
小説は自分の頭に思い描いているものを紙に書く行為です。
そこから自分の理念なり、他人と共有したい世界なりと、
コミュニケーションを行い、共に楽しい世界に浸る。
小説を描き、発表するサイトとして、「小説家になろう」があります。
イラストならPixiv。小説も扱っています。
どちらも才能や情熱がほとばしる、良きサイトです。
ぜひ注目しておくとよいでしょう。
今回は小説に関係するお話をします。
小説家になるには?

小説家になるための必要条件は書くこと。
支離滅裂でいい、高度な表現は後回し。原稿枚数も気にしない。
他人が読んで「くだらん」「お前無理だわ」と言われてもいい。
自分が『どんなこと』を書きたいのか?
自分の頭につまっている「作品」を言葉にしていくこと。
ガヤ(周囲の雑音)を気にせず、まずは書くこと。
後は全部十分条件です。
小説家になる傾向と対策本や学校を利用し、傾向と対策を掴むと良い。
一度は賞に出してみる
(又吉さんもださなければ、応募されなかった)
どこの文学賞でも構いませんから、必ず一度は賞に出してみましょう。
理由は自分の「立ち位置」を知るためです。
立ち位置を知ると、自分なりに傾向と対策をつかむようになります。
すると、何をすればよいかが見えてくるわけです。
私もどこかの小説大賞に応募し、特別賞をもらいました。
びっくりしましたよ。自分の書いた文章が世間に通じるんだ。
賞をもらうよりも、自分の文章をきちんと読んでもらえた。
ということが、嬉しかったのですよね。
(症状は紛失しましたw)
他人の作品を褒める

他人が書いた作品に対し、
やってはいけないことを一つだけ書きます。
・自分や他人の作品をけなすこと
他人の作品が良いものほど、
自分が書いた作品の不甲斐なさが目立つと思われます。
それに対して「ああ、自分は駄目だ」と、思わないこと。
冷静に物事を見て判断していただきたいため、
余計な感情を入れないようにしてください。
他人の作品を読んだ後に自分の書いた文章を読む際、
必ず、自分が書いた作品も褒めること。
褒めることで「お、これは使えるかもしれない」
良きアイディアに気づくのですね。
他人をけなす=自分をけなすという考え
(他人は自分の内面を移すかがみのような関係)
難しいことを書きますと、他人も自分も抽象化すると人間です。
そこに他人も自分も区別する者はありません。
すなわち、他人の作品を否定するつもりが、
いつの間にか自己否定につながっているのです。
自分を敵に回すと、ろくなことがありません。
自分を味方につけるため、褒めていきましょう。
たとえ、褒める部分がなくても褒める部分を探すこと。
「探す」能力こそ、良い小説を描くだけでなく、
世の中の流れを観るために必要な手段です。
参考として、斉藤一人さんの音声を紹介します。
彼はめったに否定しないのです。理由は彼が商人だから。
音声を通して商人の見方を知っておくだけでも、
作品を褒めるためのコツがつきやすくなると思います。
取材は必ずする
(日常の何気ない写真も取材として考えると、
風景描写を表すヒントとして描きやすいよ)
書くとき、ファンタジーものだろうが現実ものだろうが、取材は大切です。
なるべく現地に足を運んだり、舞台と勝手に設定している部分に向かい、
そこで何を感じるかを大切にすること。
身近に取材対象がない場合はネットで調べます。
ネットを通して色々調べ、まとめあげていくこと。
小説は取材が必要な部分もありますが、
想像力を駆使して名作を書いた人だっています。
取材はあくまでも、想像力を補うものとして、
リアリティをなるべく持たせるものとして、やっておきましょう。
言葉の怖さに気づく

小説を書いていると、言葉の使い方に気を使うようになります。
言葉ってすっご~く怖いのです。
一例として「安保 強行採決」という言葉を載せます。
詳しいことはこちら⇒ 強行採決の意味を知ると怖い話
「安保 強行採決」という言葉からどのような状態を想像します?

一部の人は「日本が戦争できる国になった。徴兵制を取り、
無駄な戦死者を増やし、自分が殺されたくない、殺したくない」
デモを起こした若者が700人以上いて、
いろんな地方で盛り上がったとのことです。
ただ、安保が生まれた背景や強行採決の意味を理解すると、
また違った視点から、言葉を捉え直せます。
一旦、言葉を冷静に受け止めるか、
言葉からそのまま何かを連想し、行動するか?
言葉の恐ろしさは「感情を与え、行動に駆り立てる」部分にあります。
メディアや権力者側は言葉の怖さを知っています。
だから利用し、悪いことばかり報道するのです。
視聴者が勝手に危ない妄想をして、
パニック状態を引き起こし、心を操作しやすくなるから。
小説を書く時、言葉を色々書いていると、
相手の心に突き刺すことができます。
結果、泣いたり喜んだりクレームを入れたり……。

例えば「今ここを呼んでいるあなた、小説家は諦めたほうが良い。
才能もないし、検索している時点でおしまいなの、ばーか」
この文章を読んで
「何言っているんだこいつ、漢字変換間違っているくせに(怒」
すぐ心が怒りに向かいません?
これが「感動」です。言葉は良くも悪くも心を動かします。
だから、文章1つでテロリストになる可能性だってあるわけです。
文章を書くとき、
「これを読むことで読者がどんな行動を取るだろうか?」
少しは計算しておくと良いですね。
状況に応じて文章を正しく書く

