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足立康史氏は話題になり、林文科相の献金疑惑がならぬ裏って?

おはよう、しゃしゃ。
久しぶりの投稿だ。

自分のブログをどうして行こうか。
いろいろ悩んで迷った結果、結論が出た。

後で述べるとして、政治関係の話を一つ。

夕刊フジ(産経新聞系)が林文科相の獣医師献金疑惑を載せた。
安倍政権に少しばかり矢を飛ばす内容だから、
朝日などが飛びつくかなあと思ったら、飛びついていなかった

一方で朝日新聞死ねと国会の場で述べた維新の足立議員に関して、
朝日新聞や日刊ゲンダイ他が、積極的に記事を書いた

なんだろうね、この「背後」にある事情は。

 

林文科相の獣医師会献金疑惑

記載

夕刊フジの取材によると……

2013年(平成25年)に林さんの資金管理団体が、
日本獣医師会の関係団体から100万円の寄付を受けながら、
政治資金収支報告書に記載していなかったと報じている。

総務省から公表されている、政治資金を調べてみた。
PDFにおける寄付の内訳を調べると、15ページにボールペンで書いてあった。

初めは書いていなかったけれど、後に訂正した。
どうして「初めは」書かなかったのだろう?

すると夕刊フジの取材でこう述べている。

「記載漏れであり、お金は返した」

朝日他がここについて触れないのは何があるのだろう。
なお、代表者の名前が北村直人さんって獣医師会の疑惑で盛り上がった人だね。

サイト:総務大臣届出の国会議員関係政治団体の収支報告書(H25年)

PDF:林芳正を支える会

参照:加計学園騒動の黒幕は北村直人

 

足立康史議員の「朝日新聞死ね」

朝日新聞死ねという足立康史議員の発言(ツイッター)が、
朝日新聞を中心に話題となっている。

「○○死ね」嫌な発言は「保育園落ちた、日本死ね」が源流だ。
授賞式に山尾志桜里議員が現れ、笑顔で受け取った。
(その後、一度「政治家」として信用が死ぬとは思わなかった)

ユーキャンが「日本死ね」を流行語大賞に選んだあと、

https://twitter.com/myamuis1/status/839615782673768448

読者の声という形を代弁しながら、
「やはり日本死ねの気分になる」を載せている。

なお、足立さんは発言の後

朝日新聞は面白い反論を載せた。

朝日にとって「日本死ね」は与党の政策に不満を抱える市民の表現だ。
足立議員の発言は別物だ、次元が違うと述べている。

別の視点で見ると、
「朝日新聞死ね」は朝日新聞の記事に不満を抱える市民の表現だ。
⇒朝日新聞の記事に不満を抱えた人は「表現」として使ってよい。

置き換わってしまうのだけど、いいのかしら?

ユーキャンの流行語大賞で取り上げた際、

「今後、○○死ねと言う発言に対し、『比喩』だから使っても大丈夫。
考えて使う人が出て来るんじゃないだろうか?」

予測を立てた人が多かった。
朝日新聞は「まさか」自分たちに使われようとは。

ツイッターでは政治家でない人々の何割かが使っていた。
そのうち、誰かが朝日新聞に対して絡むかもしれない。

私は思っていたので「今更慌てふためいて批判するの?」思った。
くわえて「朝日死ね」の背後にある因果関係(獣医師会、献金疑惑)
に関してほとんど報じていない。

言われるに至った背景をきちんと書かず、
「足立からいきなり死ねといわれた、何だこいつは(怒)。
青木理さんもゲンダイさんもみんな、足立を批判している」

徒党を組んで、一斉に批判をしたよ。

足立議員は「不快感を覚えた人々には謝罪」したけれど、
朝日新聞に対しては「死ね」表現でなく「廃業しろ」と、
会社分野の「生死に関する」表現へ変わったよ。

 

どちらの情報に「より」価値を持つ?

林文科相の献金疑惑と足立さんの炎上騒ぎ。
どちらかといえば、どちらの方に「情報価値」があるのだろう

ネットで大騒ぎできる(いろんな意見を書き込める)ほうが足立さんだ。
林文科相の献金疑惑は大きく報じられていない。

産経系の夕刊フジが報じた事実にむしろ驚く。
産経系はよく「安倍擁護する側」と一部の人から言われている。

擁護する側がまさか落とす側の記事を書くなんて。
びっくりした人もいるんじゃないだろうか?

夕刊フジが林文科相の献金疑惑を記事にした。
ここにどんな戦い・意味が隠れているのだろう?

夕刊フジ以外は林文科相の献金疑惑を表ざたにしたら、
諸事情でかばっている議員連中にも火が飛んで、
メディアはもちろん、省庁にも影響を与えるからだろうか?

 

記事を別な視点で観察してみよう

記事を暴いた結果、誰がどんな利点・欠点を得るのか?
くわえて「どうやってチャンス」を得るのか?

