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「難民による犯罪者を逮捕せぬ警察」から見る、国のSNS化と悪魔の戦略

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※ 暁美 ほむら | HaNi [pixiv]より  悪魔ほむらについて

おはよう、しゃしゃ。西欧は非常に面白いことが起きている。
難民の人権をあまりにも配慮しすぎたせいなのか、
本来法律で裁くべき犯罪行為をした人たちを、警察が逮捕しない。

すなわち、警察としての役割を放棄した状態が西欧社会で起きている。
いうなれば、政府らが被害者より加害者を守る(いびつな形)という、
「国家」のあり方を覆す事件が起きている。しゃしゃ、どう思う?

……え、日本もすでに起きているって?
この動きから一つ浮かんだことがあるんだ。「悪魔」の戦略さ。

 

自警団(警察いらない)

オーディン

フィンランドで移民や難民が急増し、自国民の生活がひっ迫されている。
異国民による犯罪が起きてもマスコミはもちろん、警察や政府も守らない。

むしろ被害者を「弾圧」する形で人権派が良心ぶって戦っている。
だからこそフィンランドで「警察に頼らない」自警団が作られた。
向こうのマスコミは移民や難民が暴行されないか危惧しているそうだよ。

「オーディンの戦士たち」という名前だ。
(オーディンは北欧神話の主神にして、戦争と死をつかさどる神様であり、
肉体を差し出してでも、知識を得る神様なんだと。
テイルズオブファンタジアではかなり苦しめられましたw)

警察や政府らは移民排斥を掲げる自警主義が発生するかも……
というより既に発生しているよね。

ロイターは移民や難民に優しく接しようという前提で記事を書いているね。

引用記事:移民急増のフィンランド
参照:難民による犯罪者に甘い警察たち

 

ローマ方法が難民を応援

ローマ法王がバチカンのサンピエトロ広場にて、
集まった数千人の難民や移民に対して述べたよ。

「皆さんは自身の物語や文化や尊い価値を有しているが、不幸にも貧困や抑圧、恐怖を経験してきた。しかし、希望や人生の喜びを失ってはならない」

広場にて意見を聞く移民や難民はイスラム教徒でなく、キリスト教だろう。
彼らが誤った方向(犯罪)に手を出さなければいいのだが……
一部は間違った方向に向かってしまうだろう。

どんな善人でも環境によって、つい誘惑に載ってしまうことがある。
他人事じゃないよ、私もあるし、しゃしゃだってある。
誰もが「魔に刺される」ときはあるんだ。

しかし、「刺される寸前」で必ず選択肢が出る。
その時やらない方向に行けば、後で良かったと思うだろう。

デモ

ところでローマ法王の発言を見ると、
「彼も甘いことを述べているなあ」思う人は多いだろう。
ローマ法王は基本、世界平和を望む人だ。
甘いといわれようが、「平和」を望んでいいと思っているよ。

記事引用:難民に「希望失わないで」

 

新しい国家が作られる?

フィンランド

政府や警察といった、本来国民を守る立場の人たちが役割を放棄する。
「国家」としての体をなしていない。
だから今後、西欧はより細かい村や町が「国」として独立する。

なんというか、SNSコミュニティができるような感覚だ。
自分たちが所属している大きなコミュニティで、どうしても相いれない人たちが出てきた。

だからこそ自分にとって「住み心地のよい」場所を作り、
新しいコミュニティを作って条件を課し、共感する人たちだけで国を運営する。

ヒトラー
※ 当時のドイツ国民が望んだ結果、ヒトラーが誕生したのだ。

西欧社会は今後、「移民や難民を一切入れない国」
ができてもおかしくないと考えているよ。

何しろ今いる西欧の政府たち、マスコミ、警察……
そろって自国民の犯罪被害者を守らないのだから。

人権派と呼ばれる人たちは、
「難民の人権」と「難民による犯罪」を別個のものとして考えず、
同一視しているよね。「それはそれ、これはこれ」ができない。

人権派団体も「難民の被害者人権は守る。だが加害者は別だ」
なら、西欧の諸国民も味方についたかもしれない。

しかし現実は「被害者のみあらず、加害者も守る」
本来法律で対処すべき人たちを守り、守るべき人たちを放置する。

あべこべになっている。

 

