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河村光庸Pのアニメ映画やっかみにみる実写映画の人気下落

おはよう、しゃしゃ。
BANGERというサイトに面白いインタビューがあった。

記事:政権に斬り込む『パンケーキを毒見する』河村光庸Pインタビュー「『鬼滅』や『エヴァ』は映画館を救わなかった」

簡単にまとめると、パンケーキ映画をミニシアターでなく、
誰でも見れる大きなシアター(シネマコンプレックス)で上映しよう。
多くの有権者に見てもらいたいから。

次の段落に私を含む多くの人がかみついた。

 

『鬼滅』や『エヴァ』は逆に映画館を危機に陥れた

「大ヒットした『鬼滅』や『エヴァ』は逆に映画館を危機に陥れた」

タイトルだけで「は?」思ってしまった。
中身を読んでいくと、

シネマコンプレックスは今や、アニメ上映が多い。
アニメ映画によって一部の映画会社と業界は儲かるものの、
実写映画にかかわる人たち及び小さい映画をつぶされた。

結果、映画館を危機にさせたと。
一応、娯楽映画として素晴らしいし否定もしないけど、
制作者としては辛い気持ちになったと述べている。

川村プロデューサーの意見を読んでいると、
政治の在り方を考えさせつつ、有権者の未来を突き動かす、
アニメよりはるかに高尚な映画を見てくれと感じたね。

実写映画、そういえばあまり映画館で見ないなあ

 

世間の声を調べた結果

「儲かる実写映画を作ればいいんじゃねえの?」

「アニメを今でも見下してるんだな、実写映画の連中は」

「キャストはジャニーズといったアイドル、
他にお決まりの俳優ばかり使っている。

映画館で暗い雰囲気にさせられる展開ばかり。
娯楽なのに娯楽でなく憂鬱にさせる内容ばかりで飽きる」

「キャストとあらすじを見ただけで、
観なくても”ああ、こういう展開かあ…”わかってしまう。
特に視聴者を”おおっ”とさせる演出もないだろう」

色々ある。

私はゴジラvsコングをこの前みた。
今後だとシン・ウルトラマンを見に行く予定だ。

大半の映画はテレビでいいやと思っている。
むしろテレビすら見ていない状況だから、見る機会もない。

参照:映画プロデューサー「鬼滅やエヴァ、アニメのせいで……」

 

自分が見に行きたくなる映画の条件

たとえ外が熱すぎ、寒すぎても、台風だろうと、
お金を払ってでも映画を見に行くかどうかの条件として、
テレビでは味わえない魅力にあると考えている。

当たり前じゃんとつっこむだろう。当たり前を分解したい。

例えば特撮だと、派手な演出及び音響はテレビだと少し物足りない

大きなシアターだからこそ、大きなモニターだからこそ、
画面いっぱいにキャラが動き、惹かれていく。

モニターの大きさと迫力が与える印象度(インパクト)は、
私の中では比例関係にあると思ってる。

※例外もあるはず。

テレビでは味わえない演出、ワクワクさを楽しむなら映画がいい。

ちなみに脚本をはじめ、ネタバレについては知る・知らぬはどうでもいい。
知ったところで「演出を見に行きたい!」なら行く。

「あ、特に演出部分はいらないや、見なくていいや」
判断したら、見に行きたいと思わない。

仮にテレビですべてを知ったとしても、
「やはり映画で、特別な雰囲気を味わいたい!」

全てを知ってでも、映画でしか味わえない雰囲気、
独特な感覚を楽しむ以外は、映画館で見ようと思わないな。

あなたはどうだろう?

 

気になる周りの指摘

川村プロデューサーの意見に対し、
多くの人がアニメ映画と実写映画に関して意見を述べていた。

いくつかあるサイトやツイッターから、
一人の作り手と指摘になった部分を載せていきたい。

川村プロデューサーの発言はまんま自分にも当てはまるし、
他人事と捉えていないから。

 

客寄せパンダ

客寄せパンダとは目の前のお客様を連れてくる「何か」を示す。

元々上野動物園でパンダが来てから、
みんなパンダを見たくて訪れる人が多かったところからついたそうだ。

まず気になった意見として、
アニメはアニメ自体が客寄せパンダになりえるが、
実写だと役者、アイドルにしなければならない

演技のできる役者アイドルならまだいいかもしれないが、
たいていは演技もろくにままならない人ばかりで興ざめする。

結果、質が下がっていると。

 

見る人を考えてるの(エンタメの本質)

次に実写映画は「見る人の気持ちを考えていない」と書き込みもあった。

私は目に入った映画やアニメ、小説ほかのレビューにて、
「こうしたらいいのに」情報を集めている。

気になる情報は「自分もついやってる行動」として、
自分の反省材料として捉えている
ためだ。

見る人を考えていない=エンタメを意識していないで、
作り手らがわかればいいや的な作品に興ざめすると。

エンタメについてあるサイトで話題になっており、
「エンタメって何さ?」尋ねたところ、

自分(作り手)側のみがわかっている作品はエンタメでない。
わかるやつだけ、わかればいいという考えもエンタメではない。
ぱっと見ただけですぐわかるの、本当に重要

考えさせられる答えがかえってきた。
エンタメの一つとして一つ話を横道にそらしたい。

 