しゃしゃからすると、
「へえ、林さんの団体が献金ねえ。まあ、どうでもいいや」
思うかもしれぬ(私もそう)。

強引にチャンスを作るとしたら、どんな発想をすればいいのか?

 

簿記や経済の視点から物語へ

PDF:林芳正を支える会

もう一度PDFを見ると、寄付をした人や会社、団体が一つ。
お金の使い道が二つ。

政治資金の流れを簿記の視点から見ると、
「会社」として議員はどんな動きをとっているか?

どんな団体からの寄付が多いのか。
⇒彼はある業界とつながりが深い
⇒そっち方面の株価や会社の業績、政策を見る

適当に描いたのだけど、
一つのチャンスとして捉え、強引に頭を働かせてみよう。

「今後の日本経済/政治/文化他」を考えるヒントにならないか?

私はティラノスクリプトを使って、物語を書いている。
だから政治資金の流れは物語を書くうえで参考になるかもしれない。

空想と妄想、現実にある取引話を掛け合わせると、
一つの物語が造れるのではないかと考えたよ。

しゃしゃはどうだろう?
自分の趣味や仕事とこの出来事を強引に絡めたら、
新しい発見ができるんじゃないだろうか?

 

足立議員の発言から見つけるもの

足立議員の発言はどう見たら、学びへ変わるか?
足立議員は初め「死ね」という言葉を使った。
ナタを使ってすっぱり果物を切る感覚だ。

次に朝日をはじめ、いろんな人が盛り上げた後、
足立さんは言葉を「死ね⇒廃業しろ」と言葉を変えた。

「死ね」は会社のみならず、人間の生死にかかわる言葉だが、
「廃業しろ」は会社に通用し、人間にすぐ影響を与えぬ言葉だ。

インパクトの与え方+一部の人に顔を覚えてもらう方法
+熱烈なファンとアンチを呼ぶ方法
としてみれば、勉強になる。

一つの事例から「どの立場/視点」でどう見るか?
事例を元に「別の方面」で見ると、新たな価値が生まれる。

しゃしゃはどうだろう?
「別の方面」で見ると、ビジネスにも物語にもチャンスを得る。

 

魅せ方を変えて、新しい価値を創れ

この前、知人のコンサルタントと話をしていた。
彼は時代の流れに合わせて、利益をきちんと出している。
(民主党政権時も、自民党政権に変わってからも……)

彼は私に述べた。

「今、新しいものは生まれていない。そうでなく魅せ方を変えて物語を創るんだ」

 

魅せ方⇒物語を創る一つの例として、私はこの記事をあげる。
林文科相の献金疑惑(題材)から、
私は「どんな視点」で見て、どんな展開(物語)」を考えたか。

「自分がやっている仕事、ちょっと業績が悪いんだよねえ……
どうしたら、業績を変えられるのか。アイディアはないか?」

思ったら、ぜひ自分の仕事に対して「別な視点」から見よう。

例えば自分のこれまでやった業績が何であれ、
「すごい。素晴らしい。面白い」褒める。
褒めるだけでも「別な視点」から自分を観察できる

「自分をすごいなんて言えないよ……」
思ったら、こちらの本をしっかり読んで自分を認めよう。

彼も最初は自分を認められない、貶す人間だったが、
「自分はすごい」と強引な結論を置くと、
本当にすごい出来事がやってきたんだと。

すごい自分を引き出すなら今すぐ読んで試してほしい。

本:がんばっても報われない本当の理由 (PHP文庫)

 

今後、何が動く?

ニュースに話を戻す。
林文科相の献金疑惑は夕刊フジがきちんと報じ、
他はほとんど触れていない。

一方で足立議員の発言は朝日他が「流れ」をぼかして伝えている。
加計学園騒動は結果、獣医学部設立へ至った。

日本における「今後の時代」がどう動くか。
どんな生き方をしたら「波に乗れる」か?

見えてこないだろうか、しゃしゃ。

 

おまけ:意識しながら描くこと
これが描けない

インスタグラムでイラストを描いています。
イラストを描く際、パースを意識する/しないでは差が生じます。
上記イラストも「この構図はどうなっている?」考えて描きました。

一つの視点に対して「どの角度、どこから」見るか。考えるか。
全ての分野にも言えるなあと。

私は今後、自分のブログをどうして行こうか。
すっごく迷っていたのですが、

「人とは違う視点、そんな視点で考えないよ」
という部分を強引に考えてみようかなあ~

結論付けたら、すべてがエンタメ/チャンスでしかない。
自分として何を提供できるのか。

「チャンスの見つけ方」というよりは、
「あ、そこにチャンスがあるんだ」気づくヒントを伝える。

すると、ブログは「自分の生活。普段の思考」を伝える場じゃないか。
結論をつけると、自分の生活こそが商品なんだなあと思ったのです。

しゃしゃはどうでしょう?

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。