
ミャンマーにおいて政権交代が野党に移るとのことです。
その際、アウン・サン・スーチー氏が以下の発言を述べていました。
「私の権限は大統領より強い」
普通に見ると、彼女も独裁政権を狙っていたか。
あるいは国民のことを考えていないお花畑だったか?
この発言を別の切り口から見ていきましょう。
ミャンマー連邦共和国について

ミャンマー連邦共和国は中国やタイ・インドと接しています。
天然ガス・チーク材・豆類を一つの売りにしている。
エーヤワディー川の稲作農業が中心です。
次に簡単な歴史。
1886年にイギリス領土の一つとしてインドとともに統治された。
(当時の英国はヴィクトリア女王の元、
1877年にイギリス直接統治によるインド帝国を創設。
1851年に世界初のロンドン万国博覧会を開き、繁栄の絶頂を迎える)
1943年に日本軍の援助で「ビルマ国」として独立したものの、
ビルマ国軍への扱いなどに不満を抱き、
日本は第二次大戦で負けるだろうと予測したアウンサン氏が、
日本からイギリスに寝返った(英国の罠もあり)
アウンサンはビルマ建国の父と呼ばれ、
彼の娘こそ、アウンサンスーチーです。
連合国(特に英国)側はビルマの独立を許さず、
アウンサン(彼は後に反対派に暗殺)を利用した後、
イギリスは再びビルマを植民地化させました。
1948年にイギリス連邦からビルマ連邦へ独立し、
62年にネ=ウィン軍事政権が成立します。
軍事政権の裏側
参照サイトによれば、軍事政権はわがままな理由で起きたのでなく、
ミャンマーにはたくさんの少数民族がおり、
シャンやカチンといった民族による分離独立運動が激しさを増した。
ミャンマーが日本でいう戦国時代になっていたのです。
強引に彼らを鎮火させるため、ネ=ウィンらが軍事特栽政権を行った。
『ビルマ式社会主義』は戦前の日本による統制経済をモデルとし、
鎖国による華僑の儲けを無効化。
高利貸しのインド対策として銀行預金の制限と、
一定以上のお金は政府が没収した。
次にデノミ(通貨単位の変更)を行い、旧札の無効化と新札の提唱。
デノミは紙くずになる反面、不正な取引によって大儲けした連中から、
金額をごっそり取り上げる効果があるとのこと。
インド人のピンハネを取り締まる効果があったそうです。
華僑やインド連中を追い出すことに成功した半面、
ビルマ人らの生活も圧迫します。
イギリスのあくどさ

イギリスは表であくどいことをしません。
そこにいる民族をけしかけて、あくどいことを変わりにさせる。
日本でいうと、朝鮮人らにお金を渡して暴れさせる。
実際、ミャンマーがイギリス領になったとき、
中国とインドの国民を招き入れました。
ただ、彼らのほとんどは商売上手だったり、
高額な詐欺取引を行い、ミャンマーが築いていた仏教文化を破壊した。
中国がやっていることって、かつてイギリスがやっていたあくどさを、
形にしているだけなのですよね……。
そのイギリスは現在、裏では馬鹿にしながらも、
表では中国から資金を提供してもらっております。
民主化の動き
1988年に国民的規模の民主化運動がおきました。
軍と民主による内乱が起きた後、ネ=ウィン軍事政権が倒れます。
ソウ・マウン率いる軍事政権が総選挙を公約。
ここから少しずつ民主化の動きが出たわけですね。
このとき、軍部は国民統一党を結党し体制維持を図り、
民主化の代表にアウンサンスーチー(国民民主連盟を結党)
しかし、1989年の選挙前に自宅軟禁されました。
容疑は国家破壊法違反だそうです……
1989年6月4日に中国で天安門事件が起きてから、
慌てて国名を現在のミャンマー連邦、首都をヤンゴンに変更しました。
軍出身のテイン・セインが2007年10月首相に就任した後、
国民投票などを行い、民主化への道を加速させます。
(2011年には管理変動相場制へ導入)
スーチー氏も自宅軟禁を解かれ、野党として頑張っております。
※ 参照サイトを見ていると、当時の米国は中国を使い、
日本を含めてほかのアジア諸国も抑えていたそうですね。
参照:
ミャンマー(外務省)
ミャンマーの歴史
ミャンマーの地理と歴史
デノミネーションを解説
中国とのつながり

