おはよう。先日公立図書館で本を探していたら、94年出版の漢文本が目に入った。
「間違いだらけの漢文―中国を正しく理解するために」
張明澄(ちょう めいちょう)さんが書いた内容で、目からうろこだった。
向こうの人は昔の漢文を読める
間違いだらけの漢文を読むまで、私は思っていた。
現代のチャイナ人がほとんど漢文を読めぬと。
「昔の漢字を一部簡略化したため、今の中国人は昔の漢字を普通に読めない」
何かの参考書で記載があり「そうなんだ」思っていた。
参考書を読むまでは「今の中国人は昔の漢文もスラスラ読める」思い込んでいた。
衝撃だったので、私の記憶に焼き付いている。
間違いだらけの漢文で、再度衝撃を受けた。
中国語と漢文は同じ。口語体か文語体の違いでしかない。
口語体(しゃべり言葉)は小説などに限られていた。
1915年の五四運動(反日、反帝国主義)によって漢字の画数を簡略化した簡体字が生まれた。
今の中華民国(台湾)でも、公的文章や契約文などは文語文を使っているという。
台湾では中学あたりから文語文を習い、高校では文語文だらけだと。
お堅い部分では今も文語文を使っている。日常会話は白話文と口語を基に使っている。
くわえて白話文は表現一つも長いが、文語文だと省略できる。
短くできる割に、漢字に複数の意味を込めるため、難しい。
手紙のやりとり一つ、親しい間柄なら白話文だが、
ビジネス関係など相手との心的距離が遠い場合、文語文を使うと。
「根本的な誤解」を読んで、かなり衝撃を受けた。
今は出版から30年経っている。どこまで変わったかはわからない。
※下記動画にて、間違いだらけの漢文と違う解釈があるので、ぜひ見てね。
参考:五四運動(世界史の窓)
日本における漢文の成り立ち
間違いだらけの漢文では、漢文の勉強法についても述べている。
本題へ行く前に、日本における漢文の立ち位置を語りたい。
日本における漢文は古典の一種だ。
文栄堂の漢文によると、昔は中国語でやり取りを行っていた。
一方、すでに日本には独自の意思疎通法があった。
文字はなくとも、話し言葉では意思疎通ができていた。
「山」を例にとる。音読みは「サン」訓読みは「やま」だ。
向こうの人々は「サン」と呼んでいた、日本ではすでに「やま」と呼んでいた。
ならこの漢字はやまと呼んでもいいんじゃないか?
山に「サン(音読み)、やま(訓読み)」が生まれた瞬間だ。
続いて漢文は英語と同じく前から順に読んでいく。
当時の人もそのまま読むよりも、改造して読みやすくした。
日本語は主語目的語述語に対し、中国語は主語述語目的語だ。
SVOをSOVに変えた方法が書き下し文で、日本の古典となってしまった。
漢文は書き下し文を通して「主語目的語や補語、最後の述語」の順番になり、
漢字の語彙力はもちろん、文章の並べ方を鍛えられる。
張さんが勧める勉強法
- 正確に発音を学ぶ
- 現代中国語の発音で漢文を読み、文章の大まかな内容を伝える(訳ではない)
- 書き下し文など漢文と和文の違いを知る(受験漢文と同じ)
順番にわけていこう。
発音を正確に学ぶ
現代中国語の発音は一部が日本にない発音(四声やそり舌音など)だ。
母音も子音も複数に分かれている。
日本の母音は5つだが、中国語の母音は7つ、複合だと10個以上ある。英語ですら母音は複数ある。
私は学生時代に発音を習わなかったので、再勉強にて苦労した。
youtubeなど語学講座を使って発音を学んだ結果、聞き取り力が上がった。
発音ができるようになったうえで、幼稚園児向けの英語を聞き続けると、英検2級の英語を聞きとれる。
(もちろん英単語を知っていないと、聞き取れない部分がある)
漢文は元々中国語であり、中国語として読む。
漢詩において書き下し文を読んでも「キレイ・聞きごたえある」思わないが、
元の中国語で漢詩を読むと、きちんとリズムと韻を踏んでおり、聞きごたえある。
上記動画で漢詩を中国語で読んでいる。しっかり聞いてほしい。
一気に漢字を読んでいるのでなく、4つ目と5つ目の間でいったん呼吸を置いている。
間違いだらけの漢文は「4つ目と5つ目の間に呼吸を置かないから、解釈間違いをする」書いてあった。
例: 雷師告余以未具 → 雷師告余,以未具
(余と以の間で一呼吸おく)
現代語訳/和訳でなく「大まかな内容」
次に現代語訳や和訳でなく「大まかな内容」を伝える。要約や説明問題の解答に近い。
「雷師告余以未具」をもう一度出す。
参照ページの現代語訳では「雷神はまだ準備ができていないと教えてくれる」書いてある。
重要は現代語訳でなく大まかな内容だ。
「雷神は準備できてねえ」と言ってる。何の準備かと言えば旅支度だ。
現代語訳よりも説明問題に近い。
現代語訳/和訳は元の文章を正確に構造分析した後、限りなく忠実に母語へ変えねばならぬ。
受験だと完全な正解ではないが、部分点をもらえればいい。
文法は共通の規則
