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はいからさんが通るにて袴の指摘をしたきくちいまさんの一言から

大正に浪漫を散らして | 花村ゆーき [pixiv] http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=57168021

※ 大正に浪漫を散らして | 花村ゆーき [pixiv] 袴といえばサクラ大戦。

おはよう、しゃしゃ。
アニメでは「○○について間違っていますよ」
専門的な視点から「○○警察」と呼ばれる人がいる。

今回「はいからさんが通る」というアニメ映画の発表に対し、
きくちいまさんが述べた「ある一言」に対し、怒る人が多かった。

袴の指摘ではない。私も何気なく使う単語なので、震えたよ。
自分ではそう思っていなくても、読者(第三者)から見ると……

 

「所詮」という単語

袴について、私も特に知らない。
もし袴関連のイラストを描いたら、ご指摘を受けるだろう。

ところで、袴について指摘をしたきくちいまさん。
着物の楽しみを伝えたいエッセイスト&イラストレーターが、
この後一言述べた。

「アニメーターさんは所詮、下請けということですね」

「所詮」という単語はどういう状況において使うだろうか?
相手・社会・仕組みといった何かを見下す場合に使う。
本人にその気持ちがなくても、言葉が出ると「想い」も出る

辞書で調べると、「後に否定的判断を表す文章や単語を伴い、
色々考えたけれど、結局……だよね
」という意味だ。

参照:はいからさん、アニメが始まる前から袴警察が

 

脱線:きくちいまさんの着物本と注意

きくちいまさんは着物に関して専門的な立場で述べている。
だからこそ「袴」にも目が向いたと考える。

どんな分野でもいい。細かいこだわりに命を懸けるとさ、
大雑把にしかとらえない人」を見ていると「イラつく」気持ちをもたない?
多くの人にとって「どうでもいいこと」なんだけど、
彼女は着物を愛するからこそ気になった。

なお、彼女は本を出している。ストレス発散目的で本を読まず
「こいつの人格はマジ最低」なんてレビューを絶対に書かないように。

本(アマゾンへ):きくちいまが伝えたい! 買ってはいけない着物と着物まわり

炎上関連:鉄腕DASHにて作家が述べたある発言が

 

否定される「私」という存在

アニメーターは所詮、下請け。
彼女の発言は「すべてのアニメーター、アニメーターに尊敬の念を抱く人」
を否定したと受け取られる。

すなわち「アニメーターを愛する自分」も否定された。
ネットリテラシーの怖さはまさに「当事者意識」にある。

「そんな馬鹿な、考えすぎでしょ」思うでしょ。
わかりやすい話として、絶賛上映中のキンプリ。

昨日もどこかのテレビで応援上映について取り上げていたが、
ここであるコメンテーターが述べたとする。

たかが同じ内容に何度も運ぶって、すごいですね」

「たかが(数量や程度を取り上げる価値もない)」
という一言を入れてしまうと、キンプリに何度も足を運ぶ人。
あるいはキンプリにはまっている人からすると、
自分自身が味わった「感動・楽しさ」を否定された気分になる。

結果「何もわかっていないお前が言うな」
「ならお前も応援上映に行けよ、わかるから」
炎上のきっかけを作ってしまうのだ。

日本人は言葉に敏感な生き物。
理由は説明できなくても、感性は発達しているのだ。
古典にある「和歌」が根拠だよ。

過去記事:キンプリを見に行った(応援上映でない)

過去記事:古文や漢文の勉強について

 

言葉は責任を生む

私も「所詮」「たかが」といった言葉を使う。
何気なく使うからこそ、改めねばならないと認識した。
なお、こういった言葉を意図して使う人もいる。

わざと炎上する言葉を使って読者を煽り、
多くの人が叩けば叩くほどアクセスも増大し、
そこから商品が飛ぶ鳥を落とす勢いで売れる戦略として、
「しょせん」「たかが」といった見下し言葉を使う人もいる。

ただ、使った結果「どうなっても」知らない。
今、何かをしたら、未来から何かがやってくる。
(例:炎上につながる発言を今述べたら、
罵倒する人が多い未来がやってくる)

それは逃げられないし、向き合わねばならぬ
この行為を「責任」と呼ぶ。

「その人がある対象についてどう考えているか」
言葉を使うときに出てしまう。
それも「言葉に気をつかわないと、気づかない」から恐ろしい。

炎上参考本:なぜ僕は「炎上」を恐れないのか~年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術~ (光文社新書)

 

言葉に対して敏感になるには?

そこで「言葉」について敏感になるためにどうすべきか?
一つは文章を書いたら、すぐにアップロードするのでなく、
この単語(名刺、形容詞、副詞など)は必要か」検討する。

とはいえ、ツイッターは自分がその場で思った考えを言葉にする。
私もね、つい汚い言葉を使ってしまうのだ。

二つは「言葉に敏感な人」が書いた本を読む。
内容が重たい本や哲学を読むと、言葉に気をつかうよ。

三つめ「どの分野にも敬意を抱く人物(ファン)がいる
はっきりと認識しておく。ここを認識しないと炎上の原因を作る。
(反対に意図して炎上を作るなら、敬意を抱く人を認識すべき)

 

職人に敬意を抱かない「不足感」

アニメーター関連ニュースとして、
アニメーターの給与が低く、誰も敬意をはらってくれない。
というツイートがあったんだ。気持ちはわかる。

やっぱり認められたら「ああ、よかった」思うもんね。
でも、認められても「数が足りない、もっと、もっと」
心の奥底にある「不足感」を処理しないと、
ストレスだけが膨大にたまっていくのだ。

「もっと、もっと、もっと」という気持ちはお金に置き換えても同じだ。
金持ちで「もう一生遊んで暮らせる」はずなのに、
「自分のお金はびた一文使わない、金よ、もっと、もっと」
考える人は実際にいる。

これも心の奥底にある「不足感」が働く結果だ。
不足感が嫉妬と結びつくと、相手を攻撃したり逆恨みしたり……
自分の人生が「悪魔に操られる」ような生き方をしてしまう。

しゃしゃはどうだろう。第三者を憎み、逆恨みし、
何とかして表舞台から引きずり下ろしたい生き方
か。

それとも、自分を裏から表舞台にあげ、
多くの人と幸せな気持ちを分かち合いたい

どちらかといえば、どちらの生き方がいいなあ~思う?

 

嫉妬が教える本質

「嫉妬する対象を分析すれば、しゃしゃの強みになる」
嫉妬の本質はしゃしゃが成長するためのヒントだ。

例えば「歌、演技、ダンス、絵、トーク」がうまいアイドルに嫉妬したとする。

「なぜ彼女に嫉妬するのか、彼女はどんな特徴を持っているか」
きっちり分析する。

すると「自分」と「嫉妬対象のアイドル」が持つ共通点に気づく。
分野は違えど、アイドルと同じ素質をしゃしゃが持っているのだ。
(大工がアイドルに嫉妬しても、全くおかしくない)

嫉妬は「自分もできる能力がある」からするわけで、
できもしないなら、そもそも気持ちすら抱かない。

 

言葉は人生を動かす

言葉はみんなが使う。一部の人しか使えない道具ではない。
だからこそ「無意識」に単語を選び、相手に伝える。
しかし、意識すれば感度が良い人生を送れると確信する。

炎上したければ、積極的に否定をすればいい。
でもそういう人生を味わいたくないなら、
言葉に含まれる感情を話す前に読み取り、お互い気を付けよう。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。