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山口あずさ(反原発はい人)氏作”君が代原爆Ver替え歌”を評価

おはよう、しゃしゃ。
痛いニュースで話題になった記事がある。

反原発はい人の山口あずささんが、
君が代の原爆バージョンを替え歌として作ったよ。
(君が代は著作権がないから、歌詞を載せられる)

一人の創造者として、ニュースに取り上げられた事実から、
何が見えてくるかを考えつつ、歌詞を評価したよ。

 

めぇだぁまぁはあ

歌詞はすべて「ひらがな」で書かれている。
山口あずさと原発ゼロにする会として……

君が代 原爆投下バージョン

めぇだぁまぁはあ
とびでぇ ちぎれぇ
ひふは はがれ
やけのとなぁりてぇ
こけのぉむぅすぅまぁあでぇ

勝手に漢字を使って置き換えてみたよ。

目玉は
飛び出てちぎれ
皮膚は剥がれ
焼野となりて
苔(焦げ?)の蒸すまで

※ 山口さんによると、
「とびぇでぇ→千代に」「ちぎれぇ→八千代に」を意味する。

歌詞元:フェイスブックのページより

君が代の歌詞はこちら。

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで

記事:反原発俳人が君が代原爆バージョンを発表

※ 君が代に込められた意味、
「みんなで困難に立ち向かい、結束し、平和な世を創りましょう」

原爆が投下された場合、本当にこういう形でなくなるかわからない。
(目玉が爆風で飛び出るかどうかもわからぬ。
飛び出る前に蒸発するだろと)

皮膚ははがれるよりも、
目玉が飛び出るという部分に恐ろしさを感じるよ。

君が代を通して「子供っぽい」行為で遊んでいるが、
いい大人が「お前のう○ち、臭い」言って笑うのと同じだ。

反原発デモがあったとき、まさか歌わないよね。

目玉は めはあ

小文字で書いている表現を見ると、
歌詞を見た人に呪いでもかけているのか?
突っ込んでしまうよ。

漫画でよく呪ってやると意思を持ったお化けが、
はっきり言葉をしゃべらずに、低い声でうなる。
(最後が大文字な理由として「君が代は」に合わせているのだろう)

原爆を食らわせたやつに呪いをかけているのか、
原爆を受けて、近くから見てなにもしない人に対し、呪っているのか。

はたまた、原爆を食らって悲惨な状態になった人を、
「近くから」見て面白がっているだけなのか。

少なくとも悲しんでいるようには見えない。
むしろ原発に関わっている人をはじめ、
被ばくした人たちに対し、見下す心境さえ感じる。

もっと言うと、日本を再び焼け野原にさせたいの?
日本の価値を乏してめているように強く感じるよ。

日本の価値を自分で乏しめる言動は、
日本に住む日本人である「彼女自身」を乏しめ、
自分自身をもバカにしているわけだ。

インナーチャイルド(人の精神にいる内なる子供)からすると、
「これ以上、馬鹿にするのやめてくれ」泣き叫ぶよ。

 

原発と原爆

原子力発言と原子爆弾。
どちらも核融合反応によって生じたエネルギーから、
一方では電力を供給し、もう一方では爆弾を作る。

現時点では「原発」が電力供給として、
費用を抑えられ、たくさんの電気を供給できるから生み出されている。

火力、風力、水力、太陽光は環境に依存する。
私たちが「常に」一定の電力を受けるのも、
「核融合反応」によって生じたエネルギーを受け取っているからだ。

原発がゼロになったら、電力が平等に行き届かない。
「重要」なところには届くけれど、
「たいした重要でない」ところには届かない。

平等にならぬという事実から、
私たちが「自家発電」をしない限り、
いつどこで「電気が使えない」状況になってもおかしくはない。

結果、電気に関して「不平等」が生じる。
日本にとって水(公共)→ダイヤモンド(希少価値)に変わる。

電気に関する「貧富の差」が生まれやすい。

「自家発電をすりゃいいんじゃね?」
できる人は簡単にやるだろう。
ただ、メンテナンスに費やす代金が生じる。

多くの人にとって自家発電が面倒だ。
なので電力会社に作業を分担させているわけ。

原発を完全になくしたい意見があるのはいいけれど、
「電力は平等に来ない→あなたの家に電気が届かない、
あなたが払う電気代がもっと高くなる」
未来も考えられるわけ。そうなる前にどう対応するの?

きちんと案があるならいいけれど、
ない場合で叫んでも「いざ」訪れた場合、どうするの?
政治家は国民に一定のルールを課す側だから、
その後」も考えてもらわなければ困るわけ。

……まさか原発ゼロにしても、今まで通り電力がいつもの値段、
いつも通りに電気を使用できる。なんて、考えていないよね?

