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おはよう、しゃしゃ。
正直者は馬鹿を見るという格言を知っているかい?

正直に生きた者は不正を行った生き方をするよりも、
お金や人脈、幸せとなどで、損する生き方をしている。
不正を行い、気に入らないやつを蹴落とし(いじめ含む)、
傲慢な生き方をする人こそ、恵まれた生き方をしているのでは?

正直に生きるとはどういうことだろう?

 

馬鹿正直が持つ選択肢


※ ちょうど生きることについて語った歌があった

「私の生き方ってなんて馬鹿正直なんだろう。
本当は手を抜いてもいいのに、抜かないできちんとやるんだから。
それで、手を抜いている同僚が出世して、私はそのまま……」

「あいつは私をいじめた。
あいつは今とても幸せな生活を送っている。
お坊ちゃんと結婚し、ママともたくさんいて裕福だ。
それに比べて虐められた私の生き方と言ったら……」

こういった意見を見ると、虐められるよりも虐めた生き方。
正直になるより不正を働いてでも生きたほうが、
結果として自分の地位や利益のためになっているんじゃないか?

品位や規律を守る生活がいかに愚かか……。
現在、些細な訴訟が相次いでいる状況も、
馬鹿正直な生き方に対する反動だと考えている。

抑圧された気持ちを一気に吐き出す行為に等しい。
でもね……正直に生きるってただ品位や規律を守ることだけじゃないんだ。

 

正直とは何か?

よめさん
※ 華扇さんが怒るだけ。 | 佐竹教授 [pixiv]より

己の心に対して嘘や抑圧を行わない生き方と考えている。
内なる心が求める情熱に従って生きること。
気持ちに嘘をつかないで、何かをやり抜く姿勢。

しゃしゃはどうだろう? 己の心が求める方向に生きている?
心が温かくなると、内側から熱がともり、暖かくなるよ。

反対に寒いときは内側にある熱が冷めている状態だ。
自分にとって「こんなふうに生きる」発言してごらん。

心が温かくなったら「正直な生き方」を見つけたことになるんだ。

 

正直に生きることが最も大変

ただ、内なる情熱に従って生きることは最も大変だ。己の心は現世の何にも縛られない。

しかし体はどうだろう? 目の前の現実に縛られてしまう。
例えば心は「食べ物」や「お金」を欲しなくても、
「想い」一つで食べ物やお金を得ることができる。

イメージすればいいだけなんだから。
でも体は目の前にお金や食べ物がないと、生活できないよね。
心が素晴らしくても、生活ができない状態だと、単なる貧乏人だ。

正直に生きようとすると、体を軽視した生活を送ってしまう。
すると苦労して困ってしまうんだ。私たちは正直だけでは生きていけない。

 

正直に生きる大メリット

内なる心が「こうしろ」と言ったら、実際にそうしてごらん。
すると、ものすごく体が温かくなり、気持ちよくなり、言葉で表現できぬ幸福が訪れる。

物(お金、食べ物、服その他)よりもはるかに気持ちいいと感じるものだ。
この体験をしたら、不正な生き方はやりたくなくなってしまう。

正直な生き方がもたらす気持ちよさは不正な生き方では得られない。
同時に生き方も定まっていく。周りにも流されないだろうし、
何をしたら良いか、悪いかの判別すらつくよ。

 

身を守る生き方を大切に

渡辺美樹さん
※ 渡辺美樹参議院議員。彼の行為はワタミブラック企業事件があってから、
どんな行為も偽善者扱いされている。画像はRelifeから

正直に生きる者は何でも馬鹿正直に受け取ってしまう。
そこに不正を働くものがやってきて、正直者からお金などを巻き上げる。
正直に生きたのに、なぜ不正な奴から不幸な目にあわされるのだ?

考えてしまうよね。でもね、その考えが間違いなんだ。
不正なことを働く連中から身を守る方法を知らねばならん。
戦うことだって必要なんだよ。

相手の不正を見抜けないこと。騙されたことを通し、相手がどんなやり口で不正を働くか。
また、不正を働いたものに説教することで、相手を正直な道に戻すこともできる。

不正を働いた者はまた誰か正直者を見つけ、同じことをするだろう。
彼は罪をどんどん作っていくわけだ。

正直に生きるからこそ、他人が行う不正は後で己の人生において、
良くないことをもたらすと教えてあげたほうが良い。

 

不正を行う者が憎い

不正を行う者から騙されて「憎い」と思ったら、怒りを押さえよう。
彼にも何かしらの試練(脚本、生き方)が与えられている。

ただ不正を行って、何も得ないで死ぬという状況はありえない。
人生は勉強の連続だから、生きていれば必ず何かに気づくだろう。

ある時点で自分の不正行為が事件となり、目に見える・感じる形で制裁が来た。
このとき、制裁を真正面から向き合う生き方こそ、彼らにとって最も辛い行為なんだ。

一般に「責任」と呼ばれる言葉だよ。

責任はどんな人間にも訪れる義務だ。
正直に生きるからこそしゃしゃ自身で解決せねばならない問題がある。
騙された、不正したやつに腹が立つという気持ちは、
しゃしゃにとって「解決すべき課題」を意味する。

勉強と同じだ。憎い、うらやましいと思える人間を通し、自分の心を分析してごらん。
何が問題で、どんな欲望があるのかがわかるようになるよ。

正直に生きると、自分について冷静に分析できるけれど、
嘘をついていると自分を観る行為が嫌になるよ。

 

結びに:他人より自分

正直な生き方は馬鹿を見る。
でも不正な生き方では絶対に得られない幸福を、正直な生き方は得る。
人間、死ぬ間際に後悔することとして「もっと遊べばよかった」
「もっと挑戦すればよかった」「内なる心に従えばよかった」

内なる心に逆らう生き方を死ぬ間際に気づいて、亡くなるんだそうだ。
しゃしゃはどうだろう? 私は正直な生き方を望むよ。

じゃあまたね、しゃしゃ。

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