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「私は数式アレルギーの文系でして」笑う大人から観る危機感

数学ガール ゲーデルの不完全性定理 | 茉崎ミユキ [pixiv] http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=18342320

※ 数学ガール ゲーデルの不完全性定理 | 茉崎ミユキ [pixiv]

おはよう、しゃしゃ。
今日は東京都知事選だね。今の日本国民が何を考えているか?
計る一つの目安だよ。

安倍総理は「小池百合子議員が勝つ」にらんでいるけれど、
実際にふたを開けないとわからない。

「次の時代を予測」したうえで「今できること」をやると、
次の時代に乗り遅れる確率は低くなる。

そのとき「数学(微分や確率など)」の考えが背後にあるんだ。

はてなブックマークで面白い話題が上がっていたよ。

 

私は数式アレルギーでして…

数学ガールの著者である結城浩さんが熱く語っていた。
文章を一部、引用しよう……その前に、

《数式アレルギー》という言葉を聞くたびに、お腹をノコギリで切られるような痛みを感じます。

「お腹をノコギリで切られるような痛み」は良いフレーズだ。
メモを取って、いつか似たフレーズを使いたい。

結城さんが痛みを感じる理由をまとめると、

「歴史の積み重ねとして『数式』がある。
世界の偉人が試行錯誤の上、培った『言語』だ。

なのに『アレルギー』の一言で『積み重ね』に目を向けず、
次世代にみっともない姿をさらすな。言葉をぞんざいに扱うな。

己の勉強不足を棚に上げ、文系ですからと言い訳を垂れ、
次世代の『知』を低下させるな。
自分が使える武器を磨け、武器とは言葉なり」

私は数式に対し、アレルギー反応はない。
何かの学問についてアレルギー反応を持つのは、
「興味がわかない、その分野を詳しく学んでいない」からだ。

勉強をすると、どんな分野でも「一定の」面白さを感じる。
そこから「さらに」面白さを見つけるか、見つけないかで、
人生の進路は分かれていくんだね。

いろんな考え、進むべき道があるからこそ、「助け合い」精神も生まれる。
お互いの不足部分を得意分野で埋めていくのだから。

引用:「私は数式アレルギーの文系でして」とへらへら笑う大人に耳を貸すな

 

言葉の遮断が招く未来

結城浩さんの怒りに対して、はてなブックマークコメントが多い。
そこから「今、どんな問題」が生じているのか?

例えばAさんが数式アレルギーだとする。
Aさんより「若い(次世代)」Bさんに対し、
「私は数式アレルギーだ。これ以上数学の話をしないでね」

Aさんが宣言をすると、話はそこで終わる。
数式に関する深い話に行きつかない。

結果、もしかしたら数式に興味を抱き、数学の世界に入り、
学んだ分野を「商売・芸術」に応用する、次世代の進歩を妨げる。

考えすぎと言われればそれまでだが、
年を取って「当事者意識」を抱くようになると、
「今」の世代が次を考えないで、今だけを考えると、進歩は止まる。

自分自身だってそうだ。
「ああ、もうわからないから、この話は終わり」
遮断をすると、深く追及する心を失う。

「追及するつもり」がないならそれでよいと考えている。
本当に追及すべき分野はすでにあり、人によって違うからね。

 

歴史とは教訓を身に着けることであり

ある人が「その時代、何があったのか」を正しく書いた。

「何があった?」には必ず「そうなる理由や行動」がある。
そこから「教訓」を次の世代へ渡す流れが伝統だ。

結果、前の教訓を受け継いで、次は同じことをしないから、
少しだけ「国民」のレベルが上がり、平和に近づいていく。

権力者にとって「知識ある連中」は使いやすく、邪魔でしかない。
権力者が愚かだと、知らない間に心理誘導され、
権力の座から降ろされるからだ。

そこで権力・自分だけの地位を守る手段として、
今まで培った伝統をなかったことにする。
例えば教えない、知る者は始末する。

すると、前世代から受け継いだ伝統やモラルがなくなり、
人から獣へと退化する。知識だって同じ。

「奪い合いこそ正義(戦争や奴隷他)」社会へ戻ってしまうのでは?
彼の文章に、この想いもあると考えている。

ブクマする人が多い理由の一つに、
私たちが現代社会における「潜在的な危機感」を、
結城さんが「数式アレルギー」という話題で表に出したからだと考えているよ。

コメントをサラッと読むと、それぞれの考えや生き方がつまっている。
しゃしゃはどう思うだろう。

 

伝統がわかれば勉強も面白くなる

勉強をするかどうかはしゃしゃの自由だ。
親として、子供と話をするとき、

「俺はその分野が苦手なの、一切その話をするな」
強引に遮断することは、大人としての無知をさらしつつ、
子供の将来を潰す行為だなと悟った。

私は子供に「イラストテクニック」を教えてもらっている。
子供の目線でないとわからない事実もあるからね。

関連:おっさんが6歳の子供から絵の講義を教わる

勉強が面白くなる方法の一つとして、
「それまでの経緯(歴史)」が「今」にどうつながっているのか?

