
おはよう、しゃしゃ。
三つ子の魂百までということわざがある。
生まれたときから三つ数えるまでに、
親としての様々な教育によって子供の生き方がわかれる意味だ。
三つ子とは0歳から数えはじめ1歳2歳までを示す。
1歳から数え始めるのではない。
現在、うちの姉に2歳となる甥っ子がおり、
甥っ子はよく仕事場に現れ、一緒にYOUTUBEを見る。
甥っ子はポンキッキの「ふねがゆく」や「はたらくくるま」
「のりたいでんしゃ」など乗り物系の歌をこよなく愛し、
私も仕事そっちのけで一緒に口ずさんでいるよ。
(仕事にならず、必ず一時中断する)
甥っ子が私の体にもたれてぐっしりねるとかわいい!
さて子育ては本当に愛情がポイントである。
大げさでいいからきちんと愛情を注ぐ。
子供を抱く、なでるといった大人としての器が求められる。
子供と同じ目線に合わせると虐待や育児怠惰を始めてしまう。
数えて3つになったのでネットをぶらーッと調べると、
三歳児への学習教材などがあって、ちょっと驚いた。
今日は三歳と学習について語りたい。
幼稚園や保育園など積極的に人の中に入る
今は武漢発の新型コロナウイルスによって、
保育園や幼稚園であっても一部制限がなされているけれど……
保育園や幼稚園など週一で遊べる機会がある(※有料)。
お金を払って人の輪に入る。
子供にとって主に出会う相手は大人であり、
近い年齢の兄弟姉妹がいない限り一人っ子だ。
保育園など同年代の子と接する場所が保育園であり、
子供にとっては「自分以外で同じ部類」からいろいろ学ぶ。
おもちゃの使い方や遊び方、そして同年代と遊ぶ良さなど。
人の輪に入る行為が大人になったとき、いろんな人の輪にビビらず溶け込める。
親の介入はほとんどない。
むしろ子供が自分で考えるために放置すらしていいと考えている。
子供がいじめられたorいじめられる!

さて子供がいじめられそうになった、あるいはいじめられた場合、
親として子供に何を伝えてあげたらいいのだろう。
親としては先生にクレームを伝えて先生に何とかしてもらう方法が、
一番単純な解決法に見えるけれど……
いじめこそ親として言わねばならぬ発言がある。
親だけでなく、おじさんおばさんおじいちゃんおばあちゃんなど、
大人としてきちんと言ってあげねばならない。
相手はお前と同じ人間で特に強くもない。
相手と戦え、ビビることはない。
相手と対峙する前から「自分は弱い」と感じてしまうから、
いじめが助長するし苦しい生き方を送ってしまう。
次に被害者意識や自己否定意識など大人になっても苦しむ意識を植え付けてしまう。
くわえて「自分は弱い」意識がストレスをため、結果として「誰かをいじめて」しまう。
だからこそ親を含む大人の役目は一つ。
「お前は強いんだよ、あいつと同じ、対等なんだよ」を伝えてあげる。
相手の頭の良さ、収入などは関係ない。
服を脱げばみんな同じだ。相手がマッチョだろうと心は同じだ。
何より相手も自分も「同じヒト」として生きている。
「相手も強くない、お前と同じ人間だ」と伝える。
「相手も弱い」と伝えるといじめ加害者につながりかねない。
言葉は行動に影響を与えるからね。
もちろん親はきちんと言わなければならない。親の役目だ。
先生にいじめを解決してもらうだけでなく、
親としても「あいつ(いじめたガキ)とお前は同じ人間だ」
対等なんだよ!と伝えなければならない。
「知らない間」に植え付けられた洗脳を親として解いてあげる。
三歳児への学習教材は親と一緒に
三歳の学習教材として有料の教材もいいのだけど……
親の学習次第であらゆるものが教材になる。
例えばYOUTUBEだと自分は甥っ子や娘(当時3歳)たちに、
音楽を入れて一緒に歌っている。
一緒に歌うというところがポイントであり、
歌を通して子供に「言葉、単語」を覚えさせる。
例えば消防車という単語に対して言葉だけを覚えても意味がない。
消防車の画像(動画)を見せて「あれが消防車」と、言葉が何を示すかを伝える。
また外を歩いたとき、桜やセミなどを指さして、
「ほら、あれはセミだよ、一週間しか生きられないんだよ」など、
いろんなものを見て育った親だからこそ、教えられる言葉がある。
もちろん親の教えはすべてがあっているわけではない。
だからこそ親としても子供と一緒に学ぶ姿勢が重要だ。
親子で仲良く実験♪

