おはよう、しゃしゃ。
今日は天皇誕生日、天皇陛下のお誕生日です。
84歳のお誕生日、おめでとうございます。

どんなことがあってもニコニコしておられます

……おられますって使い方はあっているの?
もしかして、間違った敬語を使っていない?

敬語について改めて見直してみよう。

※ ニコニコしていらっしゃるが正解だと思う。

 

敬語って何のために使うの?

「よろしくお願いします」と、相手に頼む場合、
なぜしゃしゃは「~ます(丁寧語)」を使うのだろう?

当たり前だと思わないでほしい。

上司に対して、

「私が書いた報告書、見て」命令口調で述べるのと、
「報告書、見てください」丁寧口調で述べるのとでは、
どんな違いが生じるのだろう?

発言側は何も思わなくても受け取る側は違う

上司に対して命令口調で述べたら、
「こいつ、生意気やな」判定を下されやすい。

丁寧口調で述べたら
「生意気」思われる確率が減る。

相手と自分の距離が敬語一つで開いてしまう。
私も時折第三者から批判ツイートをいただくけれど、
丁寧語を使う人と使わない人では、印象が違うよ。

使わない人は慣れ親しんでいる人でない限り、
「怖いなあ、この人」しか思わないね。

著名人が政治関係ツイートをして、
どこの誰もわからぬ第三者から批判されたとき、
苛立ちと怖さを抱くのではないだろうか。

敬語は相手と自分の距離を「近づける/遠ざける」手段だね。

敬語関連でツイート検索したら、
「敬語をなくしたい(ため口でいい)」書いている人もいて、
いろいろと考えてしまうねえ。

 

敬語を鍛えるなら古文

敬語は仕事だと人によってたくさん使うが、
たいていは丁寧語以外、あまり使わないと思うよ。

とはいえ、上司や自分にとって「価値の高い人」に対し、
敬語を使わないと「生意気」見られかねない

日本語を話す外国人でも、敬語を使う人は多い。
敬語がいかに日本人との距離にかかわるか、
日本語学校で習っているのだろう。

今から敬語を学ぶ場合、現代よりも平安時代の現代語訳が勉強になる。
王朝文学–枕草子、源氏物語、紫式部日記ほか–の音読がいいよ。

特に枕草子、海月のななり(中納言参り給ひて)の部分は、
敬語の使い方ひとつで「誰が誰に何を言っているのか」がわかる。

参照:『中納言参りたまひて』の品詞分解

敬語を扱えるようになると、主語や目的語の省略ができる。
(ただし読み手に敬語の知識がないと、意味不明な文章へ変わる)

敬語に加えて余計な言葉を省略できる文体をつけたいなら、
古文及び現代語訳の音読(+写経)をしておくといい。

後は仕事で必要な敬語を身に着けていけばいいわけだ。
敬意の基本は古文にあると、私は考えているよ。

 

敬語を使う産経他と使わぬ朝日他

今回の記事を書くに至ったきっかけが、
フォロワーGinjoroさんのツイートにある。

産経では「お迎えになられた」「述べられた」と、
敬語助動詞「られ」を使っている。

私としては「られ」は受け身表現でとりやすいから、
「お迎えになった」だと、敬語と分かりやすい。

ここで「お迎えになられた」書くと、
「お~になる」と「られ」の二重敬語になってしまう。

天皇陛下に対する敬語なら、二重でもいいと思うが、
現代の使い方としては間違っている。

「述べられた」は「おっしゃった」でいい。
何でもかんでも「られ」は言葉を軽く見ているんじゃないの?

