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リポハラ(リポート・ハラスメント)という言葉が流行ればいいな

リポハライラスト

おはよう、しゃしゃ。熊本地震をはじめ、洪水を含む被害にあう日本。
テレビは必死に「視聴者が見たいであろうネタ」をとるため、
時には法やマナーに逸脱する行為で取材を行う。

2ちゃんねるスレッドで誰かが述べた。
「リポート・ハラスメント」略して「リポハラ」
この言葉をぜひ流行らせたいと考え、記事を書く。

 

リポート・ハラスメントとは?

マスコミが被災者や被害者の状況をろくに考えず、
精神的・肉体的に彼らを傷つけたうえ、
「これがジャーナリストとしての使命なんだ」

開き直って反省もせず、嫌がらせを続ける連中や、
いったん謝罪をしたものの、こりなくやる様も意味する。

ハラスメント:他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、
相手を不快にさせ、尊厳を傷つけ、不利益を与え、脅威を与える行為だ。

ハラスメントの中には、やった本人が自覚を持たない事例もある。
むしろ「こんなので訴えるのか、心の狭い奴だ」
訴えた人に怒りを覚える方もいる。

確かに女性の肩に誤って触れただけで、
「あなたの行為はセクシャルハラスメント(セクハラ)です」言われたら、
「この女は何、寝言をほざいているんだ」思ってしまうだろう。

ハラスメントは主観によって決められる要素もあれば、
誰がどう見ても「これはひどいだろ」怒りを覚える内容もある。

今回、取り上げるリポハラは「相対的に多くの人が抱いた不快」
を上げていきたいと考えている。

参照:ハラスメントの定義をしよう

 

リポハラ例1:ミヤネ屋と子供

4月21日のミヤネ屋で、
熊本放送の上野聡行アナウンサーが、
被災地報道取材のために、炊き出しに並んでいた子どもを、
雨降る外に追い出し、びしょ濡れにさせた」

として、炎上につながったよ。その後、熊本放送はこう述べた。

「子どもたちは炊き出しを手伝っており、列には並んでいなかった。
インタビューが始まったので自発的に退いた。
子どもたちに「テレビ局にどかされた」という自覚がなかった」

自覚はなくても、テレビが伝える映像効果は人の感情を刺激する。
どんな言い訳をしようとも、女の子たちが大雨の中、
アナウンサーに追い出された事実は残っている。

 

リポハラ例2:取材禁止地で生放送

※ 怒った男性の姪。載せてごめんね。彼女のツイートに乗せられた意見は、
マスコミが被災地で何をやっているかを知るため、きちんと読むことをお勧めする。

「取材が禁止されている場所」で生中継をしたとき、
一人の男性が割り込み、怒り、急きょ中止になった。

メディアがルールを守っていれば
男性が怒る確率は低かったかもしれない。

被災者で怒号を飛ばしたおじさんの姪が、
震災の裏で「以下にマスコミがしつこいか」について述べている。

参照:TBSにブチ切れたおじさんの姪っ子が降臨して知られざる事情

 

リポハラ例3:ヘリを大量に飛ばすマスコミ

熊本地震を含め、洪水などの被害を通し、
マスコミはヘリコプターを飛ばして取材をする。

取材中に被災者を見つけ「偉い」と褒められるテレビ局はある。
しかし一部は行き過ぎて、自衛隊による救助活動の邪魔をする。

栃木茨城が水没し、鬼怒川が決壊して洪水になったとき、
各マスコミは上空から洪水になって流される町を取材した。

そこで低空飛行や自衛隊機に限りなく近づこうとし、
「テレビ朝日のヘリよ、二次災害を起こすなよ」
怒りの声がこちらに乗っていたよ。

参照:テレ朝/日テレのヘリが自衛隊の洪水救助を妨害

 

リポハラの根底にある視聴者

他にもいっぱいあるが、割愛する。
リポハラによる被害は以下の形で被害を受ける。

1 人の不幸などお構いなしに正義感気取り
2 マスコミに被害がこないよう、被害者を責める
3 少しでも現地の惨状を求める視聴者ニーズに応える

マスコミは「正義感」がないと、やってられない。
自分が悪者と感じると、後ろめたさが生じる。
一方、自分が正義だと確信すれば、
他人から見てあくどい行為であっても、正義のために許される。

あくどい行為と批判された場合、
「謝罪します」と言ってすぐ火に水をかけるメディアもあれば……

「あなたたちは間違っている。被害者がこうしろといったんだ。
むしろ私たちこそ、本当の被害者、あいつは加害者)」
と、責任転嫁をして逃げた結果、火に油を注ぐメディアもいる。

どちらにしろ、その後はケロッと謝罪・責任転嫁を忘れ
何事もなかったかのように報道し、同じ失態を繰り返してしまう……。

これはマスコミに限った話ではないから、
失敗を一つの教訓としてとらえ、同じ失態をしないように気を付けよう。

 

