
画像元:島の夜、嵐がきた。 | のぶ #pixiv
おはよう、しゃしゃ。
見てきたよ、ゴジラの映画を!
ゴジラさんとキングギドラさんが王者をかけて戦ってくれる映画、
Godzilla: King of the Monstersを鑑賞してきたよ。
以下、KOMゴジラと表記する。
KOMゴジラはアメリカの思想を知るうえで面白いと、
思ったところがあるので書いていきたい。
ネタバレをがっつり含むぜ。
西洋人が見る怪獣の定義が現代文のテーマだった件
ゴジラ達をデフォルメで描いてみました
KOMの怪獣達は個性が強いからこういう絵と相性がいい気がする#GodzillaMovie #GODZILLA pic.twitter.com/1hCHYjTiyA— 自由に生きたいムルヂラス (@murumurumuruchi) June 22, 2019
しゃしゃが今、受験生ならKOMゴジラを見に行くといい。
KOMゴジラと日本ゴジラにおける大きな違いが提示されている。
外見やカッコよさといった形もだけど、
アメリカにとってゴジラとはどんな存在か?
キングギドラやモスラほかはどんな存在として描かれているか?
日本は制御不能な装置として描かれており、
欧米は制御可能で統制できる道具として描かれている。
もちろんゴジラは制御不能なんだけど……
怪獣の仕組みを応用した道具を作り、制御可能な装置として働いている。
受験現代文ではテーマの一つに「自然をどうとらえるか」がある。
文明論や文化論につながる部分だ。
日本は「調和、畏怖」で見ており西欧は「征服」で見ている。
KOMゴジラと日本人監督が作ったゴジラ(特に初期)を見比べると、
怪獣を通して「彼らが見る自然とは何か?」がわかる。
ちなみに科学は「神様を解剖」するところから始まった。
神様の仕組みをつかんで利用するために発達した学問だ。
おかげでパソコンやスマホを利用でき、
私たちの生活に欠かせない道具として存在しているね。
怪獣の戦いという視点から見る
https://twitter.com/hariri432/status/1142201511788728320
KOMゴジラでがっかりした部分はラドンの扱い方だ。
ラドンさん、かませじゃないですかあw
まさかラドンのみゴジラと戦わないで、
モスラに戦いを挑んだ挙句、返り討ちにあうとは思わなかった。
三大怪獣地球最大の決戦ではゴジラとラドンが、
ゆる~い戦いを繰り広げていたので期待をしていたんだ。
ラドンとゴジラがぶつからなかったところに不満を抱いたよ。
一方でゴジラはキングギドラと激しいぶつかりあいをした。
日本映画「ゴジラvsキングギドラ」前半戦を思い浮かべるほどの肉弾戦に、
ワクワクしたのだけど……集中できなかった。
南極やボストンでゴジラとキングギドラがぶつかり合っているとき、
同時並行で主人公たちが逃げまどったり娘を救出したりと、
怪獣の戦いと人間の動きが一緒に映っていた。
怪獣同士の激しい戦いと人間の行動に注目せねばならず、
「もっとぶつかれ、激しく戦え」心より生じる闘争本能に火が付かなかったよ。
作品を書く上でも勉強になった。
自分のうる覚えとしてゴジラvsキングギドラやビオランテでは、
怪獣と戦っている間、人間の役割は棒立ちによる解説だった。
あくまでもメインは怪獣同士の肉弾戦であり、
人間は肉弾戦でわからないところを補佐する役目だった。
わからないところとは怪獣同士の脅威やすごさ、
何でゴジラがこんな行動をとったのかといった部分だ。
ウルトラマンシリーズでもウルトラマンと怪獣が戦う時、
間にがっつりと人間ドラマをはさめない。
あっても怪獣vsウルトラマンのように、
人間と宇宙人が肉弾戦を繰り広げているときだ。
色に例えると怪獣の肉弾戦は真っ赤であると定義するなら、
人間が逃げまどうさまは補色(反対側)の緑であり、
人間と宇宙人が肉弾戦を繰り広げるさまは類似の桃や橙色だ。
相反する展開が起きるからこそどちらにも集中できず、
良い意味で冷静、悪い意味で集中できなかったよ。
日本とアメリカの違いだろうか?