一方の朝日は敬語を使っていない。単純に書き忘れたとは思わない
記事は編集者による確認を通して、市場へ出回るからだ。

敬語を使わないと、朝日がどんな狙いを抱いているかは置いとき、
「朝日は天皇陛下に敬意を持っていないんだな。
むしろ敵対関係になろうとしているんだな」

相手と自分の距離が遠くなっていくような印象を抱くよ。
朝日がわざと敬語を書かなかった狙いは何だろう。

朝日新聞の天皇陛下に関する記事を調べていたら、
皇室関係記者は主に島康彦さんだね。

朝日だけじゃなかった。北海道新聞をはじめ、
いくつかの新聞も敬意を外して書いているよ。

だから、敬語を使う/使わぬは新聞社によって分かれているみたいだ。
じゃあなんで使わないのだろうか。

思いつく要因として――

単に事実を書いている

記事の特徴として「いつ・どこで・だれが・なにをした」と、
単なる事実を書いているだけ。

敬意の前に「そこで何があったのか」を書いただけ。
だから敬意を使っていないと。

敬語に慣れ親しんでいない

生まれが外国育ちで敬語をまともに使う機会がないから、
「天皇陛下には敬語を使わなければならないの?」
疑問を抱くくらい、今も敬語の必要性を感じていない。

わざと使っていない

敬語が誰に対して使うのかわかっている。
「何かしらの感情や事情」で、敬語を使わないよう心掛けている。

すぐ思いつく事情として、ご譲位や女系天皇に関連し、
日本国民の大半に「天皇陛下は敬意をつける存在ではない」と、
日本の象徴としての価値を落とさせる。

価値が落ちると、天皇いらない運動が起きる。
(日本には反天連:反天皇制運動連絡会がある。
天皇なんて消えろというパヨ系グループだ)

真相は何だろうね。

 

さまと様の違い

朝日記事を読んでいた時、
皇后「さま」ひらがな表記をしていたので気になった。

なんで漢字を使わないのだろう。
調べると、皇室の呼び名にルールがあるんだと。

マスコミにとって耳障りでない表現を用いたかったのね。
「さま」は親しみを込めた印象がある。

参照:「さま」と「様」?敬称の使い方の違いは?

 

天皇陛下に敬意を持つには?

私はある情報を知るまで、天皇陛下をはじめ、
天皇にかかわる大勢の人々に敬意を持てなかった。

むしろ税金泥棒一家だと思っていた。

反天皇だった私が敬意を持った事情として、
国事行為とは何かを調べた時だ。

国事行為:宮内庁キッズHPより

中学校や高校の公民で習う政治/経済において、
「天皇の仕事は国事行為」と、ただ一言しか書いていない。

「国事行為」の具体的な中身について、先生は教えてくれない。
(というより先生も知らないと思う)

国事行為の中身を知った結果、
「天皇は日本の象徴としてそこにいらっしゃるのでなく、
日本の良さや伝統を世界各国に売り込むビジネスマンだったのか」

仕事をする人間として、一気に敬意を抱いた。
(同時に税金泥棒とののしっていた自分を恥じた)

天皇陛下に敬意を持つなら「彼の仕事情報」を知る。
「あの年齢でたくさんの仕事をこなすなんて、お疲れ様です」

仕事をしている人間なら敬意を抱くと思うよ。
敬意を抱けない原因は一つ。

「自分は価値がない、だめな人間と自己否定をしている
(たいていは自己否定している事実にすら気づいていない)」

自分をまずは認めてみよう。
「俺ってすごいじゃん、俺の作った〇〇はすごいじゃん」と。

おそらく、恥ずかしさと「いやいや、たいしたことねえよ」など、
否定する気持ちが生まれてくると思うよ。

そこに負けると自己否定への道へ落ちる。

「根拠はいらない、すごい」でいい。
すると周りのすごさにも気づくし、
嫉妬心を抱いている自分にも気づくようになるよ。

嫉妬は自分の情けなさから逃げたいだけだ。
情けないと感じる自分だってすごい。

人間は誰だってよい部分もあれば嫌な部分、
見たい部分もあればそうでない、情けない部分だってある。

いろいろ混じるすべての部分を認める。
すると、他人のすごさを受け入れる器ができるよ。

 

言葉の見直しが自分を作る

普段から使う言葉って、そのまま人格に現れる。
しゃしゃからみて、私はどう見えるだろう?

私は敬語を使っていない。

不特定多数に向けて発信する場合は丁寧語を使うが、
「しゃしゃ(あなた)」という特定した人物を考えている。

多くの人は丁寧語を使って記事を書いている。
いいのだけど、丁寧語を何も考えないで使っているように感じた。
そこで彼らと違う道を選ぼうと、敬語を使わなくなった。

「しゃしゃ」という……
友達のような仲間のような、議論や喧嘩しあう相手のような、
近すぎず遠すぎずな距離
を考えて、私は書いている。

だからしゃしゃが私の記事を読んで、
「こいつは怖いなあ」思ったら、それでいい。

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著者紹介

千賢 光太郎
千賢 光太郎
ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。 雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。 0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい 3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる 8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。 12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。 18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった) 21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける 27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。 28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。 29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。 自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。
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