おはよう、しゃしゃ。
加賀田晃さんが書いた「営業マン」シリーズ。
昨日、アマゾンレビューで評価を読んだのですが、低い評価ばかりでなえてしまったよ。
「なんでお前らこの本の良さがわからんのじゃあ」
気持ちがこじれて強引にわからせようとすると、
テロリストのような考えになってしまうんじゃないかな?
「ならないよ」うん、そうだよね。普通は。
「なる」と思ったら、まずは気持ちを落ち着かせ、ある考え方を持ってほしいと思うんだ。
加賀田晃「営業マンシリーズ」

※ 加賀田晃さんの公式HPより。予想通りの顔でした。
アマゾンでなぜ評価が悪いのか?
「矛盾がある」「今の時代、こんな営業は通じない」「犯罪者入門だ」
特に「押し売りだ、強引すぎる」
私も読んでいて思ったし、加賀田晃さん自身も述べている。
自覚しているなら確信犯じゃないか。押し売りの最悪おじいちゃんじゃないかと。
でも彼はそう思っていない。

なぜなら営業は「相手のため、相手が少しでも幸福になるため」
彼自身、紹介した商品の中に粗悪品があった。
欠点も理解していたんだけれど、彼はお客様に売ってあげた。
どうして?
彼は「粗悪品でも、ある部分によっては最高の商品である。
最高の部分を使わないと、目の前のお客様が不幸になるかもしれない。
ないよりはあったほうがいい」
詳細は本を読んでいただくとわかります。ただお客様のことを熱心に考えてあげる。
同時にお客様をいたわってあげる。少しでも不安があるなら打ち消してあげる。
打ち消す手段に「商品」が存在する。
あるいは知らないよりも知ったほうが「喜び」となる。
喜びは人生の発展につながる。知らないよりは知ったほうがいい。
だから紹介してあげる。メリットを通して幸福に近づいてもらう。
よって、加賀田晃さんの著書がどれだけレビューが低くても、
本人はまったく気にしていないだろう。
なぜなら「ないよりあったほうがよい」と考えているんだから。
どんな商品や作品も「ないよりあったほうが」
読者、お客様の人生にはよい方向に働くから。
粗悪な商品は次回以降、粗悪に引っかからないための基準として。
(こんなこと書くのはおかしいとわかっているけれど)
他人の意見で揺れるココロ

他人の意見で「これは粗悪、最悪、詐欺」書かれると、
自分がたとえ読んで「いいな」思っても、落ち込んでしまうよね。
「ああ、この本を読んでいる自分はダメなのかなあ」
しゃしゃはどう思う? 私はレビューを読んだとき思ったよ。
ただ、加賀田晃さんの営業マンシリーズを改めて読むと、
「物事は考え方」と書いてある。
どんな商品や作品もないよりはあったほうがいい。
大切なことは「あったほうがいい」理由ってなんだろう?
そこを頭を使って、体験して見つけることなんだ。
人は生き方に(環境や文化、知識など)によって評価が違う。
100人中100人が「最悪」評価を下す確率など、めったにない。
だから高い評価があれば、低いものがあってもよい。
加賀田晃さんの「押し売り・今の時代じゃ通用しない・犯罪指南書」
と低い評価を受けている営業マンシリーズ。
低すぎる理由があるから
「ああ、この本を購入したら自分は犯罪者入門になるのかなあ~」
こんな考えも確かにある。
でも「良い事探しをして紹介していけばいいんだな」
「読者が抱えているであろう悩みを深く考えて上げ、
解決するための手段を紹介してあげればいいんだな」
物事をどう考えるかにより、結末は変わっていきます。
結末が変わると自分の考え方や物事の視点も変わる。
すると、行動につながって生き方も変わる。
結局、自分の人生にどう活かすのか?
本を読むとき、ここが一番問われると考えているよ。
私は営業マンじゃないよ

加賀田晃さんの営業マンシリーズを購入した理由は、
「商品の必要性」を学びたかったから。
私は営業マンとして仕事をしたことはありません。
ただ、営業じゃない視点で考えると……
例えば目の前にいる素敵な女性と親密になったとき、
私も加賀田さんのようなやり方をしていましたね。
冷静に見ると強引な手法なんだけど、
「相手が楽しくなるため」には自分から話しかける。
同時に相手が話しかけたら、聞いて共感し、感動してあげる。
振り返ると、自分の生き方と加賀田晃さんの生き方はつながっているんだね。
ということは、自分を客観視するために彼の本を購入したのかなあ。
しゃしゃがある本を購入したとき、自分の性格や行動を振り返ってみて。
もしかすると「自分」が著者の中に存在するかもしれないよ。
相手の話に感動「してあげる」
※ イタリアにーさんのナンパ | パーコ [pixiv]より
「する」じゃない、「してあげる」が大切。
してあげるとき、大げさかつほめると相手には悟られない。
相手が悟ったら反応を変えていけばよい。
実際に話をすると分かると思うのですが、
相手が「私をほめて」と暗ににおわせる発言をしたとき、
きちんとほめて驚いてあげると、相手は喜んでくれるのです。
そこを「は? それがどうした?」喧嘩腰になると、相手のコミュニケーションは断絶します。
「こいつ(喧嘩腰で返したしゃしゃ)は自分の自慢しかしない、嫌な奴」とみられるのだ。
それに「あんた何を言っている? こいつは馬鹿か」
呆れながら聞くということは、相手を見下す行為でもある。
相手と親密にならない方法であり、対立したくないならやってはいけない。
「いや、すごいね」「どうしてそう思ったの」
相手の関心をぐいぐい引き受けることで、より親密になっていくのだ。
なお、なぜ感動はするのでなくしてあげるなのか?
相手の話は分かるようでよくわからないからです。
文化や環境は人によって違います。当然、そこから得られる「体験」だって違う。
体験はある程度までしか共有できない。
だから相手の話は自分と完全に交わることがないから、
大体の部分でしか感動できないのです。
結び:どう受け取るかが大切
物事は中立だ。ただどう解釈するかによって、人生は分かれる。
しゃしゃが今持っている道具、本、そのほか……
どう解釈するかで生き方が変わると考えている。
少しでも生き方を変えるなら、「良いほう」に考えてみるといいよ。
でも相手を変えるのでなく、あくまでも変わるのは自分の心。
自分が変われば確実に物事の観方や生き方も変わるよ。
じゃあまたね、しゃしゃ。
追記:営業マンシリーズを読むなら
商品のリンク先はアマゾンだよ。
