おはよう、しゃしゃ。
武漢発のコロナウイルスを通してツイッターでパニックを起こしている。
最もパニックを利用して変なほうに煽り、
さらなる方向に転がそうと企む連中もいる。
混乱とは「あれもない、これもない」と、
「ないない」ばかり気になりすぎて「ある」を受け入れられない、
まさに余裕がなく安易な解決策へ飛び込む状態を示す。
さて自分を分析していると……
どうもツイッターを通して「ないない」を追い求め、
「ある」を否定したがる傾向を持っている。
現在、私と同じように「あれがない、これもない」と、
ないない病を脱するには一つの覚悟をしなければならぬ。
自分は「ある」という自覚
覚悟の一つ目は「自分は実は持っている、すでにある」という、
「ないない」とは正反対の自分に気づかねばならぬ。
ないない病を患っていると、自分は「何もない」と気づく。
何かを出そうとしても「それはダメだ、それはない」と、
自分の「ある」を拒んでしまい「ある」を出し惜しみする。
出し惜しんでいる間にも時間は過ぎていき「ないない」日々が続く。
あなたはある事柄に関して知識を「持っている」。
「持っている」知識を「今後持ちたい」人に伝える。
武漢発のコロナウイルスでは医療関係者が、
ウイルスに関する知識や対策、考え方を出しているね。
彼らは医療知識を「持っている」から出せる。
私は医療知識などほどんと「ない」から出せない。
じゃあ自分が「ある」ものは何だろう……思っても、
「特にない」と分かってしまった。
「何もない」じゃん。
今のあなたはどうだろうか?
何かの資格を持っていても「何もない」と考えていないか。
私は特に資格を持っていない。
だけど実は「ある」のだ。心の動きや収益の仕組み、
そしてイラストを描くコツや文章をうまく伝えるコツ……。
今現在自分がやっていることを振り返ればすでに「ある」のだけど
「ないない病」はすでにあることに対し、
本当にそうだろうか?
資格もないしただブログやnoteなどに記事を書いているだけの私ですら、
探さなくても今現在している作業を振り返ると、
「十分にある」状態なのだ。あなたも同じ。
まずは「すでにある」と自覚する。「ある」ものを「ない」と判断しない。
「ある」のに「ない」と選ぶのは自己否定の一種
「ないない病」から混乱を生じている場合、自己否定の一種と考えている。
自分を否定したい、もっと苦しみたい。不幸のヒロインであり続けたい。
負のループにはまっているだけであり、自己否定をただ行っているだけである。
自己否定のメリットは自分を嫌がる行為だけでなく、
やがてあなたじゃないとできない仕事を先延ばしし、いつまでも苦しい世界に浸っていたい。
現実逃避の一種だ。
ふわっちやニコ生、YOUTUBEといった動画サイトがあり、
彼らは特に技術がなくてもお金を得ている。
ただしゃべっているだけなのにお金をいただいている。
あるいは私はnoteで特に知識にもならない記事を書いた。
現在実験中の項目を書いただけだ。
いいねを私は4つももらった。
自分で書いていても「???」な内容なのに……
その時の自分から見て「ない」状態なのに、
「ある」ということにして「自分のない」状態を書いた。
最低でも4人はいいねを推したくなるほど、
彼らの心に何かしらの影響を与えた(=感動させた)のだ。
もう一つ、何もない状態から記事を書いた。
いいねは0だったが、何もなくても記事を書けた。
「ない」と思っていたのに実は「あった」のだ。
何もなくても"ある"を前提に生きる
私にとって「何もない状態」でも記事を書いた結果、
読者は「ある」を認識し学びへとつながっていった。
「ない」のは安易な自分の決めつけのみである。
探そうと思っても「ない」のは当たり前だ。
探すのではない。むしろ探す必要すらない。
「すでにある」のであり、探すのでなくとりあえず体を動かす。
私の場合なら「記事を書く」行為を通し、
「ない」状態でも記事を書いてみた結果「ある」という事実に気づかされた。
何が「ある」のかといえば、今、あなたが私の記事を通して感じた事柄だ。
私からははっきり言えないし私ですらわからない。
あなたが私の記事を通して、
「あ、こういう考えは勉強になる」と勝手に気づき、
あなたの今後の生き方につながっていくヒントを見出しただけ。
だから「ああ、ニーズがない、あれもない、描きたいものもない」など、
「ない」ほうばかり気にしなくていい。
とにかく体を動かす。手を動かす、足を動かす。
何もなくていいから手や足など体に任せてみる。
すると「ある」が勝手に出てきてあなたは気づく。
そしたら後は「ある=自分の手足」に任せて動けばいい。
今日の記事は私にとって「ない」状態から書いた。
まさか「ここまで=およそ2000文字」費やすとは思わなかった。
私ですら「ない」と思っていたのに実は「ある」のだ。
そしてあなたに役立つかどうかはわからなくても、
「あなたの何かに気づくヒント」は与えていると考えている。
脳内の言葉が「すべて」じゃない
「ないない病」を患っている場合、すべての基準を脳内に任せている。
脳内は「ない」とパニックを起こし、あれこれふらつきやすい。
実際、本当に「ない」のだからパニックを起こしたがるのもわかる。
私は「ない」状態から何も考えないで手を動かした。
すると次々と勝手に言葉が浮かんできて、
気づいたら一つの記事ができあがってしまった。
脳内から生じる言葉が全てじゃない。
むしろ「ない」状態は「何もないように見えて実はある」を引き出す最高の状態だ。
あなたの仕事は一つ。手足を動かせばいい。
あとは「ある」があなたを引き連れていく。