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河北新報:奥山恵美子仙台市長が「引退」へって、おかしくない?

引退黒田漢泣き | かるた [pixiv] http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=59817218

引退黒田漢泣き | かるた [pixiv]

おはよう、しゃしゃ。
ある言葉(単語、文法)の使い方に違和感を抱いたら、
すぐに辞書を用いて調べてみよう。

辞書の意味通りでも違和感を抱く場合、どこに原因があるのだろう?

奥山恵美子仙台市長が二期目を終えて、三期目をやらないと決めたそうだ。

河北新報にタイトルでこう書いてあった。
「奥山恵美子仙台市長が引退へ」

引退って言葉の使い方がおかしいと思ったよ。

 

引退の定義を調べると

https://twitter.com/pinedragons/status/850270017237139456

引退を辞書で調べると、
「活動していた地位や職業から退くこと」書いてあった。
類語で「勇退(後進の人に道を開くため、自ら進んで役職をやめること)」

言葉として「正しい」使い方なのね。
私が間違っていたよ……でもね、おかしいと感じるのよ。

「引退」はスポーツ選手が選手としての活動を終えるときや、
部活動で先輩が3年生になり、ある大会を終えた後、使われる。

言葉の使い方は正しいのに、私の中では違和感が消えないんだ。

 

奥山恵美子市長と日の丸

ツイッタートレンドに彼女の名前が載り、
ツイートに「市長としての仕事」があった。

・神社に「日の丸禁止令」を出した
→神社側の都合と日の丸に対するクレームで下げた
日の丸は禁止したという書き手のデマ。
仙台市側は日の丸禁止を神社へ伝えていない

参照:仙台市 青葉神社の件について

 

・ソチ五輪凱旋パレードに「日本国旗」を持たせなかった
(トリノ五輪でも同じ現象が起きた)

参照:仙台市、羽生結弦選手優勝パレードで日章旗を準備しない方針

 

・チャイナからのパンダ招致から「チャイナタウン構想計画」があった
加えて、東日本大震災時、ダライラマ14世の面会を断った

参照:奥山恵美子仙台市長、仙台パンダは「留保というような状況」

奥山恵美子さんは2009年7月、民主(民進党)と社民党の支援を受け、
仙台市長になった。2009年といえば、民主党が政権をとった年だ。

 

河北新報と岡崎トミ子氏

次に河北新報を見ていく。
故・岡崎トミ子さんの死について取り上げていたよ。

かつて虎ノ門ニュースで青山繁晴さんがおっしゃった。
(当時、彼は議員でなく独立総合研究所の社長)

「民主党が与党だったとき、岡崎トミ子さんは国家公安委員会委員長だった。
彼女は韓国の反日デモにも参加する人物。

公安委員会の役人に対し『岡崎さんの元ではやりにくかったでしょ』
尋ねたところ、『いいえ、やりやすかったですよ』」が印象あった。

ちょっと関係のない話だったね。
ツイートを通して岡崎さんの取り上げ方を見たら、
「河北新報はそっちよりかあ」わかった。

 

違和感の正体

「引退」という言葉に抱いた違和感の正体わかった。

基本、新聞は権力者側に「敵意」を抱く。
顕著な例が日刊ゲンダイ、リテラ、朝日や毎日新聞他→安倍総理だね。

もし奥山恵美子市長が河北新報にとって「敵意」を抱かれたら
河北新報は「引退」という言葉を書かなかっただろう。

そっけない書き方だと「三期目を辞退」かな。
(もっとひどく書くと、どうなるのだろう?)

「引退」は感謝の意味を込めている。

河北新報は奥山恵美子さんを敵視しておらず、
「仲間」として「ありがたい」人物だった。

ツイッターで神社に対する日の丸(神社側が否定)、
チャイナからのパンダやチャイナタウン構想といった、
私の感情に「良くない情報」が出ていた。

私と河北新報の「気持ち」がずれているから、
引退という単語に違和感を抱いたのね。

奥山恵美子市長、市長としての仕事、お疲れ様でした。

 

違和感にチャンスあり

しゃしゃも違和感を抱いたら、放置しておくのでなく、
面倒くさいと感じても、調べる癖をつけよう。

辞書を使って単語の「意味」を確認し、
違和感を抱いたニュースについて、
気になった部分を掘り下げていった結果、違和感が分かった。

「わかったのはいいけれど、わかったから何なの?」

言葉に対する違和感に気づくと、言葉の正しい使い道がわかる。
裏返すと、間違った使い道をしないで済むうえ、
わざと間違って使い、扇動の手口から逃れられる

少なくとも、自分の身は守れるし、気になったことを記事にすれば、
「同じく」気になった人が訪れて、何か良いことが起きると思うよ。

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プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。