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源氏物語原文と漫画ドラゴンボール(鳥山明)の意外な共通点

おはよう、しゃしゃ。
2日ごろ、岩波書店の源氏物語原著を購入した。

分厚い本であり、まだ1巻目しか手に取っていない。

私は今、ある技術を手に入れたいと考えており、
関連に漫画ドラゴンボール-フリーザ様との闘いも手に入れた。

私から見て二つに共通している部分は何か?
共通している二つの部分の何を手に入れたいかを書いていきたい。

 

源氏物語を黙読するときついが

源氏物語原著は右に原文、左に大まかな解説と現代語訳がある。
私は現代語訳を読んでいない。

原文を目で読むと、2ページ目を読んだところで、

「ああ、もう読みたくない」

原文を声に出して読むと、すらすらと次のページをめくれる。
正直、何を書いているか大雑把な範囲でしかわからない。

声を出すとすらすら読める。
源氏物語原著は簡潔に何が起きたかを書いている。

現代語訳をすると、原著で抜けた情報を補って書いている。
さらに英訳すると主語や接続詞を多用し、文章が長くなる。

文章が長いほど具体性を持っているから、その当時の状況や場面がわかりやすい。

一方で簡潔に書いてあるからこそ、声を出したとき非常に読みやすくわかりやすい。

きちんと読もうとすると辞書が必要であり、
声を出して読んでいるときはわからない部分も多い。

声を出すと「なんかわからないけれど、わかった気分」になって、
大まかに状況をつかみながら読める。

※源氏物語を読んだ後、雨月物語原著を読むと、
とても読みやすいうえ状況も簡単に理解しやすい。
もちろん現代語訳を読まずに音読するだけ。

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古文をはじめて勉強する場合は

古文は基本、受験勉強の一環としてやらねばならぬ。
私の場合は教養+実技としてやっている。

受験で初めて勉強しなければならないとき、
教科書の音読より角川ビギナークラシックから、
竹取物語を購入し、声に出して読むといい。

ビギナーズクラシックは基本、おいしい部分のつまみぐいだ。
竹取物語はすべてを収録している。

物語としてもかぐや姫と5人の貴公子の知恵比べが面白い。
ストーリー構成の勉強にもつながる。

古文の助動詞や敬語の基本、古文常識の基本も書いていあるから、
声に出して古い文章に慣れてから、文法や敬語を学ぶといい。

後は試験対策の問題を購入して解きながら、
問題文を徹底的に解剖していこう。

アマゾン:竹取物語(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

 

社会人が古文を学ぶメリット

古文は必要条件でなく「やらなくてもいい」意味で十分条件だ。
文章を書くなら古文はやっておいた方がいいと考えている。

古文と現代文の大きな違いとして、
古文は簡潔かつ要点のみをきちんと書いている。

現代文は省略した言葉を補って読みやすいが、あれこれ余計な文章を入れてしまう。

「この人は何が言いたいのだろう?」

読み手に主張を届けられない。
相手に簡潔な主張を伝える技術として古文は役立つ。

※上記の文章に「あれこれ」と書いた。
古文をやると「あれこれ」を省いていいなと考える。

次に古文は敬語を勉強するので、
尊敬語と謙譲語の区別をつけられるようになる。

尊敬語は「主語」に、謙譲語は「目的語」に敬意を持つ。

そして古文だけでなく漢文にも通じる部分として、
現代語訳をしないで、原文を読んで状況・情景を感じる部分こそ、
古文を声に出して読む一番の利点と確信している。

古文は原著を、漢文なら書き下し文を声に出して読む。
現代語訳はしなくていいし読む必要もない。

原著を読んで「間違えていい」から、
「なんとなくこういう主張・状況か?」なんとなく情景を思い浮かぶ力。

社会に出ると言葉にできない真実があちこちに眠っている。
うまく言語化したいのだけどできない。

真実は言葉で説明しにくい性質を持つ。
「説明しにくい真実」を体でつかめば、目先の変化に対応できる。

目先の「言葉やイラスト他で表せられないチャンス」に気づき、
チャンスを形にするための対策を立てられる。

言葉やイラストなど多くの人にわかりやすい表現ができる時点で、
チャンスはすでに使えないゴミへと変わる。

チャンスは言語化できない、察するだけだ。
察する力を鍛えるために原著を何度も声に出して読む。

興味を持ったら辞書を使って言葉を調べる。
大まかな意味が分かったうえでも声に出して読む。

チャンスを察知するために古文や漢文を勉強したほうがいい。
学校で教えてもらわないからこそいいんだ。

 