ミャンマーの歴史はイギリスによって振り回されている。
一方で中国とも密接な取引を行っています。
1994年に大ココ島を中国が拝借し、軍港を築きました。
真珠の首飾り戦略と呼ばれ、
中国によるインド洋攻略の手がかりとなっています。
2004年に中国とエネルギーに関する協議が進み、
投資を積極的に行っております。
なお、日本とのつながりは外務省HPを見ていただくと、
主に洪水対策における協議がなされています。
参照:首飾り戦略とは?
スーチーはイギリスのスパイ?
スーチーは背後にイギリスがついているといわれています。
イギリスは虎視眈々と再植民地を狙っているのですね。
植民地といっても、直接統治する方法もあれば、
自分の言うことを聴くスパイに統治させる方法もある。
それがスーチー(一応ノーベル平和賞)なわけです。
スーチーの父親は反政府側と言えど、イギリスが背後にいた。
(旦那はイギリス諜報部員の幹部)
ビルマの人たちの中には、
「スーチーは体はビルマの血を引いても、
心はイギリスに乗っ取られた」嘆いているそうです。
スーチー氏は習近平国家主席と話をした際、
人権について何も触れず、関係強化を図りたいと望んでいます。
ここまでの流れを見ると、スーチーが党首になっても、
中国との関係は継続しそうですね。
ここでスーチー氏が自宅軟禁などされている間、
どんな活動を行っていたか? 見ていきたいと思います。
参照サイトを通し、「イギリスのスパイ」として、
スーチー氏の動きを見ていくと……
ミャンマーで軟禁されている間、
民主化を望む一部の連中と欧米マスコミによる共同作業で、
ミャンマー政府に「民主化」という名の「再植民地化」を求める、
大きな運動を行っていたと推測できます。
自宅軟禁といっても、家は広くて遊ぶ環境もあったそうです。
また、軍事政権が逮捕した容疑は「国家破壊法違反」
スーチーを逮捕したというより、
英国にのさばらせないための対策を取ったと考えています。
もしミャンマー経済が悪化していなければ、
スーチーの民主化運動は遠のいたでしょう。
「軍事政権」を理由に英米が経済制裁を行った。
日本もミャンマーに投資したくても、
アメリカの圧力が怖く、積極的な支援ができなかったとのこと。
参照:
日本よ、これがスーチーだ
本性を現したね、アウンサンスーチー
ミャンマーの選挙と、欧米が賛美するアウンサンスーチー
「私の権限は大統領より強い」
※ スーチーさんは70歳。やせ細り、男らしい顔をしている。
この表情から何を意味しているのだろう?
独裁政権への道のり?
純粋に受け取れば、彼女の意見は「おい、独裁政権を取るつもり」
反発心を持つでしょう。
せっかく民主化になり、みんなで物事を決める政権ができた。
(といってもみんなの中には海外や外国企業などを含むけど)
なのにこんな発言をするとは…独裁政権に戻るつもりか?
自分の言うことと違う人は粛清でも行うつもりか?
そういえばスーチーさん、習近平国家主席と会談したとき、
中国はやたら厚遇(こうぐう、あつぐうじゃない)し、日本マスコミは褒めていた。
彼女は市民運動家でイギリスがバックにいる。
イギリスは中国などと深いつながりがある。
彼女は民主化に命を懸けているけれど、問題はその後。
彼女はどんな政策を基本的に掲げるの?
もしかして日本の民主党が行った土下座外交じゃないよね?
スーチー氏への危機感が一つ。別の見方をもう一つ載せます。
助けてください
大統領より強いということを別の視点から見ると、
「私は自分で何も考えていません。
私を育ててくれたイギリス様の言うことを行うだけ。
ミャンマーの国民よ、気づいてください」
スーチーなりの忠告でしょうか?
表で「私はイギリスによってよいように扱われている」
と申せば、彼女はイギリス政府らの政策で、失脚されるでしょう。
だからこそ周りが「何言ってんだこのおばはん」
と思われる発言を通し、民主化への期待と同時に、
傀儡政権となる危機感をインタビュー通して伝えた。
野党が優勢だからと言って、調子に乗った発言を行うと、
土壇場でひっくり返る可能性があります。
スーチー氏にとって、あの発言が計算通りなら……
結びに:市民活動家
スーチーはイギリスを背後にもつ市民活動家。
市民活動家といえば、日本だと菅直人元総理がいます。
彼のようになる確率は高いでしょうか?
市民活動家の良さは、多くの政治家が踏み込めない場所に対し、
堂々と足を運んで直談判する姿はいいのですが、
いざ政治家こと直談判される側になると、
とたんに鉄壁の防御を発動し、統制を行う。
相手を批判する、けなす攻撃を行う人ほど、
防御に頭が回らず、かつて批判していたことを行う。
彼女はどうなってしまうのでしょうか……。
