今現在、ティラノスクリプトと吉里吉里の違いを見せつけられて、
どうしたらいいかわからないまま進んでいる中、書いている時にこう考えると面白いよなあということがありました。
それが「本を読む少年」と「作品で登場する少年」の違いです。
本を読む少年は基本、ただ読んで頭の中で本の中に出てくる人物がどんな状態なのかを
妄想していくだけですが、作品で登場する少年は違います。
彼らは基本考えながら動いています。
本を読んでいる人は「こうしたらいいのに」「ああしたほうがいいのに」
と、本の中にいる人物に向かって、時々突っ込むこともあります。
もっとも声に出せなくてもただやれることは声を出すだけである。
「こうしたほうがもっと面白いのに」「ああしたほうが面白いのになぜこんな展開に」
そうやって今度は今、ここを呼んでいるあなたに目を向けましょう。
あるいは私でもいい。
私は今、記事をこうして書いています。
でも現実でこうして記事を書いている私が実は小説の中で
「彼は今、ブログに記事を投稿している」と、一言で片づけられて、読者がそれを見る。
読者が別の世界からそれを見ている。
そうやって自分という存在を考えると何が見えてくるんだろう?
ちょっと面白いと思わないでしょうか?
ちなみにこれを自分の作品に持ち込んで話を書いているのですが
いかんせん、どうやってそれを伝えていけばいいか試行錯誤です。
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