参照:原発と原爆の違い

参考書:やまぐち健一の わくわく物理探検隊NEO 「電磁気・原子編」

 

呪いとタイミング

「人を呪わば穴二つ」
他人を呪っていたら、いつの間にか自分も呪われた。

私は彼女を呪うなんて、あほなことしないよ。
自分が呪われるもん。しゃしゃもやめよう。

ところで、山口さんについて参照記事によれば、
2011年の東日本大震災を通し、
反原発を通して政治活動に参加した。

反原発を掲げ、政治家になる人間が、
「被災者の気持ちを理解できぬ歌詞」を作った。

選挙活動中に歌詞が拡散されるけれど、
有権者にとって「票を入れない」理由の一つになるよ。
煽って「特定の人」から票を集める戦略なら、
「勝手にやって、人を馬鹿にしていれば」で済むんだけどさ。

参照:山口あずささんを政治家にするプロジェクト

 

輝かしいときに訪れる落とし穴

呪いは「最高のタイミング」にやってくる。
「最も輝かしい状況」で「足を引っ張る過去」が明らかになり、
対応に追われてしまいやすい。

例えば民進党代表の村田蓮舫さん。
米国民主党のヒラリーさん。

彼女たちは「最高のタイミング」で、
「自分の足を引っ張る情報」が生まれた。

他人の追求であっても、「自分の行為」に変わりはない
彼女も「最高のタイミング」で足を引っ張られる確率は高い。
どのように対応をとるのだろうか。

「過去の自分」に足を引っ張られたくないなら、
見下す、乏しめる、犯罪はしないでね。

 

脱線~プロフェッショナル~

昨日、家族がNHKのプロフェッショナルという番組を見ていた。
そこで「ねじ」を作っている道脇裕さんの話をしていた。

彼は小学校5年生から「人生とは何だろう」考え、
「自分はいい。みんなのために創造する」

母親がほめていたよ。
「私と見ている次元が違いすぎる」と。

自分の人生を何とかしたいと考える人は多い。
私もその一人だったが、だんだん苦しくなるんだ。

自分に捕らわれているから視野も狭いんじゃないかと。
だからこそ私は「みんな」という言葉を使った。

みんなの中に「私」も含まれているから。
みんなで成長し、強くなっていけばいいんじゃないか。
みんなの中で自分おできる行為をしていこうと。

「レベルが高い」というのは、
「自分」という存在を主に考えるのでなく、
「脇」として「みんな」を主役に置く理念だと考えたよ。

この考えが今後、必要となる。
ぜひしゃしゃの友人や知人に広めておいてね。
ほかならぬしゃしゃ自身のためにも。

 

自分をどう見ているか

つるされた少女人形

インスタグラムにてイラストを上げているよ。
道脇さんが述べた発言と、山口さんが作った君が代の替え歌。
二つの違いとして「自分」をどう扱っているか?

自分を「全体の一部」としてみているのか、
「常に自分が主役」としてみているのか。

現在、己が見ている場所によって、
「行為」一つにどのような責任が生じるのか。

私は彼女が行った行為を通し、
「しゃしゃも彼女と似た行為」をして炎上されるのを防ぎたい。

「今」自分の態度を振り返らなければ、
「最高のタイミング」にて、過去の自分が足を引っ張るわけ。
本当はやりたいことがあるのに、過去の自分に足を引っ張られると、
まともにやりたいこともできないわけ。

引っ張る足を振りほどこうとしたら、余計強く引っ張ってくる。
(自分が犯した罪を無視して、他人を攻めるなど)

他人を批判する、馬鹿にする行為は簡単だけど、
そこに「お前はどうなんだ?」尋ねなければ、
いずれ自分自身が引っ張られる立場になってしまう。

しゃしゃが記事を通してどんな感想を抱こうとも勝手だけど、
必ず「じゃあ、自分はどうなんだ?」振り返り、
少しずつ己を磨いていこう。

 

おまけ:カレーライス
カレーライス

昨日、カレーライス専門店のインディアンカレーという場所で、
野菜カレーを食べてきた。

家で作るカレーライスはジャガイモやニンジンを入れている。
けれどお店で食べるカレーライスは「野菜カレー」を注文しないと、
具だくさんの野菜が入ってこない。

近所にあるカレー店があったのだけど、つぶれたんだ。
理由は「カレールー」をケチったからだ。
カレーライス専門店における「本質」は「カレールー」だ。

値段を少し上げてでも、ルゥを増やしてほしかった。
お店の「本質」を変えたら、魅力がなくなる。
インディアンカレーはルゥがたっぷりあった。

おすすめは普通の味、辛口よりも普通がいい。

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。