真面目に働く移民や難民も困る

すでに西欧では移民や難民の追い出し運動が始まっている。
追い出される人たちが犯罪者だけならともかく……
真面目に働き、国になじもうとする人たちまで追いやられる。

一部が行った愚かな行為のせいでね。
自国民からすると「移民や難民を一切入れないことで、問題は解決する」
思って、難民や移民すべてを追い出そうと運動している。

追い出す人たちを「ヘイトスピーチだ」「少数者追い出しによる犯罪だ」
述べる人(人権派)はいるけれど、彼らは被害者を守らないからねえ。

 

ヘイトスピーチの定義

大阪でヘイトスピーチ抑止条例が可決された。
日本人へのヘイトスピーチはおざなりにし、
日本人が外国人に向けて言葉は取り締まられる法律だ。

ただし「大阪」のみになっている。
調べると自民党も「ヘイトスピーチ」に対し、考える法案ができるそうだよ。
「日本人は守らないのか?」日本人なら怒ってしまうだろう。

ヘイトスピーチの問題は「定義」があいまいなことだ。
「自分(自民族)が他人(他民族)から侮蔑された」
感じたとき、ヘイトスピーチと定義される。

(一部の人は「都合の悪い事実」を指摘された場合、
ヘイトスピーチと指定
するよ。これは違うと思うんだ。
馬鹿にしているのでなく、都合の悪い事実を聞きたくないために、
相手の言論を封じる行為に等しいし)

他のサイトを見ると、
「ヘイト・スピーチは単なる不快な表現ではなく、国籍や民族などを理由に、
マイノリティ(少数者)の『人間としての尊厳』を否定する言葉の暴力」

引用:言葉の暴力か 表現の自由か

大阪の条例を見ると、日本も今後一部の地域が独立して、
「ここから先は日本人だけしか住めない場所だから」
ができる確率はどれくらいだろうか?

少なくとも国家としての機能が破綻した場合(政府や警察といった組織が国民保護を放棄)、
限りなく日本に「別の国」ができると思われるよ。

参照:ヘイトスピーチの間違った使い方例

 

悪魔の新たな戦略

汚物

加害者が得をする社会を作ってしまうと、
自分たちで身を守らなければ、被害にあってしまうね。
加害者が大損をこくように法律が定められたとしたら……

仮にこの世に悪魔がいるとしたら、彼らの戦略は簡単だ。
「神様のコスプレ」をして堂々と歩けばいい。
神様と戦うのでなく、神様の下僕を演じるほうがいい。

神様をおだて、有頂天になって他のことを考えさせない。そこに隙が生じる。

本当に困っている人をより困らせる。神様は有頂天だから声など届かぬ。
そこに争いが生じて、彼らのえさがどんどん増える。

悪魔は人や動物の形をしているのではない、
誰の心の中(もちろん私の中)にも存在する、「魔」である。

よく「魔がさした」といわれるが、その「魔がさす行為」こそ悪魔に他ならない。
聖人と呼ばれる人の中にも必ずいる(むしろ聖人ほど厄介)

同時に私たちの心には天使もいる。
天使と悪魔が「未来の人生」をかけて戦っていると思ってほしい。

 

環境と心は区別しよう

沈没

悪魔が優位に立つ状態は絶望に陥ったときだ。
絶望とは外の環境を見て「もうおしまいだ……」気持ちが後ろに向かう状態だ。

どんなに環境が激変して、辛いなあと多くの人が思う状態でも、
「いや、これこそチャンスだ」前向きに考える人はいる。

心は外の変化に影響を受けやすい。
しかし自分で心を管理できれば、外の変化がどうだろうと関係ない。

問われていることは一つ。「どんな状態でも自分を鼓舞できるか」

 

結びに:国はSNS化するか?

被害者側は誰も守らないから自分たちで固まって、
守っていかねばならない。その時新しい国が生まれるんだろう。
と、私は思っているよ。国はどんどんでき、SNS化していくだろうね。

天使とか悪魔とか書いたけれど、
「こういう考えもある」異文化認識の一つとして思ってくれるとありがたい。

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。