その一つに「実験」がある。
商売なら、本日売れた商品に目を通し、明日も売れるのか?
今、雨が降っているから「傘」が売れるだろうか?

仮説を立てながら検証を繰り返すと、
少しずつ精度が上がり、未来も当てやすくなるよ。
実権も積み重ねである以上、歴史の一つだよ。

 

脱線:文学史の裏に日本史あり

「歴史」が「今」にどうつながるかの面白い例として、
アオイゼミの現代文でをかしな授業があったんだ。
(毎週水曜日、午後7時30分から)

「文学史」の成り立ちについて、光武講師がおっしゃった。
文学史といえば、ロマン派、写実主義……絵の世界でも聞く言葉だ。
ただ、整理されたものとしてキーワードが並べられているだけ。

点取りのためだけに暗記するのって辛いよね。

先生は現代文の授業で「日本史」を教えた。
(現代文は世界史や理科分野とも絡むので、
科学の成り立ちが『神様の解剖』と知ったとき、衝撃だった)

1868年ごろ、封建制度だった江戸時代から、
西欧の近代化に時代を合わせる手段として、明治維新が起きた。
宗教(神と仏は別)や生活(太陽暦、洋服など)にも大きな変化を与えた。

文明開化によって、西洋から「自由主義、人権思想、功利主義」がもたらされた。
功利主義:1750年あたりから、個人と社会の幸福における調和を図る思想。
現実かつ量のベンサム、理想かつ質のミルが有名。
功利主義が起きる前に、アダムスミスの自由放任経済が現れた。

明治になっても新政府は薩摩や長州など、一部の人たちしかなれない。
そこで「条件を満たすものなら誰でも議員になれる」
自由民権運動が広がり、1885年に内閣制度が作られた。

自由民権運動中に「主張する人が目指す社会」を詰めた形として、
「政治小説」が生まれたんだと。

そこからあるがままの人間をつかむ「写実主義」(二葉亭四迷など)
写実に反し、理想や夢を追求した「ロマン主義」(与謝野晶子など)
しがらみにとらわれず、タブーをも切り込んで、
ありのままを描く「自然主義」(島崎藤村など)

歴史の流れが人々の感情を揺り動かし、
「小説」という形で「次の時代・現代人の問題」を描き出した。

夏目漱石の「こころ」って作品があるよね。
明治天皇の崩御、乃木希典氏の自殺によって、
「先生」も自殺を決意する要因の一つとなった。

あの当時の大衆が抱いた気持ちを書いたから、
多くの人に共感を受けたのであり、
「2016年」だとあまり得られないと思うよ。

 

口コミと危機意識

口コミって言葉があるよね。ツイッターだと興味ある意見に対し、
RTを通して多くの人にも知っていただく行為だ。
(上記の本、カエルの楽園は口コミでベストセラーになったそうだ。
取り上げたメディアが一部だったと、百田さんが虎8で述べていた)

口コミが広まる原因の一つに「危機意識」があると、私は考えた。
知らないで過ごすデメリットを避け
知って将来の災いを避けるメリットを共有する
この考えは明治でも今でも変わらない。

今はいろんなニュースが流れているね。
そこには「どんな危機」が隠れているだろうか?

危機が分かったとき、しゃしゃはどうするか?
その行動こそ、口コミが起きる一つの要因じゃないか。

関連本:カエルの楽園

 

数式アレルギーと東京都知事選

28日

※ 7月28日に書いた記事、あるキーワードで調べる人多数

数学アレルギーが「今」の何を表すのか?
いろんな意見があると思う。

自分では気づかないところで本能が何かしらの危機感を見出している。
なので、反応しているわけだ。

冒頭で東京都知事選について触れたけれど、
「次の時代」は今までの生き方でよいのか?
世界の状況に合わせ、変えなければならないのか?

関連記事:東京都議連議長の内田茂氏はなぜ表に出された?

例えば過去に書いた記事として「内田茂さん」に関して思ったことを書いた。
すると数日で多くの人が彼の名前で検索を行った。

単なる興味本位ではない。

「現状における私たちの課題・生き方」が彼に詰まっているわけだ。

しゃしゃはどうだろう。「将来が悪い」考えた際、
どうすれば「良くない未来」をできるだけ避けられるのか?
自分の思想を鍛え、考えていこう。

小説は「未来を予測する一つの手段」として有効だよ。

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プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。