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中級者から上級者へ伸びるために必要な「最低ラインの更新」

おはよう。

一枚のイラストを発端に、自分の仕事術を変えている。
初心者から中級者へ、中級者から上級者へとコマを進める。

中級者から上級者へ行くために、何を考えたらいいか。
どう接したらいいかなど、自分の言葉で表現できるようになった。

「天井が見えた、これ以上は伸びない。ここから先、どう伸ばせばいい?」

伸ばすコツについて書きたい。参考にしてほしい。

 

ステップ1:最低ラインを言語化

じー

中級者から上級者へ行くにあたり、始めに線引きを決めなければならない。

私の場合、二次創作含むイラストを描いているときは

  • 原作キャラに限りなく似せているか
  • 人体(+背景)の構造を理解しているか
  • 光と影の差を認識できているか

はじめに最低ラインを言語化できているか。
人によって最低ラインは変わるし、種類によっても変わるだろう。

音楽(作曲)なら

  • メロディから簡単な状況設定が思い浮かぶか
  • 音楽理論を自分の言葉で説明できるか
  • コード理論の基本を押さえているか

文章(記事執筆)なら

  • 日本語文法を心がけているか
  • 文章の展開を簡潔にまとめられるか
  • キャッシュポイントを設けているか

もちろん芸術でも仕事でも崩すときはある。

崩すときでも最低ラインを意識したうえで崩すのと、
意識しないで崩すのとでは結果も得られる技術も変わる

意識したうえで崩すと、崩す前との違いがはっきり分かるため、
自分の個性を言葉で表現でき、さらに伸ばせる

一方無意識に崩すと「なんとなく」やってしまい、
次に同じ技術を再現できるかと言ったら、高確率でずれる。

初心者は何が最低ラインかもよくわかっていない。

ある程度慣れて初心者でなくなったとき、だんだん最低ラインが見えてくる。

見えてもはっきり言葉で表現できない限り、
最低ラインを「きちんと認識した」とはいえない。

なお参考になるブログが一つあった。ぜひ読んでみてほしい。

参照:初心者と中級者と上級者と超上級者の違い

 

最低ラインに気づくコツ

バランス

最低ラインは試行錯誤を通し反省を重ねていくしかない。

反省とは「ここがうまくいった、ここがしくじったな」いう、
試行錯誤において必ず「うまくいったところ」を言葉で表現する行為だ。

しくじったところは勝手に浮かんでくるが、
うまくいったところは自分で意識しない限り、表現できない。

失敗も成功も過去の自分をとことん振り返る
とことんとは「いつ・どこで・どんな・何をした」だ。

もう一つは他人に聞く。

アンケートや「いいねの数」などを基準に、
他人の判断を参考に最低ラインを設けていく

私は二つ(相手に聞く、過去の自分を振り返る)を使って、
自分の最低ラインを増やしてきた。

 

最低ラインがわかれば教科書が面白い読み物に変わる

あおあし

ある程度経験を積んでいくと、必ず「限界・挫折」が生じる
限界の兆候は3つある。

  • 「なんかこうじゃない、面白くない、これ以上伸びない」自覚
  • 「絵・音楽・文章の基本がなってない」他人からの指摘
  • 試合でぼろ負けした理由が自分の言葉ではっきりわかるとき

三つのどれかになったとき、一つの終わりと始まりを示す。

新たな始まりとは「もう一度基本をすべてやり直す」行為だ。

受験生ならもう一度教科書を読み直す。
ただ読むだけでなく、教科書に書いている内容を書き写す

また一つのキーワードをネットで調べ、深堀していく。

最初と違って中途半端に知識を持っているからこそ、
教科書を読むのが楽しくなってくる。

「あ、これがこうつながっているんだ」

気づきが多くて楽しい。

中級者にとどまる原因とスランプ状態は同じ現象であり、
初期化(すべてを忘れた状態)してやり直せば、
必ずスランプ及び中級者克服のヒントにつながる。

 