東京五輪はどうして楽しいのか?

https://twitter.com/GermanyinJapan/status/1422735571382784016

現在東京五輪が行われている。
日本活躍の活躍はもちろん、海外選手の活躍も面白い。

中でも金メダルを来れるかどうかの戦いは手に汗握る。

で、金メダルを取れる人とそうでない人の違いが一つ分かった。
金メダル取る人は銀メダルをとる人に比べ、大胆かつ堂々かつ規模が大きい。

銀メダル以降の人は金メダルに比べると、
少し大胆さが欠けていたり、ちょっぴり慎重に勝負を仕掛け、
少しばかり規模を小さくさせている。

選手たちをはじめ、ファンには大変失礼に感じるかもしれぬが、
どう表現したらよいか、実際に見てみるのが一番だ。

金メダルと銀メダル、
BMXや体操一つをとっても金メダルをとる人は大胆で、
さらに一歩上の世界に挑んでいる状態だ。

失敗しないのはもちろん重要だけど、
金メダルを取る人達は基本、超大胆だけでなく、
大胆でイケイケオーラに満ち溢れている。

感覚的な話になってすまない。

五輪を見ているなら、選手の顔や動作一つ一つを見てほしい
金メダルをとる選手は積極的で伸びが良くて大胆だ。

エンタメもイケイケオーラを出しており、
大胆で堂々と、それでいて失敗はほぼない状態を出したとき、
多くの人の心に分かりやすく感じる。

「あ、これは素晴らしい」

わずかな差をたっぷり楽しめるからこそ、
五輪はエンタメとしても素晴らしい。

だからこそパンケーキを毒見するには思うんだ。

 

挑んでいるのか?

実写業界には五輪にある「イケイケオーラ」をはじめ、
他の実写映画と競ったときに生じる、

わずかな大胆かつ堂々かつ新しい世界へ挑む行為など、
8割の第三者にとってぱっとわかる何かを出しているのだろうか?

パンケーキを毒見するという映画は菅政権に対する挑戦、
と私は思ってないよ。

本当の挑戦なら中華人民共和国、あるいは香港にて、
「くまのぷーさんと楽しむ」といった映画を作るだろう。

上映の「じ」を出しただけで命を失うかもしれない、
でも出さずにはいられないといった、生きるか死ぬかの挑戦を描くなら、

「応援する、頑張ってくれ」と思うかもね。

日本は表現の自由がある国だし、
ガースーを批判はツイッターであちこち見るから、

映画を上映しても、ガースー側に命をとられるワケじゃないからなあ。

※命は物理もあれば社会、精神もある

とても大きな壁をぶち破る挑戦さを感じず、
私にとっては新鮮な印象を抱かないよ。

ついでに川村プロデューサーらにとってのエンタメは、
人を指さしてバカにする程度でしか考えてないんだろうか?

政権批判はいいんだけど、批判よりも嘲笑に近いと考えた。

人をバカにする=エンタメなら私は見ないな。
何しろ自分も馬鹿にされまくった過去(現在)があって、
嫌な時期を思い出してしまうから。

 

アニメのせいにしても……

いくつかあるスレッドやツイッターほかの意見として、

「なぜ自分たちの失敗を他人(アニメ)のせいにするのか」

厳しい指摘をしている人がいた。
自分らの失敗や不都合な実態について、
〇〇のせいにして自分たちに原因がないと考える。

回りのせいにしている間は進歩などない。
成長はつねに自分の気づきにあるのだから。

私も気をつけねばならない。
回りのせいにする、環境のせいにした時点で「敗北」は確定しているからだ。

他にもいろいろ意見がある。

作り手の私にとって大変貴重な情報をいただいた気分だ。

 

愛と熱量があれば人に勧めたくなる!

翌日になっていろいろなスレッドを読んでいたところ、
シンゴジラや銀魂(実写)といった、

制作者側の愛と熱量も存分に感じる内容だったら、積極的に広めたくなる。

憎悪だけでなくお友達(同じジャンルで似た思想)にしか受けない内容なら、
誰が積極的に「あんたも見てよ、これ」と広めるものか。

意見があって、なるほどなと思った。

そういえばシンゴジラ、最初は恋愛要素を無理やり入れらされようとしたけど、
庵野秀明監督が断って、恋愛映画でなくなったんだよね。良かったよ。

参照:もっと恋人設定とか入れましょう

参照:新聞記者のプロデューサー

本当に妥協してもらわなくてよかったよ、シンゴジラ

 

仮想的がいるメリット

記事を更新した後、上記ツイートが目にとまった。
互いに負けないからこそ、互いをおおっといわせる演出を意識する。

おお!といわせる演出もせず、
あいつのせいで俺らの人気がなくなった、では話にすらならない。

ライバルですらない。すごく考えさせられたよ。
なるほど、仮想敵を持つとはこういう意味なんだと。

自分が得をするために仮想敵を作るのであって、
仮想敵にも頑張ってもらうために作るのであって、

ただ愚痴をこぼしてる連中は敵ですらないと気づかされた。

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。