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おはよう、しゃしゃ。
勉強だけでなく、仕事でもいい。

「ああ、この問題はすでにやった」思い、
手を動かしていないのに、解いた気分でいる状態を味わっていない?

脳が一度解いたから「全てがわかった」と感じる、
脳によるフェイクニュースに気づいた話を一つ。

 

脳のフェイクニュースに気づいたきっかけ

私は朝、いつも頭の体操として数学・物理など、計算問題を解いている。
その後、文章を声に出して読み、モデルの模写を行っている。

今日の朝、やる気がなかった。
「この問題はすでにやったしなあ……」

時間だけが過ぎていく。そこで初めて気づいた。
「なーんかマンネリを抱いているな」

マンネリだと思っていた。
マンネリ:同じ作業の繰り返しで、新鮮味のない状態

辞書で調べると、気づいた現象とマンネリの定義が違う。
「何度かやって、すべてが分かった」という錯覚。

 

初めからやり直しているようで

わかった錯覚「この問題、すでに解いたからパス」を否定し、
答え(目的)と解法(手段)はわかっているけれど、改めて初めからやってみる。

すると、すらすら問題を解けるように見えて、かなり考えた。
頭の中では「わかっているはず」なのに、
実際にやると、体や頭が所々で躓く。

「わかったふり」なんだなと気づかされた。
頭の考えは「わかったふり→すべてが分かった」と、
スタートとゴールを見ただけで、すべてが分かった気になる。

実際はわかったどころか、たいしたわかっていない。

 

錯覚を感じたら細かく分析していこう

wakaba

今までやったところを改めて、体を動かしてやり直す。
やり直すとき、わかっている部分をすらすら書くだけでなく、
きちんと理由や原理を追い求めてみよう。

イラストを例にあげると、
何度か模写したイラストに対し、マンネリを感じた。

「もう、何度か書いているからパスだ」
実際に手を動かすと、大まかにしか描けない。

脳は大まかな部分だけを拾って、
「全てわかった、自分は細かく描ける」勘違いしている。

勘違いをなるべく防ぐため、
イラストを描くとき「なぜここでこれをするの?」と、
自分に尋ね、理由や原理を追い求めていく。

すると、すでにやったところから新しい疑問が生まれ、
答えられるようになると、自分の技術となっていく。

仕事でも日常生活でも、マンネリを感じたら見直すだけでなく、
見直した先に疑問を抱き、答えて新たなテクニックを得るチャンスだ。

わかった錯覚を感じる→成長できる機会

きちんととらえ、共に伸びていこう。

 

脱線:主人公とわかった錯覚

錯覚を抱くとき、ある種の危機とチャンスが起きている。
危機:次のレベルを上げたいのだが、何をしたらよいかわからない
チャンス:「何」をしたら新しい道を歩めるのか?

記事を通し、早速やり直しをしてほしい。
人がチャンスに気づくとき、危機が必ずある。

客観で気づいたきっかけが「物語の法則」本だ。
内容は主人公の試練と成長を中心に脚本を組み立てていく。
脚本に関する「一定のルール本」だ。

書店で見つけたとき、役に立つかもしれない?
少し抱いたので、取り合えず購入した。

本をじっくり読むと、
ある種のピンチ→何とかしてチャンスを見つけ、乗り越える

そのとき「あ、自分は主人公なんだ」気づかされた。
ある種のピンチ→わかった錯覚による傲慢な姿勢は、
しゃしゃもすでに「物語の主人公」になっている。

そのうえで一つのピンチを乗り越えると、
自分でも予想できない報酬を手に入れるだろう。

報酬はお金やパートナーといったものでなく、
自分の心にとって「良い」と感じる何かだ。

本:物語の法則 強い物語とキャラを作れるハリウッド式創作術

マンネリを抱いて、そのまま放置し、チャンスをふいにするのと、
今までやった部分をやり直し、新たな気づきを得るのとでは、
どちらかといえば、どちらが良いだろうか?

新たな気づきを得ると、
今までとは違う形で世の中・仕事・勉強を見渡せられる。

少しでも自分の生き方を客観視しつつ、
より成長を遂げたいなあと思ったら、読んでみてね。

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