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平岡克朗容疑者のソ連国旗から、太平洋戦争時の米国スパイを語る

おはよう、しゃしゃ。
1941年12月8日は真珠湾攻撃がはじまり、太平洋戦争が開始された日だ。
小説のネタとして、同時に物事を客観視する訓練として、
戦争の背後にある物語を知ることは大切だ。

ところで昨日さ、沖縄の米軍機にレーザーポインターを照射し、
墜落させようとした容疑で写真家の平岡克朗容疑者が逮捕されたよ。
彼は旧ソ連国旗を掲げ、日中と日露友好を唱えていた。

そこで、今回は第二次大戦時のソ連に焦点を当てたい。
あるメールマガジンの中に「スターリンが日米戦争を仕掛けた」
というタイトルがあり、色々調べたら驚いたよ。

 

真珠湾攻撃の裏側

原爆

日本は米国に宣戦布告を発表してから攻撃するつもりだった。
「宣戦布告するから米国に伝えておけ」とお偉いさんが外務省に命令した。
しかしその日、パーティーがあって宣戦布告を出すの忘れたんだそうだ。
(日本史の参考書には日本大使館の作業遅延と書いてある)

それで米国はびっくり、日本が勝手に攻撃を仕掛けてきた。
まさに日本によるテロ行為が行われた。
世論は「リメンバーパールハーバー」という合言葉で盛り上がった。

1941年12月8日、ハワイにある真珠湾で起きたお話だ。
日本が戦争せざるを得なかった原因は石油輸出を米国らにストップされた。

なお、フォロワー加藤さんのつぶやきによると、
大正時代からすでに日本の暗号を解読されていたそうです。
また、大リーグ時に日本の情報をこれでもかともっていき、準備してやられた。
国際法を無視して東京大空襲を行った。

 

ルーズベルトの周りはソ連のスパイ

ルーズベルト

フランクリン・ルーズベルト大統領がいる。
ニューディール政策により、米国が発端で起きた世界同時不況に対し、
ケインズ政策をとって、不況から脱出した大統領だ。

米国大統領ランキングでも5位に入るなど、米国内の人気は高い。

経済の評価はある一方で、彼は民主党出身だった。
引用するメルマガ記事の中にこう書いてあった。

「アメリカはホワイト・ハウスの国益よりクレムリンの利益を優先した」
クレムリン:ロシア連邦の首都モスクワ市にある旧ロシア帝国の宮殿
当時のソ連はスターリン体制が敷かれ、独裁状態だった。
また、コミンテルンといういわば共産党を目指す組織が暗躍していた。

コミンテルンは資本主義経済を壊し、
共産党による一党独裁政治を作ることが目的。
とにかく資本主義国だった米国と日本が邪魔だった。

1995年に公開されたヴェノナ文書において、
ルーズベルト大統領の周りには2200人ものコミンテルンがいた。
彼らは米国官僚として仕事をしながら、
一方では共産化を進めるための政策を裏から回していた。

ルーズベルト大統領自身も共産主義に対する親近感があったとのこと。
特に夫人が共産主義に傾倒していたそうだ。
(彼女はあくまでも自由主義者で敵国であっても人権を考慮していた。
特に1948年の世界人権宣言に大きくかかわる女性で驚いた)

日米開戦のきっかけを与えたとされる、ハルノート製作者も、
実はコミンテルンの一人だったことがわかっている。

もちろん、ソ連スパイの親玉はスターリン。
彼が裏で日米を戦争へもっていき、資本主義国同士で疲弊する間、
力を蓄えて共産主義国として一気に世界の座を取ろうとしたわけだ。

引用記事:スターリンが仕組んだ日米戦争
参照:エレノア・ルーズベルトのやばさ

 

マーシャルという働き者

マーシャルプラン

マーシャルプランという言葉を聞いたことはない?
1947年、戦争で疲弊した西欧諸国に対して、
共産主義の進出を防ぐために経済援助支出対策を行った計画書
国務長官、ジョージ・マーシャルの名にちなんで、「マーシャルプラン」という言葉ができた。

問題は彼が日本が和平の道を突き進んでいるという事実を、
ルーズベルト大統領に一切知らせず、

「日本が有利になってきている、
ソ連の参戦を促さないと米国はタコ殴りにされる」

嘘を伝えたんだそうだ。

ヤルタ会談

また日本が降伏する前に米英ソで開かれたヤルタ会談。
1945年2月に開かれた秘密協定で、
日本のみならず、中国や東欧諸国の同意もなしに、
北方領土を含んだ領土をもらう密約を受けていた。

ルーズベルトはソ連の政策を裏で支援し、
イギリスのチャーチルは平和かつ理想主義者。
軍人のようなリアリストはスターリンしかいなかった。
ヤルタ会談はスターリンとコミンテルンの思うがまま、話が進んでいった。