ステップ2:小刻みなテストプレイで最低ラインを越える

最低ラインがわかったところで実際に創り上げていく。
創り上げつつ、何度もテストプレイを重ねて修正していく。

イラストなら、ある程度描いたところで必ず保存し、
スマホなど別機種を使って自分の作品を見つめていく

自分が書いた作品としてみるのでなく、
「初めて見た、誰かの作品」として、自分の絵を観る

モデルがあるならモデルと比べ、
些細な違和感に気づいたらノートとペンを使って書きなぐる。

書きなぐったのち、また作業に戻る。
ある程度で保存し、別機種やテストプレイを行い、
「最低ラインを越えていない箇所」を直していく。

自分で定めた最低ラインを越えていないから、おかしいと感じる。
自分で定めたラインを越えると、だんだん違和感も減っていく。

もちろん完成してから年月を費やしたうえで、
改めて自分の作品を観れば「うああ、これは…」気づくだろう。

時代とともに最低ライン基準が上がったからだ。

 

評価を言語化できないプロ=素人の集団

書き捨て

最低ラインを越えたからと言って、
私たちが望む「期待以上の評価」を得られるとは限らない、

むしろ「あれ、どうして?」思う展開も生じる。

ただ最低ラインの更新は自他「違和感のない」状態であり、
「少なくともここより下に落ちる展開はない」いえる場所でもある。

いくら自分自身が「よし、うまくいったぞ」思っても、
相手は「評価を言語化できないプロ=素人の集団だ。

素人(=うまく言葉で表現できないプロの集団)
ぱっと見て「これいいじゃん」いえる内容。

中級者から上級者へ行くために一番求められる技術は、
「素人が初見で見たときに即感動できる」第三者の目だ。

上手く人に説明できないけど、涙を流してしまったり、
心にキュンと来たり、下半身が反応したりと、
とにかく5感のどこかが震える(=感動)センスを持つ。

5感は素人の感覚であり、中級者になると素人を忘れてしまう
あるいはプロだからこそ素人を捨ててしまう

なぐりあい

素人としての技術は卒業しても、
素人の目線は必ず残しておかなければならない

プロにいけばいくほど、プロのすごさがわかる。
言語化できない部分が表現できるようになるからだ。

一方でプロにいけばいくほど細かいこだわりもわかるため、
マニアックになりすぎて素人の目線を考えなくなってしまう。

さらに素人の目線は「自分が作ったもの」と思わず、
「第三者が作った作品」と捉える姿勢が大事だ。

自分であっても容赦しない。自分に対しても冷静になれるか。
上級者へ行くために自分を自分で突き放す覚悟がいる。

 

評価不足原因の一つは「すでに気づいている」

ビール

完成して違和感があった場合、
「自分でも認識しているけど、あえて無視している」違和感や、
「面倒だから放置した」問題が「未処理で残っている」状態を示している。

そのまま出せば、素人は思うわけだ。

「これ、なんか微妙に自分(=第三者)が欲する世界観と違う」

素人とは言葉で説明(解説)できないだけで、
プロと同じ観察眼を持っている人たちだ。

完成したのに「なんか違う」見られる原因、
一つはすでにあなた自身がわかっている、気づいている。

ただ完成を優先するため、あえて見ないふりをした、無視した。
観ないふりした部分、無視した部分こそ結果となって表れただけ。

例えば上にある絵。キャラは調べて描いたものの、
海についてはあまり調べないで描いた。

ラブライブ小原ちゃん

※モデル:ラブライブサンシャインの小原ちゃん(画像は公式サイトから)

結果として海の描写が違和感ある作品になってしまった。
自分で気づいている部分について、第三者は厳しいのですぐわかる。

「ここは力を入れていないから、このままでいいや」

妥協した部分を許す(=自分のわがままを優先する)か
「いや、きちんと仕上げよう」世の流れに合わせるか。

レベルが上がるとは「今まで妥協・許していた甘さを引き締め、
現時点でできる限りの力を発揮し、追及していく」生き方だ。

追記:小原ちゃんに似せるため、何度も模写をしたのだが……
似せているはずなのにずれていく。ズレこそ個性なんだろうね。

 

