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全くあり得ない話を考えられないと「知の老化現象」につながる話

おはよう、しゃしゃ。時折家族と政治の話をする。
よく遊びに来る姉夫婦と話をしていた。

そのとき、舛添金銭問題の話題に入った。

私の母が述べた。
「舛添都知事は内閣総理大臣になりたかった」

そこで私がこんな仮定話をした。すると……

 

「それは全くあり得ない」で話を打ち切る

私「舛添さんが仮に内閣総理大臣になったら」
姉「それはあり得ない、あんたはあり得ない話をするから、
いつまでも現実が見えないし、人付き合いも少ない。
それにあんたの話、政治や経済の話ばかりじゃん」

政治や経済の話ばかりにおいて、私は反省をした。
それは置いとき、私が大いに気になった部分がここ。

「それは全くありえない」

私が「ありえない仮定話」をしたところ、
「それは全くあり得ない」と答えを返し、話を切り上げる。

「現実」に即すと「ありえない」で終わりだ。
しかし「全くあり得ないことがもし、もしありえたら」を考えると、
人物や社会を描写するうえで大いに役立つ。

世の中、いつどこで何が起きるかわからない。
「万が一の可能性」を考慮し、自分の意見を述べる。

これを怠ると、徐々に考えが今起きた現実だけに目を向け、
「未知の可能性」を閉ざしてしまう。

私はこの現象を「知の老化」と定義したい。

 

私は妄想・空想好き

現実で物事を考えるのは大切だ。
私は空想や妄想が好きであり、妻からも言われる。

「もう少し現実を踏まえ、物事を観なさい」

姉は現実で物事を捉え、私はそうでない。だから気が合わない。
(不思議なことに、芸能界の話題ならよく気が合うのだ、なぜだ)

しゃしゃはどうだろう?

 

生徒と先生の違い

姉との会話で大いに反省をした私。
横になっていたらこんな考えが浮かんだ。

「未知の可能性」を鍛える一つの方法は「勉強」だ。
しゃしゃは今、何かを学んでいる?
もし学んでいるなら、どうやって復習をしている?

学生時代の勉強として、先生や問題集から「問題」を与えられる。
そこについて答えていく。すなわち与えられた問いに答えていく。

しかしこれだけだと「上からの指示がないと動けない」
人になる確率が高いんじゃないか? ふと思った。

社会に出たら、仕事によって「自分」で物事を考え、
課題と答えを見つけなければならぬ。

その一つとして役に立つ訓練がある。「先生」の視点に立つ。
「先生」と「生徒」の違いは「教える」かどうかだ。

生徒は与えられた問題をとにかくやりこなす。先生は生徒に問題を与える。
その際、先生は生徒よりも「課題」を理解しないといけない。

例えば「2キロの道のりを10分かけてたどり着いた。平均の速さは何キロ?」
答えは「2÷10=0.2キロ/時」

先生になると「平均となぜ表記しているの?」
「距離÷時間でわからない場合、どう教えたらいいの?」

問題文の「意味」を理解しなければならない。結果、観察する力がつくよ。
その分だけ「本質」をついた視点から考察できるよ。

先生の立場になる本:勉強の鬼原則~合格したかったら、この本に書いてあることをやりなさい~

 

ある分野の学習が別の分野で役立つ

昨日、ステラ・アドラーという米国で活躍した女優の本、
魂の演技レッスン22 〜輝く俳優になりなさい!」を購入し、読んでいた。
(別記事で深く取り上げる予定)

読むうちに、私がすでに持っている本との関連が見えた。

・小説を書きたい人の本

・配色エッセンス(色塗りテキスト)

・ビジネスエリートは「見えない力」を味方にする

ほか……

演技レッスンは「役者」になる人向けの本だ。
今、上記で取り上げた本の中に「演劇」に関する本は一冊もない。
美術(絵画)・ビジネス・精神世界だ。

役者にならない人からすると「役に立たない」思いがちだが、
「役者が思う部分、感じる部分」から、
「自分の仕事に応用できる考えはないか」を探していくと、
必ず接点が見つかり、役に立つよ。

 

あれとこれをくっつける力

万年筆の魔女

知の老化は「それはそれ、これはこれ、関係は全くない」
断言して「あれとこれの接点」を思い浮かべない

私や姉の子供は時折「よくそんな話・設定を思いつくなあ(汗」
気づいたらメモをしている。

子供は「あれとこれは○○という視点において関係がある」
という前提でお話をするんだ(論理は破たんしている)。

あれとこれは全く別の分野だけど、そこをつなげてお話ができるか。

それとも「あれとこれは別、あんたはバカじゃないの」
接点を見つけないまま、目の前のあれだけに振り回されるか。

しゃしゃとして、どちらかといえば、どちらが良いだろう?

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。