なぜ民新党でなく民進党に民主+維新は改名したのかを考察
民主+維新が新しい政党名「民進党」に変わった。台湾の民主進歩党の略称である民進党と同じで、すでにクレームがついている(一方で日本の有田議員は「偉そうに」と不満を述べている)。民進党に代わって安倍政権を倒すことを目的にするそうだが、なぜ民新にしなかった?
民主+維新が新しい政党名「民進党」に変わった。台湾の民主進歩党の略称である民進党と同じで、すでにクレームがついている(一方で日本の有田議員は「偉そうに」と不満を述べている)。民進党に代わって安倍政権を倒すことを目的にするそうだが、なぜ民新にしなかった?
私にはあるコンサルタントの知り合いがいます。彼から家族の前で色々と否定されました。忠告と内容が違うため、思ったのです。「ああ、この人の価値観が自分の中で崩壊した」上司・コンサルタント・宗教の教祖にとって自分の存在は高いほうがいい、でもそれを失う言動が簡単。
今日、フィリピンで日本語教師を務めるセミナーに足を運んだ。英語上達に関するヒントを述べていた。英語や英会話はどうすれば上達するのか。まず日本と外国の違いを明らかにせねばならない。日本はがちがちに固い。対して英語を使う人はラフだ。すなわち
9日の話になる。中国全人代で金融関係のお偉いさんが述べた。「株を購入してくれ、売却しないでくれ」しかし上海総合は見事に売却する人が多く、株価が落ちた。気になったのは懇願する発言をしたところで、世の中は何も変わらなかったという事実だ。身近なものに置き換えると
山尾志桜里議員の「保育園落ちた、日本死ね」発言に対して平沢勝栄議員がヤジを飛ばし、羽鳥慎一モーニングショーにて弁解を行った。すると討論バトルに代わり、デイリースポーツにていつの間にか「問題ヤジの平沢議員」と書いてある。ヤジはほかの議員も出しているが、
PDCAサイクルがツイッタートレンドに載っていた。そこでPDCAサイクルについて改めて考える。私の行動はPDCAよりDCPAだと思う。特に「これをやってもし最悪な未来が訪れたらどうしよう」未来のことについて不安に悩む人ほど、初めに実行して失敗してから考えたほうがいい。
国連女子差別撤廃委員が「男系男子による天皇は女性への差別」と述べ、日本側がすぐ抗議した。国連は中国や韓国の手に落ちているという現実と共に、日本側がきっちり反論してくれてよかったと心から考える。「別に叙景や女性でもいいんじゃ」と思ったら実は
オポノポノを久しぶりに読んだ。潜在意識の記憶とインスピレーションの違いが徐々に分かってきた。体で理解するまで1年以上はかけた。本質はクリーニングと潜在意識の記憶とインスピレーション。特に難しいことは語っていない。だからこそ間違いやすく惑わされやすい。
虎の門ニュースにて、民主と維新の公募について取り上げられていた。彼らは自分の党名をなぜ公募という形にしたのか。一つは選挙対策だ。私たちは国民を見ていますよという印象を付ける。しかし別の視点から見ると、「怖い」じゃないかと思った、すなわち
3月の大きな風は「おはスタ山ちゃん卒業」だった。4月はどの芸能人が大きな話題をかっさらうのだろう…ではなく、19年もおはスタ司会を務めていた山寺宏一氏が番組を卒業(降板)する。「世の中の流れ」として捉えると、山ちゃん卒業がこれから先、私たちに何を意味するのか考察した。
万年筆を購入しようと決めたんだけど、親などから「万年筆なんて値段が高いだけで、作家にでもならなければ無駄な買い物だ。ペンなんていくらでもあるし安い者でも十分じゃない」言われたら、心がショックを受ける。そんな時に読むといい話を一つしたい。結論から言うと
16歳の教科書という本を購入した。私は30代半ばのおっさんだ。16歳向けの本を購入して良かったのだろうか?読むと16歳向けに見えて30代のおっさんが読むとむしろ勉強になる内容だった。特に挫折を味わった時、再起するために勉強は必須の手段となっていくよ。
中国全人代がニコ生で放送していた。共産党員の顔を見ていると、女性は「興奮・エネルギー」をもたらす赤や黄色の服を着て参加していた。一方男性はスーツだらけだった、その中に「おでこがハゲている」人が多いと気づいた。ストレスたまる職業なんだね。そこで禿を見ていくと
一週間フレンズに続いて、次は氷菓実写化か。アニメから実写に入るとどうしても「アニメ」の人物を思い描き、比較してしまう。反対もまたしかりで、実写を見てからアニメを見ると、「うわあ、大げさすぎて気持ち悪い」考えるだろう。アニメと実写の違いについて考察してみたよ。
朝日新聞で「トイレをつまらせろ」という記事が流れた。政権批判をするためにトイレに例えて話を語る。記事を読むと品のなさだけでなく、「どうしてもある方向に誘導したいんだなあ」感じた。一方でテロリストがいる、彼らの仕事は無差別殺害ではない、殺害は手段であり目的は