日本が負けたとはっきり分かった後、ソ連は大きな存在となっていた。
(なお、大統領は病死したルーズベルトからトルーマンに変更)

スパイでない純粋な米国議員らは焦った。
知らない間にソ連の存在が大きくなっていたからだ。

でも米国にいるスパイは喜んだ。
日米が争っている間にほとんど戦地となっていなかったソ連にとって、
領土を増やし、経済でも米国を打ち倒すチャンスができたからだ。

マーシャルも裏では日本や中国を含む極東地方の共産化を目指していた。
資本主義を守りたい国からすると、凶悪な敵だけど、
共産主義を推進したい国からすると、頼もしい仲間だ。

参照:共産中国はアメリカがつくった

 

マーシャルと沖縄県の翁長知事の違い

竜中

沖縄県の翁長知事は中国に媚を売っている。
青山繁晴さんいわく、万が一沖縄が独立したとする。
その時、彼は琉球王としてのポストを中国から約束されているそうだ。

中国では自国のために働く他国民を最も警戒する。
何しろいつ裏切りにあってもおかしくないからね。

さて、彼は辺野古基地問題には躍起になっているが、
驚くほどに沖縄県知事としての仕事はほとんどしていない。

マーシャルの行動を読み直してほしい。
彼は「米国の軍人」として仕事をこなしながら、裏ではソ連のためにも活動していた。

自国の仕事をきちんとこなして、裏でスパイ活動を行っているんだ。
恐ろしいと私は思う、しゃしゃはどう?
一方で翁長知事は「沖縄県知事」としての仕事業績が耳に入らない。
彼はわかりやすいんだよねえ……。

参照:翁長知事って知事としての仕事をしているの?

 

マッカーサーと朝鮮戦争と共産化

マッカーサー

朝鮮戦争は1950年に始まった。
この戦争で日本は特需を得て、経済で後にアメリカを脅かす存在となった。
とはいえ、共産主義という視点から見ると、
朝鮮戦争もまた「極東の共産化」を目指すうえで大切な仕事だった。

本来は朝鮮全土が共産化される予定だった。
(現在のパクネ将軍が行おうとする政策を見ると、
韓国は進んで共産化を目指そうとしているね)

その後、日本の共産化も時間の問題であり、
朝鮮半島攻略後にじっくり行われる予定だった。

でも、彼らのたくらみに気づいたマッカーサーや日本人らが、
何とかして朝鮮半島の「共産化」を半分阻止した。

なお、マッカーサーも戦局を見誤っていた。
中国の本土介入はないと当初思っていた。

トルーマンは中国と争うことになれば、ソ連とも大規模な戦いになる。
加えて彼も裏ではソ連のスパイだったらしく、
マッカーサーの行動は共産主義を阻止する存在として、認識したそうだ。
よってマッカーサーは解任された。

(教科書では「中国領への爆撃と原爆投下を主張」するマッカーサーと、
それをやめたいトルーマン大統領が意見の食い違いから、彼を解任)

参照;
教科書が教えない歴史:大東亜戦争
誤算を犯したのはマッカーサー? トルーマン?

 

マッカーシズム(米国赤狩り運動)

マッカーシズム

1945年、米国内で反共産主義を掲げた社会運動が起きる。
ジョセフ・レイモンド・マッカーシー議員がマーシャルをはじめとして、
様々な米国共産党ことソ連のスパイをあぶりだしていった。

政治家に限らず芸能人や軍人と幅を広げすぎたせいか、反発を食らって終焉となりました。
この時代、もしマッカーシズムをやっていなければ、
米国は共産党の手に落ちていたんだろうか?

なお、共産党関連として、
中国共産党が「中華系」の米国大統領を登場させようと活動している。
オバマ大統領(初の黒人大統領)が出て、カリフォルニアは中華系の市長がいる。
中国の目論見通り、動く確率は高い。だって民主党だもん。

12月15日の虎ノ門ニュース火曜日にて、真珠湾攻撃の話をしていたところ、
マッカーシー議員が上記ツイートのようなやり方を行い、
裁判で負けてつぶされてしまったのですね…。

 

ソ連崩壊までの簡単な道のり

ベルリンの壁崩壊

日本人として見ると、ルーズベルトやスターリンには腹が立つ。
同時に驚く。ルーズベルトの周りは情報ダダ漏れじゃないかと。
米国はソ連の操り人形だったという話に確信を持ったと同時に、
ソ連は国を簡単に動かせるほど、人間を操る能力はたけていた。

しかもマーシャルはノーベル平和賞までもらうというおまけつき。
米国のために働きながら、一方でソ連のためにも働く凄腕スパイ。
マーシャルのような人物を採用したら、
スパイである危険性が高い一方で、有能な働き者として賞賛を受けますね。

しかし、敵国を操るほどの有能なソ連がなぜ崩壊したのか?