スポンサーへのクレームが痛い

なぜ正義感を持ち、責任転嫁を行うか。
マスコミも「商売」だ。スポンサーからお金をいただいている。

スポンサーは視聴者が広告に興味を持ち、
商品やサービスを購入してくれるから成り立つ。

視聴者は「興味ある」番組に向かう。
マスコミとして「視聴者が興味を持つから、仕方なくやっているんだよ」
考え、視聴者の責任にも話をつなげられる。

マスコミにとって恐れる行為は、スポンサーがお怒りになり、広告を出さない。
すなわち、収入を打ち切られる行為だからね。

 

ジャーナリストの反論

ジャーナリストの山田順氏が反論している。
以下の記事から気になった部分を選んでいくよ。

震災や洪水などにおいて、
「生存者の声がヘリの音がうるさくて聞こえない」という声もあるが、
視聴者が「正義感」にかられ、メディアを批判したに過ぎない。
(第一、ヘリなら自衛隊も飛んでいるのに、
なぜマスコミだけに焦点を当てるのだ)

メディアに「被災者にとってメディアは迷惑な存在」という、
正論をつぶやく連中に「あなたが現場に行って被災者を助けてみろ」

被災者にとってメディアは邪魔者かもしれない。
しかし全国の人々にとって、
現地の情報を伝えない限り、災害の全容はわからない。

メディアは自身の判断で、災害報道に立ち向かえばいい。

引用:被災地には「邪魔」な存在でも、メディア抜きでは「救済」できない

メディアを擁護する意見は調べてもほとんどなかったので、
山田順氏の意見は貴重だ。

「メディア自身の判断で、災害報道に立ち向かえ」
ここが最も厄介で、自分たちの判断で立ち向かった結果、
取材と視聴率優先で倫理に疑念を抱かせてしまった。

確かにマスコミの取材によって助けられる人もいる。
鬼怒川が決壊したとき、マスコミの取材ヘリでおじさんが見つかった。

ただ良い部分よりはむしろ、悪い部分が目立つ
一つの取材をするために多数のマスコミが群がった。
(道路に群がり、物資運搬の邪魔をしている)

※ 大場吾郎氏は元日本テレビに勤務し、今は佛教大学教授

また深夜遅くにライトを照らして、被災者へのいらだちをさらに募らせた。
悪い部分が目立つようになったから、現在は叩かれているんだね。

以下の参照を通し、熊本地震におけるマスコミのやり方を覚えておこう。
反対にマスコミはこれらをしなければ、叩かれる確率は少なくなるよ。

参照:熊本地震でマスコミがマスゴミ化する6つの証拠

参照:被災地には「邪魔」な存在でも~におけるネットの反応

参照:震災におけるマスコミ炎上を笑う人たち

 

ソーシャルメディアの役割

テレビ局が謝罪する羽目になった理由は、
ツイッターなどで情報が一気に拡散され、多くの人に知れ渡ったからだ。

マスコミは被災地において「ごく一部」しか報じない。
リポハラ事例2における、Nスタ現地リポートに対して怒ったおじさんに対し、
姪の声がなければ、一方的な悪者にされたかもしれない。
(中には上記のような、マスコミ側から見た立ったツイートもあった)

昔は「ミニメディア(個人が持つ媒体手段)」
が限られ、技術が発達していなかったから、マスコミが優位になるばかりだった。

謝罪なんて一切しないだろう。

しかし今は違う。私たちがマスコミを監視する時代になった。
(同時に自分も監視されている事実に注意せねばならない)

テレビ局がある分野を取材したら、
その近くにいる人がツイッターや口コミを通し、
「こんな事実もあったんだぞ」報じられる。

リポハラに対抗するには、
目の前で起きている事実(特に嫌な現実)から目を背けず
嘘をつかず、責任をもって発信をしていこう

 

真実と嘘の区別

ただし、しゃしゃが「信頼」を受けているかどうかが重要だ。
普段から嘘をつぶやいていたら「こいつ頭がおかしい」思われてしまう。

例:サヨク女性「自衛隊が救援活動の代償として女の“奉仕”を要求してる」

嘘は「相手を陥れたい」「少しでも自分が目立ちたい」気持ちから生じる。

真実は「相手を支えたい」「周りにも気を付けてもらいたい」
といい「」から生じる。

なので、普段からどんな道徳を持って生きるべきか?
「相手を思いやる気持ち」がないと、
この先も生きていけるだろうけれど、心が汚くなってしまう。

まずは自分自身を思いやる。
その次に兄弟や親せき、自分を愛してくれた人を思いやる。

物欲(お金など)を少しでも得るために相手を蹴落とすと、
しゃしゃが弱ったころ、彼らに復讐されるので、やらないでね。

未来を見渡したうえで行動するのも、大切だよ。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。