人は「見た目」で期待する

人はまず「見た目」で判断し、期待する。

例えば「大怪獣のあとしまつ」という単語を観れば、
「大怪獣をどう後始末・後処理するのか」期待する。

どんな問題があったのか、最後はこうなるのか。
まさかこんな展開が訪れるのではないか

ありとあらゆる脳内ストーリーが生まれ、期待感が膨らむわけだ。

実際に「大怪獣のあとしまつ」を見た結果、

「やった、自分の脳内ストーリーで思い描いた、それ以上の展開だ」

「なんだこれ、脳内ストーリーから外れているどころか、何このいらない展開は」

顧客の脳内ストーリー(=期待感)に沿ったうえで、
さらなる大きな展開を出しているのか。

あるいは期待感の「き」の字すらない展開に怒りと失望が生じるのか。

イラストだったら縮小した絵で、音楽なら最初のイントロで、その他もろもろ……

私たちは言葉や初見で思った以上に「期待」をしている。

ところが私をはじめとする作り手は見た目よりも中身に集中し、
見た目は「おまけ程度」の扱いをしている。

初見自体が「おまけ」というか。
創れれば満足、それ以降は特に深く考えていないというか。

中級者から上級者に上り詰めるとき、
「それを見たときに即生じる期待感」を「自分の思惑」を全部外したうえで、
脳内ストーリーを思い浮かべなければならない

 

ステップ3:自分の想像(脳内完成図)を越えていけ

幼稚園にゃ

最後に私たちは脳内に完成図がある
今回描いたイラストも脳内ですでに完成図がある。

脳内完成図に近づくのがいいが、
最後の期待以上を出すなら「自分の脳内完成図」すら越えねばならぬ

脳内完成図を踏まえたうえで、さらに越えていくというべきか。
数字に例えると100%出したところで、さらにあと10%を狙っていく状態というか。

「未来の自分に挑戦」する。
新しい技術なり大胆な行動を通して、脳内完成図の自分を越えていくんだ。

今の自分自身をも仰天させ、ワクワクさせる。
自分自身の生き方をエンターテイメントにしていくというべきか。

神展開というか「笑いの神が降りた」というか。

上級者に行くため、最後は「今の自分」を越えていかねばならない。

書いた内容は難しいかもしれない。
参考になったらぜひ使って、今の自分を越えた世界を作ってみよう。

 

おまけ(実例):自分の絵添削

あさひ

最後に実例として自己添削というか、
「素人の目線」として違和感があるところを自分なりに書いていく。

元モデルは神☆クズアイドルの最上あさひ(画像は公式サイトから)。

始めに思いつくまま描き、すぐさま色を塗り、違和感を確認していく。

あさひ1

違和感確認法として、パソコン→スマホで確認をとるため、
Dropboxほかを使って、スマホとPCで画像を見比べる。

紙とペンを用意し、気づいたところ、違和感があるところなど、
元モデルと比較しながら列挙していく。

違和感を修正し、清書をしていくのだが……おかしければすぐ直す。

修正前 修正中 修正後

ブログ用に赤文字で修正箇所、違和感のある個所を描いた。

今はスマホで見る時代だ。
パソコンでできた絵をスマホで確認し、
修正しながら少しずつ元の絵へ近づけていく。

近づけても完ぺきに同じ絵は描けない(私は贋作作家でない)。

消した部分は「自分の個性」であり「癖」でもある。
自分の癖(個性)を消していき、限りなく一般化を目指していく。

一般化しても「残ってしまう箇所」こそ自分の個性と確信している。

 

近道は苦しい

完成直前

完成し投稿する直前になって、顔に違和感があると気づいた。
なんと正中線がずれるというミスをやらかした。

また顔の幅が広いのと、手の位置の違和感をぬぐえず、
「最初から描きなおそう」決意した。

別に直さなくてもいいけど、自分の中にある違和感が声を上げている。

違和感を無視するのでなく、きちんと向き合う。
完成した作品を改めてやり直すのだから、しんどいし苦しい。

「なんで自分はこんなことをしているんだろう」
呪いたくなる気持ちにも満たされた。

確信している。

近道は苦しくて険しい。だからこそ感覚を養えると。

感覚を養うと最低ラインの更新につながるばかりか、
より違和感のない作品を描くための条件を増やすなど、
今苦しいからこそ得られる感性がある。

好きなことで地獄を味わう苦しさ。
だからこそ感性を養いつつ、自分を冷静に評価できる。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。