自分を通して描いた作品というものにおいて、一番厄介なのが昔の自分です。
どういうことかといいますと、「当時これを書いた自分はどんな目的でこんな展開にしたのだろう」
と、あの頃の自分は何が狙いでこんな脚本にしたのか、それを探っていくことです。
で、それをまとめることによってまた一つ、新しい事実が浮かび上がっていきます。
毎日追いかけなければならないのは「作品を作った同期」というもの。
これは最初は「名誉のため」「自分がやりたいから」といった理由なのですが、
だんだんと追及しているうちに{世の中の真実を知ってもらいたいため」
「自分にとって●●という部分を徹底的に掘り下げて魅力を楽しみたいため」
といった形で、結局問われているのは己の人生ということになります。
さて、今書いている作品で自分の中で曖昧だったもの。
それは「天才」の定義です。
天才ってのは多くの人にとって「それ難しいわ」といえることに対してそつなくできる人です。
例えば自分は数学が苦手なのに、隣の高島さんは数学をすらすらできる。
この違いの一つに得意、好きというのがあります。
心理的な抵抗ですね。これがあるかないかが天才の一つの定義となっています。
しかしそれ以上に自分はこういう定義を持っています。
それは「夢」の中で数学の問題を解きまくっている。
そして現実にその影響が及んでしまう。
だから「他人以上」に「夢の中」で数学を何問もといている。
しかし、他人は夢の中で数学をといていない。
ただそれだけの違いであると。
じゃあどうやったら夢の中でそれができるか。もちろん好きで寝るときもそのことばかり考える。
すなわち、寝ている時も「数学」のことを考えることによって、夢の中でやるのかなと。
ま、これは科学的根拠が一切ないものですけれど、これが仮に真実だとしたら面白いなあと。
天才は夢の中で過酷で楽しいトレーニングを積んでいる者のことである。
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