君は本当に馬鹿だなあ。
君って本当に馬鹿。
2つの文章はどのような違いがあると思います?
違いはありませんよね。ひらがなが違うくらいです。
ただ、ニュアンスが違うのです。
(ニュアンスとは微妙な特色を意味します。
例えば0.1センチと0.2センチの違いはよく見ないとわかりません。
定規で図るとわかるのですが、遠くから見るとわかりません)
言葉は文脈によって、使い道がわかれます。
例えば、男性の大学教授で(皮肉屋で50代のおじさん)なら
「君は本当に馬鹿だなあ」というと、学生に向かって言うでしょう。
もし「君って本当に馬鹿」と言ったら、どんな状況で言うのでしょう?
教授がオカマじゃないと、出てこないのではないかと思います。
「状況」を支えるために、教授の性格や現在の状況などを書いておく。
そこで初めて教授がどんな気持ちを暗に考えて発したのか?
書いているとき、そこまで気にしなくて良いのですが、
見直すときは考えておくと良いですよ。
現代文の小説問題を利用する

小説を見直すコツとして、現代文の小説問題を利用します。
教材はセンター過去問で十分。
ただ、現代文の問題集を本屋で購入したほうが良いですよ。
(ネットは読みにくいので^^)
注目すべき部分が「設問」の作り方。
主題者は「文章を読めば解ける」部分しか設問を出さず、
多くが課題文において「核心」となる部分です。
・主人公の気持ちや考え方
・主人公と対立する人物の倫理観
やるべきことは、自分の心のなかで傍線を引きながら、
「この時、主人公はどんな気持ちなんだろう」
気持ちが文章内に出ているかどうか、確認すること。
客観的に読まなければならないので、
編集は辛い作業だと思われます。
しかし、自分で設問を出して自分で客観的に答えられるよう、
文章を読み直していけば、ある程度よいかなと考えています。
自分で書く場合、編集者がそばにいません。
編集する際の参考にしてみてください。
※ 現代文対策を取るならこちら
⇒ 表に出せない入試現代文小説対策
表現力をつけるには?

表現力をつけるには、
・自分が興味ある分野を深く学び、磨くこと。
・全く興味ない部分を知ること。
・苦手で見たくもない分野を勉強すること。
ここからは数学で扱う座標に例えてお話をします。

縦軸横軸ありますね。X軸を小説と思ってください。
Y軸は自分の興味ある分野です(ただし、1つだけ)。
初めはXY2つの座標しかありません。
つい最近興味をもった音楽を勉強したとします。
すると、Z軸という新しい軸が増えます。
XYZ3つの座標になりました。

続いてベクトルの話をします。
ベクトルは高校数学で習う分野で、物理や地学などで使います。
ベクトルの特徴として、合成や分解があります。
合成や分解は座標で表すことが出来、単純な足し算になるのです。
違う軸同士が足し算した結果、太い(画像は青い)矢印が生まれます。
表現力を上げるために、この考え方を持つこと。
すなわち、多方面の勉強をしたほうが良いんですよね。
愚民にする方法

多方面思考がないとどうなるのでしょう?
世界史を見ると、奴隷貿易がなされていました。
なぜ、同じ人間なのに使役する側とされる奴隷に分けられたのか。
奴隷は軸を奪われていることに気づかない、知らないからです。
ここで1つ、テストをします。

1本の木があります。
この木からどんな考えが浮かぶでしょうか?
「ただ木がそこにあるだけだ」
こう思った場合、それしか観る目がないわけです。
例えば、生物をやっている人なら
「木が緑色なのは、植物細胞の中に葉緑体を含んでいて~」
絵を描いている人なら
「木の色は緑だけじゃない、黄色い部分もあるし、白い部分もある」
音楽を弾いている人なら
「この木に合うテーマはどんなものだろう?
ただ高くそびえ立っている気高さを作ってみたいな」
大工さんなら~と言った感じで、
勉強することで、特定分野から物事を考えられるようになります。
考えが想像力を産んで、何かを創造します。
反対に勉強をしないことで、
「ただの木」以外の視点を持ちません。
ここで、あなたよりちょっと権威ある人が言います。
「この木は軍国主義の象徴だ。焼かないと日本はまた戦争の道に走る」
もちろん冗談です。
しかし……恐ろしいことに信じてしまやすい。
嘘とはいえ、権威ある人から情報をいただいたこと。
普段から「疑う」訓練をしていないから、信じてしまうこと。
さらに「燃やしたら気持ちよさそう……」快楽に近い感情を味わう。

結果として、木を焼いてしまう恐れがあります。
軸を奪われる、あるいは知らせないことにより、
他の視点から考えてみようという『思考』すら持ちません。
なにか起きた時、別分野から物事を観るという状態はすぐ出来ません。
普段から「別分野だとどうなの?」「音楽側から分析すると?」
考えているから、いざという時出るのです。

小説を描くときはどうしても、独りよがりにやりやすい。
一度自分の作品を書き上げた後、
「自分が書いた文章を音楽にしてみると?」
「書いた文章を絵にしてみると?」
「書いた文章を物理学の立場で観察すると?」
違う側から見て、書いたものを突き放してみてください。
ただし、1週間ほど寝かせてからやると良いですよ。
ネタが無くなってからが本番

はじめは自分の妄想を書きなぐっていくだけで良いと考えています。
ただ、だんだんとネタ切れが起きて書くことがなくなった時、
突き詰めて欲しい部分があります。
「なぜ、作品を書かなければならないの?」
「小説ってなんだろう?」
哲学として、常に自問自答を繰り返していってください。
小説を書くことが仕事でなく、生きる希望が湧いてくると思われます。
終わりに
私にとって小説を書くということは、
「自分や他人の生き様や価値を肯定できる社会」
を築くことです。
そのため、私にとって小説は手段です。
理念を導き出せば、なにか大きなものを得られると思っています。
ぜひ頑張って、偉大な小説家になってください。
今すぐブログ、小説家になろうサイト他で、
適当に文章を書いてみましょう。

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