと。
私が仕事あるいは創作活動(芸術)でやっている行為を、
渋沢栄一はすでにやっていたんだと。
渋沢栄一の考えに立てば、
いろんな分野を勉強すればするほど、問題解決に役立つと分かる。
「渋沢栄一、すげえなあ」思いながら聞いていたよ。
