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パラオが水不足で日本に支援を要請より反日にならぬ理由が人扱い

パラオにて | SH-2 [pixiv] http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=55815860

※ パラオにて | SH-2 [pixiv]

おはよう、しゃしゃ。
パラオがエルニーニョ現象による水不足に陥り、
日本と台湾に助けを求めている。

日本はJicaがすぐ緊急支援を行った。
注目すべき部分として、「日本と台湾」に向かって水の支援をお願いした事実だ。

 

名指しされるうれしさ

もしパラオが反日だとしたら、「はあ、ふざけんな」思う人が多かっただろう。

しかしパラオは日本の悪口を言わず、
「日本を誇りに思ってくれる国」の一つだった。

日本に対して「敵意」を持つか「敬意」を持つか。二つの心は大きく違う。 
仮に韓国が日本に対し、敬意を持っていたら旅行数減少に悩まなかっただろう。

一方、パラオは日本に敬意を持っている。
「こんなことをしていただきありがとう」

言葉で堂々と感謝されると、相手に敵対心を持つ確率は大きく減っていく。

パラオ

※ パラオが反日なら、シーレーンはさらに不利な状況へ追い込まれただろう

しゃしゃがこの記事を読む場合、
「日本」の部分を「しゃしゃの名前」に置き換えてみよう。

自分を罵倒する人間と敬意を持ってくれる人間。
どちらかといえばどちらとお付き合いしたい?

 

愛と敬意

どうやったら敬意を持たれるか?
思った場合、「愛」について勉強をしなければならぬ。
とはいえ、愛がまた厄介なんだよね。

「愛する」ためなら「暴力」も平気で行える。歪んだほうに考えてしまいがちだ。

敬意という行為はどのようにすれば生まれるのか?
パラオの親日歴史をヒントにみていきたい。

 

パラオと侵略と日本

第一次大戦前まで、
パラオは白人(ドイツやフランス)によって収められていた。
白人国家は自国経済を伸ばす行為に力を注いでいたが、
現地(住民パラオ国民)に無関心だった。

その後、日本が第二次大戦終結後まで統治を収めた。
日本も白人国家と同じように、経済政策を行った。
しかし、日本はパラオの国民に対してインフラを整えた。

インフラは水など環境施設の確保・学校や病院の建設だ。
人口も3万人ほど増えた。

そのあと米国は反日教育を行いながら、パラオの国民をぞんざいに扱ってしまった。

参照:パラオが親日な理由

 

日本の考えと白人国家の考え

白人国家は「自国の経済」のみに焦点を絞り、「現地住民」をないがしろに扱った。

しかし日本は「現地住民」を大切に扱った。言葉で書けば非常に簡単だ。

だが白人国家には「簡単な行為」ができなかった。
現地の住民を「道具」として見るか「人間」として見るか?

考え方ひとつで、行動も変わってくる。
しゃしゃも今いる環境が辛ければ、考え方を変えてみるといい。

例えば勉強が「受験合格に必要な手段」と考えているなら、
「話のネタを広げる手段」と、考えを変えてみよう。

すると勉強における目的・行動が変わってくる。
話のネタを広げるために、いろんな内容を知るのだ。

パラオにおいて、日本は考え方が違った。
だから現地住民に対する扱いもほかの国と違っていた。

ほとんど差別をしなかった日本の先祖に感謝する。

 

パラオにおける一つの恩返し

パラオに何か恩返しができないかなあ……募金をしてあげたいけれどなあ。
思ったら、募金もいいんだけど、それ以上に旅行していただくと、現地も喜ぶよ。

旅行していただくと、現地にきっちりお金が落ちるからね。
パラオに何かできないかを考えるなら、旅行を検討してみよう。

調べておくと、航空機は往復で33000円ほど
(もちろん、日程によって金額に差は出るよ)

ホテルは1泊だと7000円ほど。
何泊するかで金額は変わるから、下記サイトから調べておこう。

飛行機を探す:スカイマーク

ホテルを探す:ホテル予約ならHotels.com

上記サイトを元に、パラオ旅行計画を立てておこう。
天皇は去年4月8、9日にパラオにお越しいただいた。今年はどうなんだろう。

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。