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五輪:金メダルと銀メダルをとる人の違いって何?

おはよう。
東京五輪もうあと少しで終わる。

今回五輪の中継を見て、
金メダルと銀メダルを分けるものがわかった気がする。

まだ「気がする」レベルではっきりと言語へ落とせない状態だが、
記事を書いているうちに言語化できるのではないか?

分けるものがわかれば、私たちの生活に応用できるのではないか?
少なくとも私の仕事ほかに応用が利かないか?

以下、述べる内容は頑張ってる選手に対して失礼な発言をする。

 

金メダルをとる人は大胆+挑戦

まずメダルを獲る人の大まかな特徴として、とても大胆で美しく、
かつ新しい技に挑み、失敗もほとんどない。

例えば体操で金メダルを取った米国人女子はすごく背が高く、
回転も垂直で美しいうえによく跳ねていた。

また水泳飛び込みでチャイナの選手は何から何まできれいで、
着水時の水はねも少なく、本当に驚いた。

最初、あまりにも精巧につくられた機械
一つの仕事をこなすヒットマンとすら思ったよ。

金メダル選手は素人が見てもわかる美しさを持っている。

金メダル以降の女子は日本人選手だろうと、
金メダル選手に比べたら、美しさが今ひとつ足りなかった

美しいには美しいんだけど、金メダル選手に比べると、
「余計な展開」を若干入れていたというべき
か。

余計な展開というのは、例えば体操なら3開店した後の着地にて、
若干バランスを崩して倒れそうになったとかだ。

美しさというよりは大胆さというべきか。
少し別の観方をしてみよう。

 

リミッターをかける

金メダルを取る選手は基本、リミッターを全くかけていない。

リミッターをかけるとは安全装置であり、
失敗すれば大怪我はもちろん、下手したら死に至る状態
だ。

金メダルをとる人は本当にリミッターを感じさせない一方、
銀メダル以降はどことなくリミッターを自分にかけている気がする。

「これ以上やったら、自分がけがをするかもしれない」

リミッターは「無意識」にかけてしまう状態だ。

自分で意識してリミッターをかけるのではない。
むしろ意識の上ではリミッターなど外している。

無意識状態で体はびくびくしている部分があり、
自分でも気づかない間にリミッターをかけてしまっている。

リミッターを少しでも自分にかけたところを、
金メダル選手に追い抜かれてしまう。

練習を通していかに潜在意識内の安全装置を外すか。
すると予想以上の成果が出るんじゃないかと、中継を見て思ったよ。

 

新しい技に挑むプレゼンテーション

オリンピックは夏だろうが冬だろうが、
新しい技を見せるプレゼンテーションの場だとわかった。

新しい技を見せると、第三者はもちろん評価者にとって、

「おお、ついにこの技をやるようになったか!」

びっくりし、さらにその分野に磨きをかけていく。
世界新記録もプレゼンテーションの場だね。

ただ早ければ、ただ勝てばいいのでなく、
新しい技や既存の技をより磨いて独自の技を創り上げる。

既存の技ほど、少し条件を変えただけで、新しい技が出てくる。
もちろん新しい技が出たからといって勝てるわけではない。

ある程度新しい技を見せられると、対策もできてしまうからだ。

 

疲れた顔や行動をしたほうが負け

柔道やレスリングなど見ていた時、勝負の境界線がわかった。

勝つ方はイケイケ・攻め攻めな雰囲気を出しているのに対し、
負けるほうは顔や体に疲れが生じ、逃げの姿勢をとっている

戦略上の逃げというより、早く終わってほしいという逃げの状態だ。

疲れは顔、体、動きに現れる。

かつて斎藤一人さんの本を読んでいた時
勝敗の差について述べていたのを思い出した。

負けるほうはだんだん悲しい、辛い顔になっていくと。
だから顔を見れば、どっちが負けそうかわかると。

勝つ側は逃げの姿勢を逃さず、ぐいぐい攻めていく。
逃げの姿勢も潜在意識の「逃げ」が形となって表れたと考えている。

……そうとらえると、勝敗は相手と戦う前からすでに決まっているのでは?

ふっと思ってしまった。

 

日常への応用

潜在意識が少しでも「逃げ」の姿勢を作る、
あるいは「安全装置=リミッター」を働かせてしまう

裏を返せば潜在意識のリミッターを外す訓練をしていけば、
暴走という意味では危険でも、イケイケオーラを出して勝てるのでは?

今回の五輪中継を見ていて、二つを感じたよ。

早速一つやった実験がある。
ビックマウス大作戦だ。

例えば「俺の作品はすごい人気がある」

実際は人気があるかどうかはわからない。人気がないかもしれない。
そんな「現実」なんぞ、どーでもいい。

とにかく口で言う。

「自分の作品は今、めちゃくちゃ人気で多くの人が得している」

言葉だけでなくイメージも浮かべる。
現実がどうだろうと、言葉とイメージを「現実」と見たうえでいう。

すると心がいい気分になった。

自分の心も「そのビックマウスをもっと言ってくれ」と、
叫んでいるかのような感覚だったよ。

ビッグマウスにおいて重要な気持ちは現実だ。
現実がどうだろうと、正反対だろうと無視をする。

周りから批判やツッコミが来ようと無視する。
実績なんて後からついてくる、というより後回しでいい。

イケイケオーラで仕事に取り組むためだ。
また戦う前から逃げの姿勢を少しでも作らせないためだ。

イケイケオーラでとことん取り組む。

何かいいことが起きる前提で見ているよ。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。