英文法でも漢文でも文法がある。
文章は並び方ひとつで意味が大きく変わったり、読めなかったりする。
日本語は多少文章を変えても読める。
例 私は今日、山へ鬼を蹴りに行きます。
→今日私は鬼を蹴りに山へ行きます。鬼を蹴りに今日私は山へ行きます。鬼を蹴りに今日山へ私は行きます。
最低限変えてはならない部分を除いて、日本語は順序組み換えができる。
英語や漢文は順序を組み替えたら、意味が通じなくなる。
英語だと「I am going to the mountains today to kick demons」
変更できる場所はTodayくらいだ。
正確さなら「Today, I am going to the mountain to kick demons」だな。
※Todayは副詞と名詞。副詞は位置を変えても文章が変わらない。
英語の場合、to the mountainsの部分をto kick demonsに変えたら、大きく意味が変わる。
文法として間違っているので、意味をなさない。
be going toのto後は動詞でなく名詞が来ている。
実はbe going to “go to” the~のgo to(前置詞)が省略されている。
二か所もgo toを使って余計だからね。to kick demonsは不定詞の副詞的用法で理由を示す。
toは「到達点」を表す前置詞だ。頭の中で「鬼を蹴る」が到達点(=目的)と思えばいい。
漢文も同じように文章の並び方にはきちんと計算がある。
漢字を並べたところで、計算(文法)に沿っていない並びは意味不明でしかない。
中国語も基本「主語+動詞(述語)+目的語」や「主語+(副詞)+形容詞」や「主語+名詞(名詞述語分)」がある。
漢文は主語+述語+目的語はもちろん、主語+述語+補語、主語+述語+目的語+補語となっている。
何かの拍子で漢文を書いたとき、文法に沿ってない漢文を書いても、
日本人はもちろん向こうの人も「なんだこれ? 何書いてるん?」なる。
母語(日本語)をどう扱えるようになった?
間違いらだけの漢文を読んだ後、私は問いかけた。
最初は発音から入る。大人の発音を見て、口の動かし方を学んでいく。
文字を書けないので、見よう見まねで学習していく。
発音ができるようになったら、簡単な単語、文章へと進んでいく。
複雑な文章はできなくても、簡単な要求ならできる。
例えば「たべる」を表そう。
「意味はなんですか?」言われても、口でうまく説明できない。
動作をもって「食べる」を表現できる。
「食べる=食物を口の中にいれ、噛んだりして飲み込む」は、動作を言語で表現できる状態でないと無理だ。
言語で表現できないからこそ、動作(口のなかに物を入れる)で相手に伝える。
動作を伴いながら、基本言葉をつかんでいく。
もちろん動作で表現できない言葉(自立、精神など)もあるが、小さい頃は覚えない。
幼稚園や小学校などで文字に触れ、だんだん書き言葉を習っていく。
くわえて動作で表現できない言葉の意味をつかんでいく。
第二外国語をどう学んだ?
一方で英語など母語以外の言葉については、まず教科書から入る。
教科書の英文を読んで、日本語訳を知る。
英語と母語の対応を見比べながら、覚えていくわけだ。
発音などは簡単な文法ができた後で構わない。
私が英語の再勉強をしたとき、発音は最後だった。
まず文法、英文解釈、作文、最後に発音だった。
間違いだらけの漢文作者によると、私のやり方は間違っている。
第二外国語だろうと、母語のやり方と似ている。
むしろ母語のやり方で大まかな表現などをつかんだ後、文語で言葉を抑えていく。
受験漢文は中国語を覚える目的でやってない。
書き下し文とひらがなつき白文の組み合わせで、難しいと感じる。
間違いだらけの漢文を通し、自分の言葉について改めて見直した。
話し言葉と書き言葉は似ているようで違う。
話ことばは身振り手振り、ある程度のあいまい表現を許されるが、
書き言葉は書いている内容が全てであり、身振り手振り・曖昧表現が相手に伝わらない。
何度地獄をみたことか……。
当時の岩波書店や東大批判に震えた
もし図書館や古本屋などで「間違いだらけの漢文」があったら、ぜひ読んでみよう。
岩波書店や東京大学など一流大の教授を批判している。
もちろん無意味無目的でなく「もっと背景事情を調べろ」意味で批判している。
漢字だけを見て意味や解釈を行っている。
当時の中国生活事情を考慮していないから、変な現代語訳を入れている。
当時の下調べもしないで、教授など上の権限をいいことにふんぞり返ってる。
今の人々ならツイッターなどでつっこむ内容を、
まだスマホもツイッターも生まれてなかった時代に権威を批判していた。
珍しいし、大学の権威も今と昔では変わりないんだなあと思った。
アマゾンでは中古本として置いてある。
「漢文を通して、言葉を見直し、元気をもらいたい」
思ったら今すぐ読んでみよう。