日米関係なく監督の狙いによる違いだろうか。
家族の物語としてみるKOMゴジラ
GODZILLA SHOW BASE inアリオ八尾
SOSゴジさん。こいつははじめまして
お会いできて光栄。やっぱかっこいいな〜傷口とか触ってみたかったけどダメですよ。こいつの近くに行くと大島ミチルさんの曲が聴こえてきます。スタッフ最高か⁉️ pic.twitter.com/KddFKGOFPB
— フォーマル (@Fomalhaut65) June 21, 2019
KOMゴジラは環境テロリストによって怪獣の封印が説かれ、
特にキングギドラ+人類がゴジラをぶっ倒して王者となり、
世界中が天変地異になってしまった。
怪獣王者がゴジラ→キングギドラになったので、
今まで黙っていた怪獣どもが大暴れし、人類の危機に立たされた。
ゴジラを復活させてキングギドラと王者対決を行い、
人類やモスラがゴジラを援護しながら、
何とかキングギドラを倒し、ゴジラは王者に返り咲いた。
ちなみに環境テロリストは続編にも出る予定なのか、特に作中内で罰されずに終わった。
KOMゴジラは人間ドラマもキーポイントにある。
一つは父親と母親の対立から許しまで。
もう一つは怪獣の扱い方における人々の立場についてだ。
「父親」という立場からドラマを見ると、
冒頭ではゴジラに自分の息子を殺されて憎んでいた。
別居中の妻と娘が環境テロリストに誘拐されて、
妻はともかく娘だけはせめて取り戻そうと頑張った。
最後は環境テロから抜けた妻と一緒に娘を探し、父親としての尊厳を取り戻した。
「母親」という視点で見たら、「娘」という視点で見たら……
人にも物語–現状問題と達成したい目標–があり、
人が何を手に入れるためにどんな問題と向き合っているか?
人間ドラマで見ると面白いんじゃないかと思う。
ただゴジラの場合はあくまでも怪獣による肉弾戦がメインであり、
人間ドラマは記憶から抜けても問題ない。
私の場合は怪獣の肉弾戦よりも父親の生き方に深い印象を抱いたよ。
もちろん自分が子供だったら、父親の生き方なんぞどーでもよく、
肉弾戦の凄さのみが記憶に残るのだろうけれど。
……年を取ったんだなあ。
やっぱアメリカ人が作ったゴジラだなあ
【日常】
今日の新宿はどんより天気。まだまだ梅雨ですね。
…ということで、当店のディスプレイは梅雨モードです☔️
(心なしかヘドラが嬉しそうです)
ゴジラ・ストアTokyo店舗限定の傘もございます!
雨の日もゴジラグッズで気分を上げていきましょう♪#ゴジラ #ゴジスト pic.twitter.com/HGQ0LRjUtj— ゴジラ・ストアTokyo (@GodzillaS_Tokyo) June 22, 2019
元ネタが日本のゴジラであっても、
根底思想に「西洋の価値観=キリスト教の価値観」があるとわかった。
日本と違うからこそ違和感を抱くし、
「へえ、アメリカではこう捉えているのか」面白さもあった。
人間ドラマとしてみると、日本ゴジラより記憶に残る。
日本ゴジラは「ゴジラ単体」なら人間ドラマにも目を向けるが、
VSシリーズはほとんど目を向けない。
一方でアメリカ人らしいコミカルな描写、
日本とは違う意味での怖さがあって勉強になった。
例えばキングギドラは日本版よりKOMのほうがはるかに怖く、
なぜキングギドラが地球にいてはならないのか?
ゴジラとキングギドラの違いがはっきりと分かってよかった。
(形の違いは言うまでもない)
怪獣同士が戦っているとき、
映画館全体が暗いせいで怪獣同士の戦いにおいて一部、
何をしているのかよくわからないところがあった。
最後のゴジラが王者として君臨するシーンはよかった。
次回作、コングとの闘いがとても楽しみだよ。

ゴジラに関する映画の感想としてはこちら。
私にとってゴジラはvsシリーズなので、
シンゴジラは人間がどう知恵を絞ってゴジラを倒すか。
自然を征服するという考えでなく「単なる敵」をどう排除するか?
こっちのゴジラでvsシリーズは無理だろうなあ。
