おはよう、しゃしゃ。
しゃしゃが現在受験生なら将来の自分を見越して読んでほしい。
しゃしゃが今、社会人で「なぜか学校時代の勉強をしたくなる」なら、
記事を読んだ後、自分を「データの一つ」とみなしてほしい。
社会人になって勉強をしたくなる理由が分かった。
仕事に直結するミスの正体を知る
私は頭の体操として今も数学や物理の計算問題、
声を出して本(主に古文)の朗読を行っている。
寺小屋でいう読み書き・そろばん(計算)だ。
計算を解いていると、簡単なミスをした。
例えばこの問題を見てほしい。
問題:y=a(x+1)とP(0 1)間の距離を求める。
y=a(x+1)をax+1-y=0と式を変え、点と直線の距離公式を用ると……
どこを間違えているのだろう?
分配法則を習っている場合、
a(x+1)=ax+a
しなければならないところを、
どういうわけか、私はax+1と書いてしまった。
「どういうわけか」の正体に気づき、探っていくところに、
社会人として受験勉強をする意味・理由が現れる。
堂々と間違えたときの心理状況
勉強は仕事に直結しないが、
勉強で間違えた行動パターンは形を変えて、
仕事で似たミスを犯してしまう。
例えば、私は分配法則を習って扱えるが、
a(x+1)=ax+aをax+1と間違えた時、何をしていたのか?
紙に数式をきちんと書かず、暗算していた。
y=a(x+1) → ax+1-y=0 いきなり書き下した。
面倒だけど、y=a(x+1) →y=ax+a→ ax+a-y=0
途中式をきちんと書けば、時間はかかるけれど、
単純なミスを減らせただろう。
「わかっているから省略」した頭の計算と、
実際に自分が書いた数字が違っていた。
仕事だと、ある人がしゃしゃに「Aですよ」伝えたのに、
自分の中で勝手に「Bだ」判断を下し、恥ずかしい目にあう。
「Aですよ」という意見がどこで「Bだ」と勝手に変わったのか?
「どこ」の心理状況を観察してみよう。
すると、自分のミスパターンに気づいて、
次も同じ間違いを減らせるかもしれない。
興味の拡大と自分の改良
大人になっても勉強する意味は二つ。
1 視野・興味の幅を広げる
2 今の自分をより良い方へ変える
勉強しなくなると、自分の行動パターンが見えなくなり、
なぜ同じところで躓くのか、わからなくなる。
また視野も狭くなるので、定まった考えしかできなくなる。
世の中には「別な考え」もあるという事実を見逃す。
そうなると、恐怖を抱かせる言葉に終始怯え、
自分が気づかぬまま、他人のなすがままに生かされる。
(他人とは権威ある人・団体・会社など)
勉強する理由をきちんとわかっていれば、
「今の自分を伸ばすために、どこへ集中すべきか」が見える。
しゃしゃはどうだろう?
おまけ わかっている時が一番怖い

インスタグラムにてイラストを上げています。
インスタグラムへイラストを上げるとき、
今までは画用紙へ直接イラストを描いていたのですが、
チラシの裏にラフを描いてから、書くようにしました。
いきなり描くのと、いったんラフを描くのとでは、
頭の中に出来上がっている完成図に違いが生じます。
いきなり描くと、脳内で思い浮かべた完成図と、
実際描いたイラストに違和感がありすぎて、
「あれ、これじゃないのに……」不満を抱くのです。
何度もラフを重ねるうち、少しずつ脳内の完成図へ近づきます。
脳内で完成図ができたとき「全てがわかっている状態」に陥ります。
けれど、体はそうでない。
わかっているのは脳みそだけで、体は違う。
体は脳以上にわかっていない。
脳に騙されたらいけないなあと思う私だった。