アフガニスタン

1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻した。
81年にレーガン政権(共和党)が登場すると、
強いアメリカをスローガンに掲げて、ソ連の軍拡に対抗。

ソ連がちょっとでも脅しをかけてくれば、米国はすぐさま「倍返し」すると宣言。

他にアフガニスタン侵攻を行ったものの、
兵士らが行う攻撃にやられ、制圧できずに軍事費が増大した。
加えてレーガンは石油規制緩和を打ち出し、石油価格を下落させた。
おや、現在のロシアと似た状態になっているね。

ゴルバチョフ

軍事と経済両方で追いつめられたソ連。
ゴルバチョフ書記長になってから、
ペレストロイカ(政治改革)+グラスノスチ(情報公開)を行う。

情報公開することで自由+民主化の波がソ連に訪れ、
1991年に一度ソ連保守派(共産党)によるクーデターが起きたんだけど、
エリツィンら改革派の前に敗れ去る。

保守派を指導していたのがゴルバチョフの側近だったから、
ゴルバチョフはここで共産党を解体したわけ。

加えてベルリンの壁崩壊もありました。
ベルリンの壁は東(ソ連側)と西(米国側)を分けた壁。
ソ連を象徴する壁が崩れ去ったことにより、
国としての力がなくなってしまったことを意味するんだ。

参照:ソ連消滅はいかに実現されたのか。

 

戦いの裏で絵図を描く存在

スターリン

メールマガジンを通し、改めて米国とソ連の関係を見ていった。
争っているようで実は、米国内はソ連のスパイに満たされていた。
日本にも親中派はいるし、米国も国務省ほど親中派が多いと聞く。

日本は親中派さえすべて潰してしまえば問題ない。
といった単純思考で割り切れないから大変だ。
武力の前にまず「情報」による戦争が起きている。

米国なんて中国からしょっちゅうサイバー攻撃を受けている。
今、米中は南シナ海で武力すれすれの攻防が起きているけれど、
仮に米国内に当時のソ連と同じ状況――共産党スパイ――だったら、
争っているように見えて、影で日本を封じ込めようとしているんじゃ?

日本は石油など米国が海路を封鎖して戦争せざるを得なくなった。
その絵図を描いていたとされるスターリン。
歴史を長々書いてきたけれど、戦う当事者の裏で絵図を描く存在がいる。
そこを見抜かないと、私たちはいいように踊らされるね。

 

スターリンが義兄の操り人形?

虎ノ門ニュースで真珠湾に関する意見を述べて、
私もコミンテルンに関するツイートを出したところ、
スターリンの義理の兄がソ連を動かしていたと書いていたのです。

そこでちょっと調べてみましたよ。
参照サイトによれば、義兄はスターリンによって粛清されたそうです。
それ以外、情報がなかった…。

大戦前の1929年あたりですね。世界恐慌が始まった年ですね。
スターリンの粛清によって、身内もろとも処罰されて、独裁政権を確立させるに至った。

スターリンは妻子含めて心を開くことはなかったそうで、極度の人間不信を抱えていた。
一方で権力に対する執着は強く、国際法を無視して様々な領土を得ようとしていた。
なお、彼は常に暗殺者の影におびえており、孤独な死を迎えています。

参照:スターリンという男

 

平岡克朗容疑者の影にソ連

ここまで第二次大戦時における、ソ連の動きを見てきた。
米軍機にレーザーポインターを照射し、墜落させようとして、
写真家・平岡克朗容疑者が逮捕された。

平岡容疑者のTシャツ画像が「私は米国にとってテロリスト」
どこで販売されているのでしょうかねえ……。

ソ連

それは置いとき、ソ連国旗を掲げているところがポイント。
ロシアじゃないのです。ソ連は徹底した共産主義で、
コミンテルンといったスパイが世界を裏から操作する。

ソ連はスターリンがなくなってから少しずつ共産主義が緩和された。
彼が好むソ連はスターリン独裁政権時代だろう。

ソ連とロシア国旗の違い

※ フランス国旗とロシア国旗ってかなり似ている。

なお、彼は威力業務妨害(人の業務を妨害した罪)で逮捕された。
輸送機「オスプレイは危険」と思っているそうだけど、
レーザーポインターを当てて墜落させようとするほうが恐ろしいし、
沖縄を戦地にさせたいのかしら?

日米同盟反対は別にいいんだけど、平和といっておきながら、
災いを呼ぼうとする行為は許されたものじゃない。

 

結びに:一つの事例として考えてね

「世界を共産国に」掲げるコミンテルンはいろんなノウハウを世界に提供した。
彼らのやり方を一つでも知っておかないと、また同じ過ちを繰り返し、
日本が持っている自由や権利、保障をどんどん束縛されていく。

勉強しておいてよかったよ。
長かったけど、ここまで読んでいただきありがとう。またね、しゃしゃ。

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プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。