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昭和10年作成の漢文(石碑9を読み、受験漢文の違いに気づいた

米町公園の佐野碑園

ども、しゃしゃ。散歩をしているかい?
散歩をする際、車に乗って知らない場所に行くんだ。
あるいは知っているけれど、あまり歩いていない場所に向かう。

今回、私が生息する釧路の高台にある神社、厳島神社付近を歩いてみた。
米町公園近辺を歩いていたら、見つけたんだ。「漢文」で書かれた碑文を。

 

昭和時代にできた漢文

昭和漢文

※ 画像をクリックして拡大可

漢文は1935年(昭和10年)、北大の教授が書いた。
(日本史だと美濃部達吉の天皇機関説排撃運動が起きた)

石碑を読んでみたんだ。
釧路地方の開発に精力を注いだ佐野孫右衛門(故人)について、
生まれから死までの業績を漢文で書いてある。

中国の古典に比べると、かなり読みやすかった。以下、理由を述べていく。
もし漢文(他に英語や古語)が苦手なら、理解しておくといいよ。

 

基礎用語が身近

米町公園地図

碑文をさっと読んでほしい。

天保10年(1838年)、孫右衛門、渡島(北海道にある地方)、
昆布盛、厚岸(釧路にある地区)
など、
釧路に生息する私にとって、身近な単語ばかりだ。

釧路以外の人間でも、
場所、請負人、漁民など、今でも使う単語があるね。

漢文が難しいと感じる理由の一つに、
「中国だと慣れ親しい単語だけど、日本では違う」からだ。

例えば漢文でいう「百姓」は中国の言葉だと「庶民、人民」だ。
ところが日本だと「農民」の意味を持つ。

「現代日本」の視点で漢文を強引に読もうとするから難しいのだ。
言い換えると、当時の歴史を知っておくと、
漢文に関する基礎単語、背景を理解するため、
今より読みやすい文章となるだろう。

 

句形を理解している

碑文2

碑文に「置き字(於・乎・于・而)」がある。
現在、受験で漢文を使うなら置き字は漢文を読むうえでの基本だ。

また漢文を読むうえで、句形(使役や受け身他)を勉強しよう。
漢文句形ノートを一冊購入し、何度も読み書きを行えば、
そのうち自然と句形が出てくるよ。

 

頭から読む

漢文を読む際、英語と同じで頭から読んでみよう。
書き下し文があると、どうしてもレ点や一二点などで、
視線を移動しながら読まねばならぬ。

北大教授が石碑に書いた漢文は白文だ。
しかも日本語訳をする必要もなし。

碑文より、一部の文章を書いてみよう。
旧字体でなく新字体で書いているよ。

「翌四年漁民五十戸十五人始自南部地方至以久寿里為永住之地」

しゃしゃならどう区切るだろう?

翌四年 漁民 五十戸 十五人 始 自 南部地方 至 以 久寿里 為 永住之地

自は「より」、以は「よって・ゆえに(理由)」、為は「なす」と推測できる。
簡単に訳してみると「翌1904年、漁民は50戸、15人より(何かを)はじめ、
南部地方(渡島?)から釧路(クスリ)に行き、永住の地とした」かな。

白文で書いてあるけれど、中国の古典ではない。
日本人が書いた文章だから、どう区切ればよいかわかる。

よって中国の古典より、日本漢文を読んだほうがなじみやすいだろう。

 

漢文を勉強する意味

※ 上記ツイート補足:原文は○に「ホ」が入っている

英語は今、外国人とやり取りするうえで必要だから勉強する。
とはいえ、英語をしゃべられない学生が多いんだと。
(日本にいれば中学校で習う英語で十分だからねえ)

しゃしゃが「古文・漢文は現在使わない。
なのにどうしてあんな時間の無駄になるものを学ぶのだ」
思った場合、別に習わなくてもいいんだよ。

ただ、習ったほうが「昔の人が抱いていた気持ち・戦略」
といった「現代では味わえない文化・考え」を手に入れる。

しゃしゃが社会に出て働くようになると、
自分の想定しない問題が次から次へとやってくる。
その際、これまで学んだ情報や体験を元にして、
試行錯誤を行って解決せねばならないんだ。

その際「これまで学んだ情報・体験」の一つに古典がある。
古典はしゃしゃがにっちもさっちもいかなくなった際、
「解決するために必要な事例」として、ないよりあったほうがいい。

古文は主に和歌をやる。和歌を通して相手の心理を探る場合に使う。
漢文は中国の政治情勢が多く、戦略を考えるうえで大切だ。

別にやらなくてもいい。でもやったほうが、
今ある問題を解決する手段として、大いに役立つよ。

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雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。