ドラゴンボールフリーザ様編を購入して

話は源氏物語からドラゴンボールに変わる。
私はフリーザ様とゴクウが戦う場面しか購入していない。

フリーザ様との闘いを知りたいから買ったのでなく、
「視線誘導」と「線」の使い方を学びたい。

そもそものきっかけとして、
ワンピースとドラゴンボールを比較したブログを読み、
多くの人がドラゴンボールのすごさを語っていた。

ワンピースは世界観が面白いけれどごちゃごちゃしている。
コマにあれこれ詰め込みすぎるため、焦点がぼけてしまっている。

ドラゴンボールは線の使い方が的確で、
空間とキャラの立ち位置がはっきりしており、視線誘導がうまい!

ワンピースの場合、空白に人を詰め込んでしまう傾向があり、
焦点がぼけてしまっているんだという声をスレッドで見た。

私もどちらかというと、空白に何かを詰めたいタイプだ。
空白が少しでもあると「利用できないか?」考えるのよ。

読み手より自分の都合を考えるのさ。
ドラゴンボールは空白をうまく作っているからこそ、
余計なものがなくて読みやすいとあった。

第三者の感想を大まかにまとめた結果、
ドラゴンボール好きの知人に尋ねて、フリーザ様最終形態編を購入した。

大判コミックスを購入し、鉛筆を使って線の研究をしていると、
鳥山明先生の計算や工夫がわかり、感心する。

構図

私は絵の中でパースが最も苦手だ。
パースとは遠近法だと一二三点をはじめ、アオリやフカンがわからぬ。

消失点や水平線、アイレベルを理解できても、
実際にイラストを描こうとするとしくじる。

鳥山先生のパースを研究すると、
「ある程度まで大雑把でいいんだな」と分かった。

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参照:ワンピースが読みにくい理由

参照:ドラゴンボールとワンピースの売り上げ比較

 

源氏物語とドラゴンボールの共通点

どちらも簡潔で主張が強く読みやすい
簡潔に読み手の脳内へ印象を与えたい技術こそ、
私が最も身に着けたい技術だ。

読み手を全く考えなければ、私は余計な言葉を入れようとする。

「これだけ書けば、読み手も理解できるだろう」
書き手の私は思うのだけど、後で記事を読み直すと、

「何を言いたいのだ、自分は?」

時間がたつと「書き手→読み手」へと変わる。
初めて「ごちゃごちゃしているなあ(汗」気づく。

要点を抜き出し余計な部分を省いたうえで、
読み手の記憶に焼き付く作品を自分はめざしたい。

簡潔で強く伝わる主張を目指すなら、両方を手にしたほうがいいよ。

 

おまけ:シェークスピアのオセロー原著も読む

正月にNHKEテレで舞台「オセロー」をやっていた。
ジャニーズWESTの神山智洋さんが出演し話題を呼んだ。

ツイッター実況でしか見ていないのだけど、
舞台挨拶の神山さんとイアーゴー神山は別人でびっくりする。

ツイッター実況とイアーゴー神山の写真を見て、
オセローがどんな物語なのか気になり調べた。

ネタバレサイトを見て初めてオセローがなぜ悲劇なのか理解したし、
イアーゴーがあそこまで怖いのもわかった。

ネタバレを通して「初めから終わり」まで知った。
だからこそ詳細が知りたくなって原著を読んだ。

ネタバレを見ると「作品を読む気が失せる」のでなく、
むしろ「ネタバレで書かなかった穴」に気づき読みたくなる。

穴とはオセローのセリフやイアーゴーの最期、
デズデモーナとオセローの関係……

シェークスピアのオセローを読んだとき、
セリフの一つ一つがくどくて現実にありえないけれど、演劇だからこそ心地よい

シェークスピアの文章は自分にとって違う路線だが、
相手の印象に深く焼き付ける意味では参考になった。

後、ネタバレで結末を知ったからこそ、
帰って読みたくなる自分にも気づいたしね。

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。