おはよう、しゃしゃ。
私は現在制作中のRPGゲーム向けに絵を描いている。
絵を描いた後はプログラミングを組み、
脚本を描きストーリーを練っていく。
現時点でこだわりのある音楽を作れないので、
いずれ自作できたらいいなと考えている。
全て人に任せてしまうのが一番早いんだけど、
どうしても自分で作りたくなってしまう。
貧乏暇なしとはよく言うものだ。
金持ちはむしろ暇を作るためにバンバン他人へ任せる。
お金持ちほどできるだけ「自分でできる仕事」をせず、
他人へ任せて他人の仕事を作っているわけだ。
大半の作業を自分でやってしまうので、
他人の仕事を奪っているんだなと気づかされた。
ところでRPGゲーム制作において、やるべき作業がたくさんある。
手を抜いてはいけないところと、手を抜くべき箇所に分かれる。
手を抜くべきかその一つがイラストだ。
陰影のつけ方、レイヤー分けなど思いっきり手を抜いている。
先日、書店でイラスト専門雑誌を読んだ。
絵を描いていない時は全く分からなかったけど、
「なるほど、ここに絵師の真の価値があるんだな」気づかされた。
イラストの難しさって何だろう?
あなたに一つ尋ねたい。
イラストを描くときの難しさって何だろう?
目で見ると「このくらい俺でもできる」判断する。
目と脳みそだけだと「簡単そう」思ってしまうが、
実際に手を使って描いてみると
「なんであべこべになってるんだ?」
自分の技術力の無さに泣けてしまう。
ある程度基礎からやって画力を上げていけば、
「このレベルならできる」判断する。
ここからだ、本当の難しさは。
私が先日読んだイラスト系雑誌を見ていくと、
「これなら自分でもできるかなあ」思う一方、
面倒くさい部分に価値がある
例えば女性の下着を塗る際、レースをつける。
CLIPSTUDIOだとレース用のブラシがあるけど、どことなく違和感を抱く。
プロのメイキングを見ると、レースですら自作(手書き)している。
慣れている人ならレースを描く作業など苦労しないが、
私のような大雑把なものしたい描けない人間にとって、
レースを描く行為は苦痛でしかない。
人間の描く上で重要な個所と言ったら、
目の輝きと髪の毛と肌の光陰だろう。
加えて小物、アクセサリー、背景一つ一つの線、
服装への刺繍など「細かい要素」がどんどん増えていく。
時に苦痛を抱きながらも、手を抜かずに細かいものを描く。
最初はとても時間かかるだろうが、
慣れてくると少しずつ作業速度が倍になる。
濃密(細かさ)×速度
二つがイラストにおける難しさだとわかった。
じっくりと小物や些細な個所に描く時間なんて取りたくないよ。
どういう仕組みなのかもわけわかんないし。
描写を通して自分の潜在意識・限界にたどり着く状態だ。
絵を描いていないと「このくらい簡単だ」みなす。
なぜ絵を描かない人は絵を描く人の激怒に気づかないのか?
絵を描いていない人が絵描きに絵を発注する際
「ちょちょいのちょいでできるものに、
どうしてお金を支払わなければならないのか?」
疑問を抱いてしまうんじゃないだろうか?
細かい部分ほど、少しでも手を抜くと大雑把になる。
大雑把になると真実をもたらす絵でなく、1歳くらいの子が描く落書きと変わらぬ。
絵を描いていない人間からすると、
絵を描く行為はとても簡単に見えるだろう。
実際に絵を描いている人からすると、
細かくて時間のかかる部分ほど面倒で手を抜きたいと思う一方、
手を抜かないできちんとやるからこそ、大きな価値が生じる。
CLIPSTUDIOのようなCGソフトなら、
ソフトひとつ手に入れれば十分だけど、
油絵や水彩絵の具などアナログイラストを描く場合、
具材一つから揃えていかなければならないし、
パソコンやスマホと違って簡単かつ即コピペできないから、
CGソフトより値段が高いと納得できた。
イラストの価値に対する考えは別の部分にも応用がきく。
英語や数学プログラミング文章作成なんて誰でもできるだろ
現在私は英語の勉強をしている。
英語の勉強は「読解」と「作文」にわけている。
毎日2時間×半年つぎ込むと、
6割ぐらいの英文をスラスラ読め、3割ぐらいの作文をスラスラ書ける。
勉強ができると、つい思ってしまう。
「なんで英語を教える人・教室・場所が後を絶たないんだろう」
現時点で英語は小学校のうちから習う。
私は中学校へ入って本格的に習った。
中学校からやっているにも関わらず、
歩けば英会話スクールやネットを見れば英会話に関する学校など、
英語学習に関する情報は多い。
本来なら中学校を卒業すれば英語なんてペラペラいくんじゃない?
英語一つにどれだけ苦労してるの?
上っ面で思ってしまう。
実際に英語を学び英語を使えばわかる。
「ああ、自分、ちっとも英語を使いこなせてないや」
見る側だけだと簡単そうに思える
=そこにお金を払うなんてもったいない
=そこにお金を出す価値などない!
いざ自分がやる側になると、
=そこへお金を払う人の気持ちが十分わかる
イラストを描いていない人が描く人に仕事を任せた際、
描く人からお金を請求されてびっくりする状態を、
英語、数学、プログラミング、日記……
ありとあらゆるすべてに当てはまる。
「たかがコレをしてもらうのに、なぜお金を払う必要があるのか」
見る側にとって「たかがコレ」は脳内でパッと完成しているため、
「あなたの時間を使うだけで、こんな簡単な作業になぜお金を払わなきゃいけないの」
思ってしまうが、実際に自分が作成してみると、
「なぜ自分はこの程度の表現も満足にできないのか」
始めて価値に気づいてしまう。
脳内では簡単にできることが、実際に行ってみると細くて奥が深い。
「実際に自分もやっている」人なら大変さがわかっても、
大半は「実際にやった経験などない」人だ。
あるいはやっても「浅い部分でとまっている」人のみ。
技術を伸ばす二つの視点
「自分が選ばれる側」になるための考え方として、
細かい部分から逃げず(手を抜かず)に行う
最初は時間をかけても、少しずつ短縮圧縮していく
時間と濃密を意識していけば、
二つに比例するがごとく発想やアイディアも浮かぶ。
アイディアは「少し背を伸ばせばできる」ときに生じる。
時間と濃密を鍛えるうえで重要な考えが、
- 定義
- 分岐
定義とは今自分がしている仕事はもちろん、
イラストなら色の使い方一つ一つ、
どうして肌色を塗るときは乗算を使うのか。
あるいは通常でやるのか。この色を選んだのか。
なんとなくやっている部分を科学へ変えていく。
「こういう世界の雰囲気を出すなら、
この色よりちょっと下げたほうがより適している」
世界に沿って細かい分岐をしていけばいくほど、
より細かな世界を表現できる絵を描ける。
イラストだけではない。
文章にしろプログラミングにしろ英語にしろ、
ありとあらゆる要素において、定義と分岐を行えば、
濃密さと時間がきちんとついてくる。
脳みそは時間を飛ばす機能がある。
どれだけ濃密かつ時間をかけて作った作品も、
脳みそは全ての作業過程を早送りした上で、
「この程度なら自分にもできそう」捉える。
脳みそは「全て分かった気」になるから注意が必要だ。
脳みその高速処理に騙されてはいけない。