親子で実験するのもいい。
もちろん子供は何が危険かわからないので、親として必ずそばにいなければならない。
簡単な実験として銅線と電池を用意してつなげる。
すると銅線がだんだん温かくなっていく。
親だからこそすべて分かっているようで実はわかっていない。
なので親としても「ああ、こんな気づきがあるとは!」勉強になる。
親だからこそ勉強しなくていいのでなく、
むしろ親であるからこそ身近な実験に感動しないと、
自分の今後の生き方においても感動のない日々を送ってしまう。
感動なき日々はたんたんとした日常であり、
すぐそばに眠っている何かしらのチャンスを見逃しやすい。
「あらゆる部分に感動が眠っている」
親子での遊びを通し気づくのが一番の目的だ……って、
三歳児への学習がいつの間にか親の学習になっているね。
共に学び気づく姿こそ学習習慣をつける一番の方法だ。
おもちゃを使って遊ぶ場合

おもちゃを使って遊ぶ場合、親としてできることは新たな遊びだ。
子供は基本、早く大人になりたいと願い行動する。
いろんな経験を経て育った大人として、
現時点で子供が気づかないような遊びの仕方を率先し、
子供が「やりたい」と思わせるようにする。
もちろん犯罪や危険行為につながる遊びはなしよ。
大人だからこそ最低限の倫理を必ず守るように!
おもちゃなんだけど……1年もたつと以前使ったおもちゃを、
あまり使わなくなる傾向が高い。
捨てるのもなんかなあ……思ったとき、
おもちゃのレンタルサービスがあると分かった。
「おもちゃをなるべく買いたくない。
おもちゃに愛着を持ってしまい、なるべく捨てたくもない」や
「おもちゃ一つで子供の頭がよくなればなあ……」

思ったらこちらのサービスを使うといい。
おもちゃで遊ぶだけでなく返却もあるので、捨てるという行為にためらいすら生じない。
何しろ捨てるのでなく返すだから。
さらにこちらでは子供の創造を育てるおもちゃがあり、
親と一緒に遊ぶとさらに発想が豊かになるよ。
おもちゃレンタル:「おもちゃコンシェルジュ」が個別プランニング【キッズ・ラボラトリー】
日記:子供と親の学習作業

創造豊かな子供に育ったせいか、
子供は段ボールを使ってモノを作るようになった。
またホットケーキを用いてクッキーを作るようになった。
子供にとっての世界は段ボールだろうと本物であり、
現在私が作っているゲームも子供の創作も同じだ。
遊びと学習はセットであり、必ずしもお受験が勉強ではない。
親として気づいてあげる生き方こそ子供にとっての学習だ。
親として何かしらの軽い企画を立てて形にする。
そのうち子供が勝手に企画を立てて遊ぶようになる。
遊びの一部は親として怒ってしまうこともあるけれど……
子供がおもちゃを使って遊ぶ行為は「企画→実行」だ。
大人になっても「企画を立てて形にする」のと同じであり、
子供はやっぱり遊びが一番大人として役立つよ。
遊びは一人だけでなく集団に入って遊ぶ。
同年代の子たちと遊ぶと気軽に人と接し他力本願な人になれる。
自力じゃ無理な部分を他力を使って補う。
頭の良い言生き方というよりは効率悪くても、
人を愛し愛される生き方が一番だと私は思っているよ。
